お勧め書籍②宗教編

「宗教」というと少し語弊がありますが、「熊野に関する宗教」となると、神道、修験道、仏教となるわけですが、こと個人的には神道と修験道に非常に興味があり、それらに関連する書籍をよく読みましたが、以下の書籍は分かりやすく解説してくれています。

1.熊野 神と仏

宗教人類学者・植島啓司氏、金峯山寺執行長・田中利典氏、熊野本宮大社宮司・九鬼家隆氏が、それぞれ「熊野考」「あまたの神と仏」「熊野という原点」について解説しています。

植島氏による「熊野考」では、前半については内容が難しく、理解しにくい部分もありますが、阿蘇と熊野における山岳信仰の共通点を見出している点が面白いです。

また、最後には、神仏分離令や神社合祀などで日本の宗教が大きなダメージを受けたことに触れ、「苦渋の歴史を踏まえた上でわれわれは神道や仏教のみならず、いかなる宗教をも受け入れる寛容で融和的なわが国の宗教風土を改めて見直していかなければならない。ここに至って熊野に代表される『紀伊山地の霊場と参詣道』が世界遺産に選ばれたということは、いまこそ日本独特のそうした宗教観・人間観を世界に向けて発信していく絶好の機会を得られた」と結んでいます。

田中氏による「あまたの神と仏」では、大峰奥駈道、修験道について分かりやすく解説してくれています。

印象的な言葉は

「平和の作り方は、いくらチューリップが美しいからといって地球上のどこもかしこもチューリップ畑にするような世界を作るのではなくて、ブーゲンビリアも百合も桜も咲く、その土地の人々がそこに根づいたきれいな花々を自慢して、認めあって共存することが、本当の意味での平和のあり方だろう。吉野・熊野にはそういう、世界をチューリップ一色にしてしまうような野卑な一神教の価値観に凌駕されていないものが、まだ残っている希有な場所なのである」

・・・うーん、納得。

あまり知られてはいませんが、戦後GHQは日本をキリスト教国に改宗しようと試みていたそうで、昭和天皇も非常にキリスト教に対して興味を持たれていたそうです。

結局、GHQの試みは昭和天皇の機転により失敗に終わりましたが、仮に日本がキリスト教国になっていたら、日本が日本でなくなっていました。天皇は神道における祭祀王ですからね。逆にフィリピンは土着の宗教が駆逐され、その犠牲となっていますよね。

九鬼宮司による「熊野という原点」では、あまり普段は話題に触れない、イザナミの荒御霊が祀られている産田社についてや、昭和初期の本宮大社の様子などが書かれています。

「世界平和にしても、熊野が宗教の融和を図ってきたように、日本は国々の融和を図れる立場の民族でありながら、一神教と同じような感覚で振舞おうとすること自体が、相手の国に対して失礼な話であって、自分たちの民族性を日本人自体がよくわかってないと思う」

三氏の共通しているところは、国内ではなく世界を俯瞰し、その中で日本人がどうあるべきかを説いているところにあると思います。

何も世界遺産に登録されてからこういった考えになったのではないと思います。これはわたしが非常に共感を覚えた部分です。

 

 

小辺路写真

今回の小辺路で撮った写真をアップしておきます。
勝手にダウンロードしたりどこかの記事に転載してもらってかまいません。
ただ、スマホで撮ったものなので、画質はそれほどきれいではありません。
やはり本当の美しさは実際に見ないと分かりません。

高野山~大股

眠れないほど面白い 空海の生涯

真魚は生まれつき聡明で物わかりがよく、語学に強く、5、6歳頃からは漢学を学び「神童」と呼ばれた。彼の死後80年以上経ってから朝廷から「弘法大師」という諡号(贈り名)が与えられた。

