終戦記念日に想うこと

大東亜戦争(太平洋戦争)が終結して72年が経ちました。あなたはこれを「随分昔の話」と取りますか?「たった72年」と取りますか?

たくさんの先人たちが我が国、地域、家族、恋人を守るため、食糧や弾薬が尽きても玉砕もいとわず散っていかれました。

そもそも、アメリカをはじめとした国々の経済制裁やハルノートなどの策略(というかソ連の策略と言った方がいいかも)、日本侵略を狙ったオレンジ計画などにまんまと嵌められ、追い詰められ、アメリカには何度も和平交渉を申し込むも、頑なに拒否されました。

当然です。当時のアメリカはヨーロッパ列強諸国より出遅れた、アジアでの利権を得るための口実が欲しかったからです。

「このまま経済制裁で国が枯渇して国民が滅びるか、たとえ我が国民が全滅しようとも、最後の一人まで戦い抜くか」という選択肢に後者を選んだ我が国。

まさに当時の日本は「窮鼠猫を噛む」という状態で、学校で教わったような「侵略戦争」では決してありませんでした。

前者をもし選択していたら、現在は「日本国」ではなくなっていたかもしれません。いや、厳密にいえば後者を選択した今も「本来の日本国」ではなく、「日本のような国」と言ったほうが正しいのかもしれません。

現に日本人のほとんどが我が国のことを外国人に説明できず、国外で自国の説明を求められて恥をかくという事態が起こっています。あなたは日本について、外国人に胸を張って説明できるものがありますか?ないとするならば、あなたはそれでも「わたしは日本人です」と胸を張って言うことができますか?あなたは日本についてどれくらい知っていますか?

また、アメリカでは、在米中国人・韓国人に日本の子供たちがいじめを受けています。

「おまえたちの国は過去に残虐なことを我々にした鬼だ」

「たくさんの女性が従軍慰安婦として強制連行された」

子供が食べているおにぎりをみて

「お前が食べているのはうんこだ」

レストランでは日本人が入店しても無視をして全く対応しない・・・

戦後の自虐史観を植え付けられて育った子供たち(現在の大人・政治家でさえも)は、こういったことに反論できず、「なぜ僕を日本人として生んだんだ」と親に食ってかかる子もいるそうです。現在、在米日本人が圧倒的に彼らよりも少なく、おとなしくしていないと何をされるかわからない状態で泣き寝入りをしているそうです。

そもそも事の発端は何なのか?

戦後の歴史をたどればそのほとんどがGHQの占領政策に行きつきます。調べれば調べるほど、面白いように突き当ります。

「祭日」という言い方がなくなり、ことごとく祭日の呼び方が変わったのも、かつて11あった宮家(天皇の家系)を廃止したために「後取り」が危うくなり、結果「女系天皇容認論」が出たのも、財閥を解体したのも、学校では意味のない縄文時代から何度も教えられ、近代史を教えてくれないのも、「大東亜戦争」から「太平洋戦争」と名前が変わったのも、パン食・牛乳が浸透したのも、すべてGHQによるものです。

祭日を例に挙げましょう。

春季皇霊祭(歴代天皇を供養する日。春と秋の年2回執り行われる)→春分の日

秋季皇霊祭→秋分の日

紀元節(初代天皇・神武天皇が即位したとされる日)→建国記念の日

新嘗祭(その年の初めての収穫を天皇陛下が神に奉げる日)→勤労感謝の日

明治節(明治天皇誕生日)→文化の日

すべてそれぞれの日に意味があり、最近制定された「海の日」や「山の日」のような、こじつけた日はありませんでした。

日本人にその意味を分からせなくさせよう、天皇と国民を切り離そうと意図したGHQの思惑が見事にはまり、現在ではその意味が分からない国民がほとんどではないでしょうか?

