今、なかなか出来なかった引っ越し準備に追われています。
ゴミ捨てだけでもかなりあり、それだけでも時間がかかりそうです。
来週にはガイドもあるのですが、その準備すら出来ずにそのまま出動となりそうです。
なのでしばらくブログの更新を休ませていただきます。
引っ越しが完了し落ち着いたころに再開しますので、そのときはよろしくお願いいたします。
通訳案内士・和田良穂ことYoshiのガイド情報発信ブログ
今、なかなか出来なかった引っ越し準備に追われています。
ゴミ捨てだけでもかなりあり、それだけでも時間がかかりそうです。
来週にはガイドもあるのですが、その準備すら出来ずにそのまま出動となりそうです。
なのでしばらくブログの更新を休ませていただきます。
引っ越しが完了し落ち着いたころに再開しますので、そのときはよろしくお願いいたします。
今、和歌山地域通訳案内士会で和歌山県各地で研修を行なっています。
今は熊野古道や高野山に集中していますが、それだけでは非常にもったいない。
和歌山県のさらなる魅力を発信し、少しでも和歌山県に多く滞在してもらい、和歌山の地域経済の発展に寄与したいという思いがあります。
それにはまず、和歌山のことを知らなければなりません。
研修を通して改めて思うことは、和歌山県に住んでいながら、本当に和歌山県のことを知らないなということを痛感させられることです。
昨日の黒江もそうですし、広村の濱口梧陵さん、有田川町の保田紙など、その地を訪れてお話を聞いて初めて見えてくるその土地の良さと先人たちの苦労やエピソード。
和歌山に生まれ住んでよかったとつくづく思います。
まだまだ学びたいことや場所がたくさんありますが、今度は学んだことをいかにして海外のお客様に発信し、実際に訪れてもらうようにならなければ意味がありません。
研修だけで終わらせないように、その先を見据えて今後も活動をしていきます。
今日は海南市黒江の研修でした。
思ったより見どころが多くて非常に楽しかったです。
細かいところを言い出すとキリがありませんので一つだけ。
黒江といえば黒牛だと思います。
なぜ「黒牛」になったかというと、今の道路がまだ海だった頃、少し沖に牛の背中の形をした黒い島があったので、そこから名付けられたのだそうです。
残念ながら埋め立てのときになくなってしまったらしいのですが、その跡地がいまでも残っています。
残念ながら駐車場になっていますが・・・
黒江散策のあとは温山荘へ。
温山荘は、日本で初めて動力伝導用革ベルトを製作した新田帯革製造所の創業者・新田長次郎により造成された庭園です。
お聞きした話では、当時の敷地は現在よりももっと広かったとか。
その面積5ヘクタール(!)
ちょっと想像できません。
温山荘といえば、昔はバーベキューをした場所・・・程度にしか思っていなかったのですが、改めて訪れてみると、非常に心が落ち着く居心地のいい場所でした。
新田長次郎が健康のために使われていたという理由が分かったような気がしました。
母屋は個人的にはツボでした。
24畳の大広間、その境にある欄間(屋久杉製)・・・1週間でいいから過ごしてみたい(笑)
お昼は、うるわし館近くのぬりもの物館に行ってみたのですが、平日にも関わらず満席。
気を取り直して次に向かったのは「べっちんさん」←詳細はココをクリック
日本家屋を改築したお店で、店内は昔ながらの趣を残しています。
こちらで紀そばと早なれずしのセットをいただきました。
何を隠そう、早なれは初体験だったので、かえってこっちの方が良かったかも。
意外にクセがなく、柿の葉寿司やサンマ寿司のような感じでした。
ちょっと覚悟していたのですが、いい意味で肩透かしを喰らった感じです。
でも、美味しかったです。
午後からは藤白神社を訪れました。
毎回中身が濃いなぁ。
楽しいです。
今回行けなかった「ぬりもの館」はこちら。
お昼はランチを楽しむマダムが多いので、行く前には予約をしておいたほうがいいです(営業時間:11時~17時、火曜水曜は定休日)
古民家カフェ 黒江ぬりもの館
実際に外国のお客様をご案内するのは約2年半ぶりだったので、不安はありましたが何とか無事に終えることができました。
ただ、やはり英語が錆びついていると実感するところがあり、以前は簡単に出てきた単語や言い回しを忘れてしまっていて、ちょっと歯がゆい思いをしました。
今回はイギリスからのお客様で、旅行会社を経営しておられるご主人とその奥さんでした。
10月11日に規制が緩和され、個人旅行の問い合わせや依頼が増えてきています。
ようやくかといった感じですが、早くコロナ前の状態まで戻って欲しいものです。
政府は7日、旅館業法改正案を閣議決定しましたが、各メディアの報道に差があります。
NHK 新型コロナ感染対策など 旅館業法の改正案を閣議決定
毎日新聞 旅館業法改正案を閣議決定 感染対策応じない客の宿泊拒否可能に
東京新聞 感染対策せぬ客、宿泊拒否可能に 旅館業法改正案を閣議決定
日経新聞 コロナ疑い客、宿泊拒否可に 旅館業法改正案を閣議決定
時事通信 マスク未着用「宿泊拒否」可能に 旅館業法改正案を閣議決定
一体、どれを信じていいのでしょうか?