大安寺によく出入りするようになった真魚(空海)は、ある日、一人の女性に心を奪われる。大学の勉強から離れた真魚に勢いよく芽生えたのは、異性への関心であった。

奈良時代にはすでに神仏習合の考えが公式に認められます。
781年、朝廷は宇佐神宮の応神天皇(宇佐八幡神)に「八幡大菩薩」という称号を贈り、鎮護国家・仏教守護の神としました。

さらに時代は下って平安時代にあると、「神はもともと仏であり、仏は神の姿を借りて現れたものだ」という、本地垂迹説が説かれるようになります。

やがて、寺院の敷地内に、仏を守る神という意味の神社が建てられるようになります。
これを「鎮守社」といいます。

9世紀に入ると、神社の神を、仏の教によって守る「神宮寺」が有力な神社に建てられるよになります。

以後、寺には「鎮守社」、神社には「神宮寺」が建てられるようになり、神仏習合が一層加速していき、神社を寺院の境界が分からないくらいまでになりました。

真魚も、この環境の中で生まれ育っていることから、神も仏も同体であるという考えに至ることは、至極まっとうなことだったと考えられます。
高野山内に神社があることや、丹生都比売神社が高野山の鎮守社であることも何ら不思議ではありません。

善道尼(ぜんどうに)と出会い、華厳経の存在を知ることで、真魚は大学で学んでいる儒教の無意味さを感じるようになります。
儒教とは、人が作った政治・道徳を説いたもので、俗世の取り決めだけを重んじ、世渡りのく工夫しかしていない。その教えの暗記と文字や語句の説明ができても、教え全体の意義を考えることはできない。どんなに儒教を学んでも、宇宙とか生命の神秘を探ることはできない・・・と考えたのです。

善道尼は大安寺の勤操(ごんぞう)に仕える身でした。
その大安寺には、かつて唐から持ち帰った経典を伝えた道慈(どうじ)という学生僧がいました。
その経典を移す作業を、真魚も手伝ったことがあり、その経典をできる限り理解して記憶したいと思うようになります。
しかし、その数が84000あると聞いて愕然とします。
いくら記憶力に自信があってもさすがに無理です。
しかし、「血のにじむような努力をしてでも、より多くの経文を理解し記憶しようと思う。その時にこそ、あなたと本当の夫婦の交わりができるのだから」と言います。
この頃の空海も、一人の男性だったということですね。

真魚の仏法を学ぼうとする熱心さを見た善道尼は、一冊の本を差し出します。
「虚空蔵菩薩能満所願最勝心陀羅尼求聞持法」というものでした。
これは、仏教に由来するものではなく、インドの密教に由来するものでした。

虚空とは「大空(宇宙)」を表し、その宇宙には太陽、月、星、山、川、土地、動植物など、あらゆるものが含まれています。
その虚空はちょうど、多くの宝物を納めている宝蔵のようであり、虚空蔵菩薩は大空のように知恵や慈悲を無限に持っていて、それを人々の望みに応じて分け与えてくださる存在だと言われています。

そして、密教の秘法を行って虚空蔵菩薩に通じれば、理解力・記憶力を高めてくれるというのです。
それには、
「虚空蔵菩薩を本尊として心に念じ、手に印を結び、本尊に向かって一日一万遍の真言を百日かけて唱えなければならない」
「この行法は平生の暮らしの習わしを断ち切れなければならず、深山幽谷に踏み入って山林を住まいとし、修行の場を求めて山野を駆け巡ったり洞窟に籠もってやり遂げなければならない」
と教えられます。

今こそ学ぶべき日本神話

今回は、小名木善行さんのお話からです。

新型コロナウイルスが発生して世界中が大変なことになっています。
こうした感染症は、人口の大部分を失わせ、かつては猛威を奮ったものです。
これによって、チャイナでは王朝が変わるということも起こっています。

例えば、14世紀(1384年くらい)にチャイナ(当時の「元」)で発生したペストがユーラシア大陸を席巻し、ヨーロッパでは何と人口の約60%が失われ、元では1億2千万人いたとされる人口が2500万人にまで減少してしまうという大事件が起こりました。