「昼と夜の長さが一緒の日」

・・・だから?なんで休みなの?と言いたい。

学校では我が国はコテンパンにされて負けたイメージを植え付けられましたが、当時の日本軍の兵力はアメリカの約2倍あり、アメリカは日本に辛勝したというところが事実です。さらにアメリカ兵は日本人の精神性を非常に恐れ、玉砕覚悟の「万歳突撃」や「神風特攻」が理解できず、精神的に病む兵士が続出したそうです。

「二度とこんな恐ろしい国が立ち上がれないよう、骨抜きにしてやろう」

これがGHQの敷いたWGIP(War Guilt Information Program)です。

GHQは、すべてのメディアを規制・検閲し、アメリカに都合の悪い報道・記事を書こうものなら即発禁、全国の図書館にあったアメリカにとって都合の悪い書物・日本人に誇りを持たせるような書物もすべて処分し、学校教育では日本の歴史書「古事記」「日本書紀」を駆逐し、自虐史観を植え付けるよう「日教組」を組織し、徹底して自国に誇りを持たせないような教育を行いました。

その結果が、現在の「自国については何も知らない・誇りも持てない・反論もできない日本人」です。

また、当時アメリカで余剰だった小麦の消費を促進させるため、日本の学校給食にパンを導入しました。

日本人を将来根絶やしにするため、女子供を殺すことが目的だった東京大空襲に始まる無差別爆撃、広島・長崎での原爆投下(原爆投下前には「模擬原爆」が日本各地に落とされています)

占領軍による2万件ともいわれるレイプ事件、戦勝国が敗戦国を裁くことが国際法で禁じられていたにも関わらず開かれた東京裁判で、戦犯として祭り上げられ、処刑された方々がいること・・・こういったものはうやむやにされ、今も我が国が悪いとさえ思っている日本人。

愛する国、家族、恋人を守るため、勇猛に散っていった偉大な先人たちは、誰ひとり今の日本の、日本人のこんな姿を想像していなかったでしょう。

そんな方々の尊い命を無駄にしてもいいのでしょうか?

私は、外国人に日本の素晴らしさを伝え、それを自国に持ち帰ったお客様が周囲の人々に日本の素晴らしさを伝えることにより、民間レベルで世界の平和に少しでも貢献できるようにという願いを込めてこの仕事をしています。ですので、他にもっといい方法があれば、あっさりガイド業をやめてそちらに注力することも考えています。また、趣味である武道を通じて日本国民にも日本の素晴らしさ、正しい歴史、そして英語を教えることにより、この国に生まれてきたことに誇りを持てるよう、きちんと説明ができるよう、また、批判的な外国からの意見にきちんと対応できる、そういった人材を育て、国内外で世界平和の礎を築くことを目的としています。

現在の日本人の魂のレベルは、お互いに邪気をぶつけあい、憎み合い、弱い者をいじめ、「自分さえ良ければ」と考えているせいで、戦時中の人々のものよりも低く、日本の歴史の中でも最も低いそうです。戦時中は人を殺める行為自体は良くないものの、「我が命に代えても自分の国・家族を守るため」という純然たる動機がありました。

また、日本語も大いに崩れてしまい、「言霊」の力も非常に弱くなっているそうです。

現在は個や実力を尊重する西洋思考が広がり「自分さえ良ければ」「実力さえあれば年齢は関係ない」という人が確実に増えています。

「和を以って尊しとなす」の精神が失われつつあり、「順序の理」も封建的な職場以外ではほぼ壊滅状態にあります。

日本は世界の親国とされています。これは他の国より優れているということではなく、世界の模範となるべき重大な責任を負っているということです。また、日本で起こることは世界でも起こり、世界で起こることは日本でも起こるということも表しています。

日本の良き伝統・文化・習慣・言語を守りつつ、近い将来、日本人が日本人らしく、世界の平和のための模範となれることを切に願っています。

世界で一番歴史が長い国・日本は、古き良き伝統を守るべきなのです。「ワールドスタンダード」が必ずしも正しいとは限らないのです。

現在の日本人は白人至上主義的な考えがあり、なんでも「横文字」にすることが「かっこいい」「おしゃれ」と捉える傾向があります。

「英語がしゃべれるんですか!かっこいいですね」とたまに耳にしますが、何もかっこいいことはありません。きれいな正しい日本語を話している人の方がずっとかっこいいです。私は仕方なく英語を使っているのであって、可能であれば日本語で外国人を案内したいくらいです。妙なカタカナ語を使うのはやめましょう。