このことについて、わかりやすく説明してくれている動画がありますので、一度ご覧になってください。
ただ、動画の中で「旅館業法の改正案を厚労省のHPで見てみました」とありますが、そのソースが分かりませんでした。
なので、真相のほどは定かではありません。
厚労省に限らず、情報の出どころくらいは一般の人にも簡単に分かるようにしてもらいたいですよね。
これではみんなマスコミのいうことを鵜呑みにしてしまいます。
いくら厚労省の副大臣がツイッターで言ったとしても、「焼け石に水」のような気もします。
現在、色んなことが同時多発的に起こってなかなか大変です。
しかし、非常に充実した日々を送っています。
ガイド関係では、ようやく入国の規制が緩和され、徐々にではありますが問い合わせや実際にツアーが決定したりということが起こっています。
私も明後日は2年半ぶりのガイドです。
久しぶりなので先日は下見に行ってきました。
また、説明練習もしなければなりません。
また、インタビューの依頼もあり、ガイド時におけるトラブルの発生やその原因、予防などについてお話させていただく予定です。
また決まればこちらでご紹介させていただきます。
次に、今住んでいる住居、2年ほど売りに出していましたがようやく売却が決定しました。
なので新居を決めて引っ越しまでをわずか1ヶ月に済ませなければならないため、今はこちらに集中したいと思っているのですがなかなか思うように動けません。
色んなことが一気に起こっているからです。
農地がすでに決まっていれば、その周辺で一戸建てのもっと小さい家を買えたのですが、とりあえずは農地が決まるまでは賃貸に入って探すことにしています。
10月からは農業に関する技術習得研修が始まりました。
1ヶ月5日間の月曜から金曜にかけてあり、それが5ヶ月続きます。
なので終了が来年の2月です。
毎月5日間、御坊市通いです。
また、追加の研修もあり、それにも可能な限り参加する予定にしています。
この研修中に、農地を探す予定にしています。
もっと早く探しておけば賃貸に入らずに済んだのにと後悔しています。
10月は和歌山地域通訳案内士会の研修を2つ入れていました。
当会は、和歌山県の魅力を発信・紹介できるガイドと職員を育成するために現在急ピッチで和歌山各地の魅力的な場所や偉人たちについて学ぶ機会を設けています。
この急ピッチが結構仇となっています(笑)
1回目は濱口梧陵さん、2回目は海南黒江と藤白神社です。
この状況の中で、農家さんからは梅を干す作業に来ないかとお誘いを受けています。
梅について学ぶいい機会ですが、なかなか時間が作れません。
参政党の活動も本格化しつつあります。
もしかすると、党員、または一般の方に向けて熊野についての話をさせていただくかもしれません。
ただ、これは今はとても準備できる環境ではありませんので待ってもらおうと思っています。
前回の記事をまだお読みでない方はこちらから
広川研修①
午後からは、和歌山県立文書館の砂川佳子さんの講演を聞きました。
和歌山県立文書館って、あまり馴染みがありませんでしたが、古文書や公文書、行政刊行物の収集・保存・活用により、和歌山県の学術・文化の発展に寄与することを目的として平成5年7月に開館した施設です。
今回は、濱口梧陵さんに関する古文書「夏の夜かたり」から、梧陵さんがどういった人物だったのかを読み解く、という内容でした。
稲むらの火のおさらいです。
濱口梧陵さんといえば、稲むらの火というイメージを持たれる方が多いと思います。
安政の大地震は2回起こっています。
1回目は1854年12月23日午前9時頃、2回目はその約32時間後の12月24日午後5時頃です。
津波は2回目の時に起こっています。
この時、梧陵さんも津波に飲まれています。
難を逃れ、広八幡神社にたどり着いた梧陵さんは、次に来る津波に備えます。
逃げ遅れた住民や津波で沖に流されてしまっていた住民を、避難場所である広八幡神社に誘導するために、道しるべとして稲むらに火を放ちます。
