闘鶏神社の朱塗りと本宮大社

世界遺産に追加登録された、田辺市にある闘鶏神社では、このたび社殿の修復と江戸時代末期の色彩を復活させたそうです。

闘鶏神社は、424年に本宮大社より勧請された非常に歴史のあるお社です。

昔の熊野への巡礼は、体の悪い人にとっては非常に厳しいものでした。

そういった人たちが闘鶏神社をお参りすることで、本宮大社にお参りしたのと同じとしていたらしいです。

紀伊民報によると、社殿は約360年前に2棟が再現されて以来、修復作業は数回あったそうですが、今回のものが一番大掛かりだったようです。

本宮大社も、江戸時代の大火事以来は現在の白木造りになっていますが、もとは速玉大社や那智大社と同じように朱塗りの建物でした。

朱には意味があり、一つは仏教の影響を受けているということです。
朱(または赤)は魔除けの色とされており、これを塗ることにより、邪悪なものを寄せ付けないという意味があります。
もう一つ、朱には水銀が含まれているため、防腐剤として材の保護の役割もしていました。

本宮は真っ先に仏教色を排除しています。

ではなぜ本宮がその仏教色を排除したのか?

ある方から聞いた話なので真相のほどは定かではないですが、当時、熊野三山には「社僧」と呼ばれるお坊さんがおり、この方たちがそれそれのお社の管理を取り仕切っていました。

社僧とは文字通り「お社の僧」、神社のお坊さんです。

今の時代からすれば変に映りますよね。

その社僧と宮司の仲が悪かったために、宮司が社僧を追い出したという話です。

真相はさておき、神仏分離令のずっと前から仏教色を排除した本宮大社。

ただでは済まない理由が他にもあるかもしれませんね。

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