話は逸れましたが、「たった72年前」の先人たちの尊い犠牲の上に私たちが暮らしていられているということを自覚し、靖国に祀られている偉大なる先人たちに感謝をささげたいと思います。

大辺路(長井坂)

中辺路の滝尻~那智までは何度も踏破したため、今度は大辺路を踏破しようと目論んでおります。

今回は長井坂を歩いてきました。

以前に一度だけ研修で歩いたことがありましたが、スタートが和深川王子神社であったため、今回は周参見駅から歩くことにしました。

中辺路とは違い、往時は文人・墨客が好んで歩いたとされる大辺路。

距離も長く、田辺から那智の補陀洛山寺までは8日ほどかかります。その中でも屈指の景観と当時の面影が残るルートが、この長井坂。

大辺路は、基本的に国道42号線を基点に「出たり入ったり」しながら進むことが多いですが、このルートはそれがほとんどなく、自然もよく残されています。

ただ、案内標識の整備がまだまだ不十分で、しばしば迷うことも・・・

この日も馬転坂でがっつり迷いました(笑)

お願いです、あそこは絶対に道標を設置してください(切実)

いや、厳密に言うと、あるにはあるのですが、設置場所が悪い(笑)

なぜ分岐に設置せずにそこを通り過ぎた所にそれがあるのか意味が分かりません。

また、手作り感も否めず、危うく見落とす物もありました。

 

中辺路ルートと違い、国道を出入りするので案内板は中辺路よりも細かく設置する必要があります。また、以前より設置している「大辺路」という木製の道標は、矢印が消えていたり、「大辺路」という文字自体も消えてしまっているものもあるため、この際写真の道標のように全部統一して分かりやすくする必要があると思います。

 

距離にして10.5 km、約4時間で見老津駅に到着しました。

帰りは椿で温泉を楽しみました。

団体代表の悩み

①忙殺される日々

2016年3月に現Mi-Kumanoの前身、非特定営利活動法人Mi-Kumano より業務を引き継ぎ立ち上げましたが、立ち上げ当時は繁忙期と重なり、目の前の業務をこなすことが精一杯で、忙しさに忙殺される日々を送っていました。

しかしそれは、立ち上げ業務が落ち着いてからも変わることはありませんでした。

ガイド業務に加え、お客様へのメール返信、ガイド手配とガイドへのガイド依頼書の送信、ガイド報告書の作成・整理・提出、保険会社への報告書作成・提出、電話対応、会員への連絡メール配信、役員会議、会員や事務局員からの問い合わせの対応・問題の処理、研修の企画・お知らせ・実施、支払い、給与計算・振り込み、メディアからの取材対応、ホームページの更新、新しいプランの作成・・・繁忙期にいたってはお客様の案内中に電話対応をし(お客様に大変失礼)、宿泊先でお客様へのメール返信や、ガイド手配などは当たり前の状態でした。

さらには、毎日早朝から深夜にかけて鳴る携帯電話の着信音、長電話・・・

 

ノイローゼ寸前でした。

 

当然、ガイド前に予習なんかできる暇もなく、夜遅くギリギリまで業務をこなし、翌朝急いで準備をしてガイドに出る日々を送っていました。

 

「わい(「俺」の方言です)、何やってるんやろ?」

 

そんなことを思うようになりました。

ガイドとしてこの世界に入ったはずなのに、そのガイドが疎かになり、満足いかない案内をくり返す日々。

こうなっては本末転倒です。

この時は「代表になったからって、何らそれらしい仕事はしなくていいから」と、代表に担ぎあげられたことを恨みました。

 

そんな時、立ち上げ以来開くことすらなかったfacebookのアイコンを誤ってタップして久しぶりに開いた時、ある本の広告が目に止まりました。

 

その内容は過激で、すべて真似ることはできませんでしたが、この一冊の本が、忙殺されている日々に風穴を開けてくれることとなりました。

 

その本を読んでから、ためらいはありましたが、思い切って目の前の業務を一旦置いて立ち止まり、時間を取って、自分の抱えている業務を洗い出し、自分にしかできないものと、そうでないものを分ける作業をしました。

