広川研修① 広川散策

有名人なのでご存知の方も多いと思いますが、今回は濱口梧陵さんについてお話をいたします。
が、その前に、本日の日記を。

午前は、濱口梧陵さんが築いた広川堤防と耐久社を語り部さんにご案内していただき、午後からは和歌山県立文書館の砂川佳子さんの公演を聞いてきました。

午後の講演の内容は午前中に語り部さんから聞いた内容と被るところが多く、お陰様でより理解度が深まりました。

広川堤防

安政の大地震(1854年)の津波で大きな被害を被った広村(現在の広川町)。
再び来るかもしれない大災害に備えるため、そして、津波による塩害などで生活が出来なくなった村人が村から離れて暮らさなくてもいいように、村人を雇って賃金を払いながら私財を投げ売って築いた堤防ということはよく知られた話です。

この堤防、台形をしていて高さが約5m。

「え?低くない?」

と思われるでしょうが、この「台形」というのがミソなのだそうです。

近年建設されている堤防は、上部が海に向かって反っている波返しがあったり、直方体のものが多いのですが、波返しは、跳ね返した波が堤防の根本の海底をえぐり、堤防の基礎を弱くしてしまうそうです。

また、波返しがあったりや直方体の堤防だと、海側にいる時に津波が発生すればもう逃げられません。
しかし、台形の堤防だとどこからでも逃げることができます。

台形の堤防は波が簡単に越えて来そうな印象がありますが、重要なのは完璧に波を防ぐことではなく、津波の力を削ぐことであり、波が堤防を越えて来ても被害が格段に減るという考えが重要だのことです。

また、無機質な現在の堤防は景観も損ねます。

たとえ災害を防ぐものだとしても、百年に一度来るかどうかのもののために、毎日無機質なものが目に入るというのは、人の精神にも少なからず影響はあると思います。

この広川堤防、堤防の海側には松を植え、住宅側には桜とハゼを植えています。

景観にしっかりと溶け込み、この日も堤防の上を散歩している人を見かけましたし、春には花見もできるということです。

ハゼを植えた理由は、当時ハゼの実は和蝋燭の原料として使われていたので、それを売った資金で堤防のメンテナンスをしていたのからだそうです。

まさにSDGs。

そして、津波によって出た大量の瓦礫は、この堤防に中に埋め込んでいるそうです。

東日本大震災でも、瓦礫の処分に困っていましたが、ここではそれを堤防に埋めることによって処分をしたのだそうです。

また、税金の高い土地に堤防を築けば、お米を作れないのでそこが免税になるため、住民が納める税金が軽減されたそうです。
災害で生活に苦しむ住民のために、こういった機転を利かせる梧陵さん、すばらしい。

耐久社

梧陵さんが始めた耐久社の中まで見学することができたのは本当に良かったです。
耐久社は耐久中学校の敷地内にあるため、普段は入ることができないからです。

ここで漢学や武道を教えていたそうです。
この耐久社、松下村塾よりも創建が古いそうです。

耐久社

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