稲むらとは、収穫後の藁を積み上げたもので、草履などを作るためのいわゆる「藁の倉庫」のようなものです。
他には畑のマルチとしても使われています。マルチとは、土の温度を過剰に上昇させないように敷くシートのことで、現在はビニール製のものが用いられていますが、現代でも利用しているところがあるそうです。
ビニール製は時期が終われば後片付けをしなくてはいけませんが、藁はそのまま畑にすき込んでしまえば堆肥になります。
いまでも、熊野古道沿いでは近露で見ることができます。
しかし、夏の夜かたりでは「『ツナミ』に『ススキ』へ火ヲ付ケシ如キハ決シテ大恩ト云フニアラズ」と書いています。
つまり、稲むらに火を付けたことは大きな恩ではないというのです。
記述には続きがあります。
「広村永遠ノ救済ヲ講ゼラレシコトコソ大恩有之所謂ナリ」
とあり、「広村永遠の救済策を講じられたことこそが大恩のいわれである」と述べています。
梧陵さんは、津波に遭って逃げる術を失った住民に対して、機転を利かせて稲むらに火を放ったことはもちろん称賛に値することなのですが、それ以上に、広村を「永遠に」救済する活動をされたことの方が遥かに功績が大きいということを述べているのです。
震災後の取り組みとして
などがあり、生活に困った住民を救済するために尽力されています。
濱口梧陵さんの伝記については、濱口梧陵伝などがありますが、瓦礫処理について書かれているのは夏の夜かたりだけだそうです。
梧陵さんは震災前からずっと広村の発展に尽力をされてきたという点も見逃せません。
震災後広村を離れたあとは寺朋輩(てらほうばい・同じ寺子屋で学んだ仲間)の伝八や村の有力者が、異国船来襲に備えて農夫・漁夫へ鉄砲の訓練をしたり、熊野古道参詣者の利便性向上のために新しい道をつくったり、汽船と銀行を誘致したりと、さまざまな事業に取り組みました。
梧陵さんの残した功績は、計り知れない大きさがあり、現代そして未来永劫、語り継がれていくことでしょう。
今回のこういった話を聞いて、思わず梧陵「さん」と言いたくなるような人物像が私には見えて来ました。
新宮の方が「徐福さん」と呼んでいるような感覚でしょうか。
しかし、徐福はあくまでも伝説の域を出ない上に、始皇帝を騙して大金を巻き上げ、自分本位の勝手な考えで秦から逃げて来たのに比べ、濱口梧陵さんはきちんと史実として、しかも公のために身を粉にして尽力された記録が残されている点から言えば、私は「徐福」と呼び捨てにはできますが、梧陵さんの場合はそうはいきません。
新宮の人に怒られるな(笑)
徐福についての考証は、こちらをご参考にされてください。
有名人なのでご存知の方も多いと思いますが、今回は濱口梧陵さんについてお話をいたします。
が、その前に、本日の日記を。
午前は、濱口梧陵さんが築いた広川堤防と耐久社を語り部さんにご案内していただき、午後からは和歌山県立文書館の砂川佳子さんの公演を聞いてきました。
午後の講演の内容は午前中に語り部さんから聞いた内容と被るところが多く、お陰様でより理解度が深まりました。
安政の大地震(1854年)の津波で大きな被害を被った広村(現在の広川町)。
再び来るかもしれない大災害に備えるため、そして、津波による塩害などで生活が出来なくなった村人が村から離れて暮らさなくてもいいように、村人を雇って賃金を払いながら私財を投げ売って築いた堤防ということはよく知られた話です。
この堤防、台形をしていて高さが約5m。
「え?低くない?」
と思われるでしょうが、この「台形」というのがミソなのだそうです。
近年建設されている堤防は、上部が海に向かって反っている波返しがあったり、直方体のものが多いのですが、波返しは、跳ね返した波が堤防の根本の海底をえぐり、堤防の基礎を弱くしてしまうそうです。
また、波返しがあったりや直方体の堤防だと、海側にいる時に津波が発生すればもう逃げられません。