すると、「自分が抱えていて、他人でもできる業務がこんなにあったのか」と思えるほどたくさん出てきました。

今は、絶対に自分がしなくてはいけない業務以外を他の会員や事務局員に思い切ってお願いし、自分は団体の代表としての業務ができるようになるため、また、自身のガイドのスキルアップのために時間を使うことができるように現在もその作業を進行中です。

まだまだこれからの部分も多いですが、現在はかなりルールを整備して、ようやく団体代表としての業務ができるきざしが見えてきました。

 

もし、団体の代表の方や、ビジネスオーナーの方で、忙しさに忙殺されている方がいましたら、是非時間を取ってご自身の業務内容を洗い出してみてください。

一見遠回りに見えるかもしれませんが、結果的には近道になるはずです。

 

②ロングコースが歩けない

いつ仕事が入るか分からないこの仕事は一般向きではなく、副業としてする方が向いているためか、どうしても女性会員が多くなる傾向があります。

塾の先生が結構多かったりするのですが、そういった方は夕方から授業があるため時間に制約があり、その日が空いていても時間の都合でNGになるケースが多いです。

さらに、時間の制約以外では、ロングコースが歩けない会員が多く、きついコースは特定の会員に集中し、易しくて人気のあるコースに希望者が集中してしまう傾向にあります。

というか、20kmを超えるようなコースを案内できるのは私しかいません。

先に押さえておいた案内日に、後からロングコースの依頼が入ったために代わりを見つけなければならないケースが、これまでに何度もありました。

そのたびに旅行会社様やお客様に連絡をする手間が増えますし、第一お客様に迷惑がかかります。

そして、ガイドを交代したとたんにキャンセルになり、仕事を失う羽目になったことも何回かありました。

 

その断る理由が「歩ける自信がないから」

 

ただ、ちょっと待ってください。

知識を増やすにしろ、うまく説明できようになるにしろ、コースの情報を頭に入れるにしろ、すべて勉強・練習しなければ出来ないことです。

では「歩けない」と言っている人に聞きたい。

 

あなたは、歩く練習をしていますか?

 

私には本格的な登山経験はありませんが、ガイドを始める前は、和歌山県と奈良県の県境に位置する果無(はてなし)山脈の魅力に取り憑かれ、4年間にわたり、雨の日も雪の日も(果無では、雪が膝の高さまで積もることもしばしばです)仕事の休日ごとに通っていました。

そこで得た歩き方のコツが今も生きています。

今は毎朝仕事前に20分ほど歩く程度ですが、それでも全くしないよりは断然マシでしょう。

熊野古道を歩く練習をすればコースも覚えることができて一石二鳥で一番いいのですが、地理的に遠すぎて無理な方は、何かしら工夫することで歩く練習をすることができるはずです。

「忙しい」は理由になりません。

 

現在、男女平等が叫ばれていますが、「女性だから無理」という考えは、今の男女平等の考えと照らし合わせてみたときにそれが「女性差別」になりはしませんか?

 

もちろん無理強いはできませんが、男女含めて「歩けるようになろう」と努力していると思われる会員が見当たらず、簡単に「あ、わたしはそのコースは無理」と言って逃げている人が多いように思います。

ロングコースは距離が長い分リスクも高まりますし、時間管理が厳しくなります。

誰だって受けるのに躊躇します。はっきり言って私も怖いです。

 

また、私が倒れたり、同じ日にロングコースが重なったりすれば、お断りしなければなりません。

実際にそういったケースもありました(倒れてはいませんが)

 

ここは早急にクリアしなければならない課題です。

熊野古道英語ガイドって?②(2018年12月改訂)

