眠れないほど面白い 空海の生涯

真魚は生まれつき聡明で物わかりがよく、語学に強く、5、6歳頃からは漢学を学び「神童」と呼ばれた。彼の死後80年以上経ってから朝廷から「弘法大師」という諡号(贈り名)が与えられた。

大安寺によく出入りするようになった真魚(空海)は、ある日、一人の女性に心を奪われる。大学の勉強から離れた真魚に勢いよく芽生えたのは、異性への関心であった。

奈良時代にはすでに神仏習合の考えが公式に認められます。
781年、朝廷は宇佐神宮の応神天皇(宇佐八幡神)に「八幡大菩薩」という称号を贈り、鎮護国家・仏教守護の神としました。

さらに時代は下って平安時代にあると、「神はもともと仏であり、仏は神の姿を借りて現れたものだ」という、本地垂迹説が説かれるようになります。

やがて、寺院の敷地内に、仏を守る神という意味の神社が建てられるようになります。
これを「鎮守社」といいます。

9世紀に入ると、神社の神を、仏の教によって守る「神宮寺」が有力な神社に建てられるよになります。

以後、寺には「鎮守社」、神社には「神宮寺」が建てられるようになり、神仏習合が一層加速していき、神社を寺院の境界が分からないくらいまでになりました。

真魚も、この環境の中で生まれ育っていることから、神も仏も同体であるという考えに至ることは、至極まっとうなことだったと考えられます。
高野山内に神社があることや、丹生都比売神社が高野山の鎮守社であることも何ら不思議ではありません。

善道尼(ぜんどうに)と出会い、華厳経の存在を知ることで、真魚は大学で学んでいる儒教の無意味さを感じるようになります。
儒教とは、人が作った政治・道徳を説いたもので、俗世の取り決めだけを重んじ、世渡りのく工夫しかしていない。その教えの暗記と文字や語句の説明ができても、教え全体の意義を考えることはできない。どんなに儒教を学んでも、宇宙とか生命の神秘を探ることはできない・・・と考えたのです。

善道尼は大安寺の勤操(ごんぞう)に仕える身でした。
その大安寺には、かつて唐から持ち帰った経典を伝えた道慈(どうじ)という学生僧がいました。
その経典を移す作業を、真魚も手伝ったことがあり、その経典をできる限り理解して記憶したいと思うようになります。
しかし、その数が84000あると聞いて愕然とします。
いくら記憶力に自信があってもさすがに無理です。
しかし、「血のにじむような努力をしてでも、より多くの経文を理解し記憶しようと思う。その時にこそ、あなたと本当の夫婦の交わりができるのだから」と言います。
この頃の空海も、一人の男性だったということですね。

真魚の仏法を学ぼうとする熱心さを見た善道尼は、一冊の本を差し出します。
「虚空蔵菩薩能満所願最勝心陀羅尼求聞持法」というものでした。
これは、仏教に由来するものではなく、インドの密教に由来するものでした。

虚空とは「大空(宇宙)」を表し、その宇宙には太陽、月、星、山、川、土地、動植物など、あらゆるものが含まれています。
その虚空はちょうど、多くの宝物を納めている宝蔵のようであり、虚空蔵菩薩は大空のように知恵や慈悲を無限に持っていて、それを人々の望みに応じて分け与えてくださる存在だと言われています。

そして、密教の秘法を行って虚空蔵菩薩に通じれば、理解力・記憶力を高めてくれるというのです。
それには、
「虚空蔵菩薩を本尊として心に念じ、手に印を結び、本尊に向かって一日一万遍の真言を百日かけて唱えなければならない」
「この行法は平生の暮らしの習わしを断ち切れなければならず、深山幽谷に踏み入って山林を住まいとし、修行の場を求めて山野を駆け巡ったり洞窟に籠もってやり遂げなければならない」
と教えられます。

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