しかし、台形の堤防だとどこからでも逃げることができます。
台形の堤防は波が簡単に越えて来そうな印象がありますが、重要なのは完璧に波を防ぐことではなく、津波の力を削ぐことであり、波が堤防を越えて来ても被害が格段に減るという考えが重要だのことです。
また、無機質な現在の堤防は景観も損ねます。
たとえ災害を防ぐものだとしても、百年に一度来るかどうかのもののために、毎日無機質なものが目に入るというのは、人の精神にも少なからず影響はあると思います。
この広川堤防、堤防の海側には松を植え、住宅側には桜とハゼを植えています。
景観にしっかりと溶け込み、この日も堤防の上を散歩している人を見かけましたし、春には花見もできるということです。
ハゼを植えた理由は、当時ハゼの実は和蝋燭の原料として使われていたので、それを売った資金で堤防のメンテナンスをしていたのからだそうです。
まさにSDGs。
そして、津波によって出た大量の瓦礫は、この堤防に中に埋め込んでいるそうです。
東日本大震災でも、瓦礫の処分に困っていましたが、ここではそれを堤防に埋めることによって処分をしたのだそうです。
また、税金の高い土地に堤防を築けば、お米を作れないのでそこが免税になるため、住民が納める税金が軽減されたそうです。
災害で生活に苦しむ住民のために、こういった機転を利かせる梧陵さん、すばらしい。
梧陵さんが始めた耐久社の中まで見学することができたのは本当に良かったです。
耐久社は耐久中学校の敷地内にあるため、普段は入ることができないからです。
ここで漢学や武道を教えていたそうです。
この耐久社、松下村塾よりも創建が古いそうです。
近日中に2年半ぶりに私も外国からのお客様をご案内することになっています。
今回は歩き慣れている発心門王子~本宮大社ですが、最後に歩いたのが今年の1月なので下見に行ってきました。
ただ7km歩くだけでは物足りないので、本宮大社から往復をしました。
けっこう早足で歩いたので、本宮大社~発心門王子まで1時間20分で歩けました。
なので単純に往復で休憩時間も入れて3時間。
これくらい歩ければ満足です。
さて、肝心の下見ですが、やはりやっておいて良かったです。
以前は発心門王子バス停に自動販売機がありましたが、今はそれが使えなくなっていました。
他には、道中の無人販売にニホンミツバチのハチミツが置いてあったり、伏拝王子休憩所で新たにオレンジジュースがメニューに加わっていたり。
サツマイモドーナツをいただきましたが、お世辞抜きで美味しかったです。
下見の重要性を改めて感じました。
また、久しぶりにお会いした元当会メンバーに出会ったり、地元の方とお話をしたりで非常に充実した下見でした。
楽しかったぁ。
祓戸団地にあるお菓子屋さん「HOUBI」にも立ち寄りました。
https://www.instagram.com/houbi_kumano/
米粉クッキーなど体に優しい原材料を使っています。
本宮にお越しの際は是非お立ち寄りください。
にき@うんざりさんのツイートから。
365日不織布マスクを消費しながら紙ストローごときでエコぶるなよ
いやほんと、おっしゃる通りです。
プラ製ストローより生産コストと水を使う紙ストローのどこがエコなのでしょうか?
紙ストロー賛成派は、布製マスクにするか、いっそマスクを外しましょう!
あと、マスクって、けっこうあちこちに捨てられていますよね。
道端にもよく落ちています。
本当に怖い感染症が流行っているのであれば、マスクの廃棄にも相当神経を使わなければならないはずですが、けっこう普通のゴミ扱いで捨てられています。
マスクをしてる人、神経大丈夫か?
コロナが怖いからしてるんですよね?
そのウイルスがついているかもしれないものを平気で捨てられる、そしてそれを処分する人も普通に処分しているこの現状をどう理解すればいいのでしょうか?
紙ストロー問題については、こちらもご参照ください。