2.高野熊野特区通訳案内士の現状と課題

2018年12月現在、180名が登録されていますが、実際に案内に出て報酬をいただいているガイドの割合は決して高くはありません。

昨年度は21名が合格しましたが、うち、Mi-Kumanoで活躍しているガイドはたった一人。

私が受験した年度でも、やはり合格はしたけれども業務に携わっていないという方が多いです。

これは通訳案内士においても状況は同じです。

理由は様々なことが考えられますが、以下のような理由が考えられます。

① 収入が安定していない

当然、仕事がなければ収入は発生しませんので、月によってばらつきがあり安定していない仕事です。

特に熊野においてはピークシーズンがはっきりとしているため、残りのシーズンをどうするかが最大の課題です。

私は専業ガイドですが、熊野でこれを生業にしている人は私の知る限りでは他にいません。

熊野を訪れる外国人旅行者は年々増えてはいますが、いまだ梅雨や冬はまさに閑古鳥が鳴く状態で、現実問題として生活面ではかなり苦しいのが現状です。

また、依頼件数は着実に伸びてはいますが、依頼がピークシーズンに集中するため、一日で4件、5件と入る日も珍しくありません。

ただ、そうなっても団体としてはうれしいですが、個人的には何の恩恵もありません。私の体はひとつしかありませんので、たとえピークシーズンとはいえ、1ヵ月で得られる収入には限界があるということです。

② とりあえず受けてみた

まえがきにも書きましたが、「ガイドをすることによって自分は何をしたいのか」という明確な目標を持たずに「とりあえず受けてから考えよう」と考えている方が多いように思います。私の場合は、ガイドになることは手段であり目的ではありませんでしたので、合格した際には「さあ、これからや」という気持ちがありました。

みなさんはどうですか?

あと、「研修や受験が無料だからとりあえず来た」と自己紹介でおっしゃっている方がいましたが、こういった物見遊山的な方がいるのも事実です。

しかし、受験料を徴収する通訳案内士の試験に合格したにも関わらず、業務についていない方がいるのも事実で、一概に「無料だから」というのは理由にはならないと思います。

ちなみに、データが古いですが、観光庁の2014年の調査では、通訳案内士を専業として活躍されている方は、全体の約6%にとどまっています。

熊野においてはさらに低いはずです・・・

③ どうやって仕事をもらえるのかわからずそのままになっている

いざ合格はしたものの、どこに登録しようか、どうやって仕事をもらおうかと迷っているうちに日々の忙しさに流されてそのままになっている方がいるのかも知れません。

一番の方法はガイド団体に所属することですが、私どものPR不足が原因なのか、入会する方が毎年非常に少ないです。

研修の場でも、ガイド団体に所属する方法をお伝えしているはずですが、もう少し私たちが踏ん張らないといけないところなのかもしれません。

あるいは、私のことが嫌いとか・・・

④現在の仕事との兼ね合いが難しい

兼業を目的とされている方については、本業の休日に合わせる必要があるため、なかなか予定が組みにくいということが考えられます。

私も本業を持っていた時は、せっかく仕事のオファーが来ても受けられなかったり、逆に、せっかく職場に無理を言って休日を取ったにも関わらずキャンセルになってしまったりと、本業との兼ね合いが難しい部分があります。

⑤ 地理的に遠い

高野・熊野地域通訳案内士の受験者のうち、紀北方面の方が大半を占めています。

これでは、何日もかけてお客様とご一緒するスルーガイドならともかく、1日のみのガイドであれば、はるばる紀北から交通費と時間をかけてやってきて、長距離を歩いて案内することは現実的ではありません。

逆に、私どもはもちろん高野山を案内することも可能ですが、交通の便の悪さも手伝って現実的には不可能に近いのと同じです。

また、スルーガイドは初心者にとってはハードルが高すぎます。

3.誰でもガイドができるようになった

昨年(2016年6月2日)、「通訳案内士の業務独占規制を廃止し、名称独占のみ存続する」ことが閣議決定されました。

・・・なんのこっちゃ。

要は、「通訳案内士の資格がなくても有償で案内できますが、資格を持っていない人は『通訳案内士』と名乗ることはできません」ということです。

爆発的に増加する外国人旅行者に対応する苦肉の策ですが、心配されるのが「ガイドの質の低下」です。

ガイドは言語のスキルだけあればなれるものでもなく、知識があるだけでもなれるものではありません。

たとえ英語を流暢に話せても、知識がないガイドはやはりクレームの対象となります。

熊野のガイドではないですが、お客様から「前のガイドは何も知らなかったからこちらにお願いに来た」と聞いたことがありますし、また、「○○のガイドはジャパニーズアクセントが強すぎて何を言っているのか分からない時があった」と聞いたこともありました。

ですので、有資格者全員が素晴らしいスキルを持っているのかといえば疑問です。

ある旅行会社からは「通訳案内士でさえ、お客様を満足させるどころか、がっかりさせてしまった人がいるので、お宅は大丈夫か?」と聞かれたことがあります。

ある一定の基準で合格したガイドでさえ、このようなクレームが出るということは、無資格者が案内すればどうなるのか・・・想像に難くありません。

ましてや、経験がものをいうこの世界で、一体誰からノウハウを学ぶのでしょうか?

