日曜日休日の弊害

今日は久しぶりに梅の収穫作業が休みになりました。
前回休んでから18日ぶりの休みです。

つくづく思うのですが、こうした農業に携わる人にとって、日曜日に休みを取るということが非常に難しく、農業を中心としていた我が国には合わないなと感じています。

今は休みを取らなければその企業は労働基準監督署から注意されますが、自然相手の仕事で、そんなに定期的に休めるはずがないということぐらいは、簡単に分かります。
ましてや収穫時期になれば、一日でも休めばせっかく育てた作物が台無しになるので、休みたいなどと言ってられません。

梅農家さんは、早いところでは小梅や古城(ごじろ)梅の収穫が5月上旬あたりから始まり、南高梅の収穫時期終わる6月末まで、ほとんど休みはありません。

日曜日に休日を取るという習慣は、そもそもキリスト教から来たものであり、それを1876年(明治9年)に公官庁が土曜日半休、日曜日休日を取り入れたことがきっかけでした。

それまでは、1日と6日とが休みだったようで、当時の欧化政策上外国との交易に不都合が生じるために、欧米に合わせる形で土曜半休、日曜休日が導入されました。

それが民間企業に広がりを見せ、松下電器産業(現パナソニック)が日本で初めて完全週休2日制を導入しました。

農業にいたっては、村ごとで休みが決められていて、その日数は村によって年間30日~80日ほどだったとか。

日曜日や土日が休日になった起源は、こちらの記事が詳しいです。
なぜ土曜日と日曜日は休みなのか

もともと、村の秋祭りはその年の収穫を村で祝うものであり、村全体でその日を休みとして祝っていたので、今のような「人手不足」もなく、過疎化なんてなかったでしょうから、それこそ盛大に行われていたでしょうね。

それを、土日を休みにしたしまったがために祭り本来の日に人手が足りなくなり、やむなく土日開催にしているところが増えています。
祭り自体、その日に意味があるから古来よりずっとやってきたのであって、本来であれば安易に祭りの日程を変更することは、あってはならないことだと思います。

しかし、開催しないよりはマシだし、多くの人が見に来てくれるということもあり、土日に変更してしまったのでしょうね。

また、過疎化による後継者不足も深刻です。

紀南でも、以前は獅子舞があったところでも、完全になくなったところもあれば、舞の演目を減らして何とか維持しているところもあります。

日本の人口は全体で増えたのに、地方では祭りの存続が危ぶまれているという事態が起こっています。

なんとも寂しい限りです。

地方が衰退すれば、やがて都市も衰退します。

都市の食を支えているのは、地方の農家です。

その農家がなくなれば、どうやって食を維持するのでしょうか?

外国も簡単には売ってくれないようになるかもしれません。

そうなれば、日本人に餓死者多数・・・なんて事態にもなりかねません。

地方を大切にし、地方の伝統文化を守ることこそが、日本の国家を支えることにつながるということを、国民一人ひとりが持たなければならない時代に来ていると思います。

今年の梅は豊作傾向で、私がお世話になっている農園ではまだ収穫が終わっていません。
もう少し頑張ります。

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