平安文化 清少納言・和泉式部・紫式部 Heian Culture Sei Shonagon, Izumishikibu, Murasaki Shikibu

前回までの内容はこちら
平安文化 清少納言・和泉式部・紫式部 Heian Culture Sei Shonagon, Izumishikibu, Murasaki Shikibu ①

その中の第270段に「他人の噂」というものがあります。

詳しくは小名木善行さんのブログをお読みください。

枕草子が書かれたのは約1000年前です。

その頃にも、同じように人の悪口を言う人間がいたということ

ガイド体験談

昨年の和田通信より。

*********************

先日7月27日、久しぶりに滝尻~高原のご案内をしました。

40歳、シンガポールの女性二人組でした。

不思議とこの日は、当会のガイドさんの都合が誰も合わなかったので私が行かせていただいたのですが・・・

今回は体力的な面や天候的な点で、私で良かったと思っています。

この日の天気予報は15時くらいに1時間ほど雨とのこと(前号でご紹介したtenki.jpです)

バスの車中で滝尻方面が曇っていたので、お客様に雨具を持っているか確認したところ、一人が持っていなかったので古道館でポンチョを買ってもらい出発。

滝尻王子からの登りで、一人が山道に慣れていないことが判明。

少しの段差でも頻繁に手を引いてあげなければ登れない状態でした。

出発前に杖をお勧めすべきでした。

いや、杖があっても難しかったと思います。

不寝王子を過ぎたあたりから雷が鳴りだし、剣ノ山付近であたりが真っ暗になり、とうとう土砂降りの雷雨に。

「雨具を持っている」と言っていたお客様のポンチョがお粗末で、着ている最中に大半が破れてしまう始末。

そんなお客様を尻目に私だけ「完全防備」するわけにもいかなかったのでパンツを穿くことができず、シューズまでずぶ濡れになりました。

結局大雨は掘割あたりで小降りになり、道標6番あたりで止みました。

滝尻~高原に限らず、古道を案内する際に覚えておくと良い点を少し挙げておきます。

  1. シンガポール、香港のお客様は山道に弱い方の率が高い
  2. 雨具・水などの所持の確認は出発前にしておく
  3. 雷が聞こえてきたらすでに落雷の範囲に入っていることを認識しておく
  4. 予備のジップロックは持参しておく

【1について】

特にシンガポールでは山と呼べるような場所がないため、年齢に関係なく山道に弱い方が多いです。

【2について】

日本人であれば、たとえ晴れていても雨具持参は必須だということは分かっていますが、海外の方は持っていない方がいますので、出発前に確認をする必要があります。

ちなみに、海外の方はレインパンツを穿かない方が大半です。「下は別に濡れてもいい」という感覚のようです。

水も夏場であれば最低1リットルは欲しいところです(塩分タブレットも)
ちなみに、塩分タブレットはドラッグストアで簡単に手に入るものはただの砂糖の塊だったりしますので注意が必要です。
私のおすすめはこちらです。
ミドリ安全 塩熱サプリ

ガイドは予備の水(新品)も持っておいてください。お客様が飲み干した時やケガをした時に傷口を洗い流すために使います。

【3について】

以前メキシコのご家族をご案内した時と同じパターン(剣ノ山付近で大雨)でした。

時間的に午後3時あたりは山沿いの夕立に要注意です。

また、滝尻~高原ではあづまやなど避難する場所がないので落雷の避けようがなく、運にまかせるしかありません(それでも、予防策として人との間隔は4m以上開けてくださいね)

【4について】

海外のお客様はパスポートをお持ちなので、ジップロックを用意しておき、突然の雨の際にはお渡しするようにしています。

パスポートは宿のチェックインの時に必要になります(和歌山県警からの指示だと記憶しています)

まだまだありますが、今日はこのぐらいにしといたろ(笑)