おそらくガイド団体がその受け皿になるのでしょうが、そうなるとさすがに「誰でもOK」というわけにはいきません。ましてや興味本位で来た人にそれを教える暇なんてありません。

現在は資格がその基準となり、個人差はあれ一定のスキルを知ることができましたが、業務独占廃止後は、各団体でその基準を設けることになるでしょう。

そうなると、逆に有資格者が入会や仕事を受ける際に優遇されることになるでしょうし、それが強みになると思います。

現在Mi-Kumano でもその基準を作成し、試験的に実行しています。

1回の面接だけで絶対分かるわけがないですから。

ガイドの質は団体の評判に関わることですので、ここは慎重にならざるを得ません。

ただ、言語のスキルがあり、着付けや武道、茶道など、自分の得意分野を持っている方なら、無資格者でもその特定の分野限定で即威力を発揮できるかと思います。

また、言語スキルのある方は、1年に一度しかない受験を待たずして数カ月でガイドデビューできる可能性もあります。

熊野古道英語ガイドって?(2018年12月改訂)

1.高野・熊野地域通訳案内士と全国通訳案内士
こうや・くまのちいきつうやくあんないし・・・やたらと長い名前ですが、要は高野山と高野山に関連する周辺地域、和歌山県内の熊野地域限定の英語ガイドです。
以前は、無資格者が有償で外国人を案内すると法律により罰せられましたが、2018年1月に法律が改訂され、誰でも有償で案内することができるようになりました。
高野・熊野における「特区」の具体的な市町は、高野町、橋本市、九度山町、かつらぎ町、田辺市、白浜町、上富田町、すさみ町、串本町、那智勝浦町、新宮市の11市町です。
ちなみに、高野熊野地域通訳案内士を目指している方は、これぐらいは言えるようになっておいてくださいね。

高野・熊野地域通訳案内士になるには、一定の研修(座学と現場研修)に参加し、各市町が定期的に開催している救命救急講習を受け、面接試験に合格すればOKなので、比較的容易にライセンスを取得することができます。

さらに研修から試験までは無料です。
英語は、受験年度のTOEIC750点以上を取るか、英検2級以上を取る必要があります。
募集がだいたい8月くらいから始まり、12月くらいまで座学、その後翌年2月まで現場研修を行い、3月に面接試験があります。
ですので、今年度の面接試験を受けたいのであれば、試験までに上記試験のいずれかの基準を満たしていることが条件となります。ただし、両資格とも、今年の4月~翌年の試験までの間のもののみ有効となります。
また、英検2級保持者は、別に語学研修を受けなければいけません。

また、平成29年度より、フランス語、スペイン語、中国語が追加されました。ただし、英語を含めた言語を母国語とされている方は、別に日本語能力試験のN2に合格しておく必要があります。

見事面接試験に合格した人は、交付式の後に、和歌山県が主催する「ビジネスマッチング」に参加することができます。

ビジネスマッチングは2017年度より始めた新しい試みで、旅行会社やガイド団体に自身を売り込むことができる場を設けたものです。このおかげで、当団体も今年は7名の新規入会者を獲得することができました。

詳しくはこちらをご覧ください(2018年度版)

https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/062500/index_d/fil/H30tsuuyakuannaishi.pdf

一方、国家資格である全国通訳案内士は試験が難関で、10年近くかけてようやく取得された方もいます。
国家資格なので、難しいのは当たり前といえばそうかもしれませんが。
試験内容は筆記試験と面接試験ですが、第一段階である筆記試験で大半が落ちます。
試験内容は英語・一般常識・地理・日本史・通訳案内実務(2018年度追加)の5科目。

英語・一般常識・地理・日本史については受験免除の基準があります。

英語については、以前は以下のいずれかの基準を満たしていることが条件でしたが、平成30年度より基準が引き上げられていますのでご注意を。

【改訂前】
① 英検1級
② TOEIC 840点以上
③ TOEIC SWテストのうちスピーキングテストで150点以上
④ TOEIC SWテストのうちライティングテストで160点以上

一度取ってしまえば何年でも「使いまわし」ができる。

【改訂後】

① 英検1級
② TOEIC 900点以上
③ TOEIC SWテストのうちスピーキングテストで160点以上
④ TOEIC SWテストのうちライティングテストで170点以上

受験日より過去1年のものに限る。

以前より随分と厳しくなった感がありますが、特に語学に関してはコミュニケーションができなければ案内以前の問題となりますので、当然だと思います。また、「賞味期限」を設けたのも納得ができますね。

また、2018年の法律改正により、有資格者は5年ごとに登録研修期間が行う定期研修への参加が義務付けられました。

あとは、県内在住者に限ってですが、和歌山県の主催するビジネスマッチングに参加することができます。

受験料は11,700円。
わたしは2年がかりで通訳案内士の試験に合格しましたので、23,400円かかったことになります。
2回とも受験者の数が半端なく多かったので、「JNTOと受託業者は一体いくら儲かってんだ?」と単純に思ったことがあります・・・

それはさておき、ここで高野・熊野地域通訳案内士と全国通訳案内士の受験および受験後のメリット・デメリットをまとめておきます。

【高野・熊野地域通訳案内士】

メリット

① 研修・受験が無料

② 英語の基準が通訳案内士よりも緩い

③ 筆記試験がない

④ 有資格者は、和歌山県が年に数回実施する「スキルアップ研修」に無料で参加することができる

⑤有資格者は、和歌山県が主催する「ビジネスマッチング」に参加できる

デメリット

① 知識の習得は高野・熊野地域限定となる

② 英語の基準が緩いため、低めの基準で合格した人は、すぐには使い物にならない可能性がある

【通訳案内士】

メリット

① 日本全国についての勉強をするため、地域通訳案内士よりも日本についての知識が豊富

② 国家資格である

③県内在住者は、和歌山県が主催するビジネスマッチングに参加できる

デメリット

① 11,700円の受験料がかかる

② 筆記試験が難関

③ 筆記試験の免除基準が高い

④ 5年ごとに登録研修期間が行う定期研修参加の義務

ここまで書くと、全国通訳案内士の資格を取る意味が薄れるように思われがちですが、地域限定版に比べて明らかに視野も知識も広がり、案内の幅も広がりますので、取得しておいて損はありません。むしろお勧めします。

受験料ですが、華道なんかでは「免許皆伝に云十万」なんて聞いたことがありますので、そのことを思えば安いものです。また、仕事を始めるに当たっての初期投資はほとんど必要ありません。

そして、両方のデメリットとして、「試験が1年に一度しかない」ということです。

英語の能力に関して、高野・熊野地域通訳案内士の基準ギリギリで合格された方は、はっきり言って英語の能力はかなり落ちます。
ここはもう少し基準を上げるべきだと考えています。
あと、全国通訳案内士であれ、高野・熊野地域通訳案内士であれ、TOEICを基準に入れるのはいかがなものかと思います。
・・・かくいうわたしも、TOEICで英語の筆記試験を免除にしてもらったクチですが(笑)
ですので、英語のスキルに関しては「どちらも高いが、どちらも低い」と言わざるを得ません。
ただし、免除基準にTOEICが加わるまでは、全国通訳案内士の方が間違いなく高かったことは事実です。

長くなるので一旦切ります。

ガイド体験談①服装

熊野古道のガイドになってから気づいたことなどをシェアしたいと思います。

まず、お客様の服装ですが、日本人では信じられない格好で参加される方もちらほらいらっしゃいます。

以下、私がご案内したお客様や、遭遇した古道ウォーカーの実例を挙げてみます。

1.Tシャツ、短パンは当たり前

驚くほどみなさん、肌を露出します。たとえそれが肌寒い3月であっても関係なしです。どうも西洋人は東洋人と比べて基礎体温が高いようで、肌を露出することでうまく調整することが狙いだと思いますが、あまりにもこのスタイルが多いので、お客様に「それ、スタンダードなんですか?」と聞いたことがあります。答えはもちろんYES。ただ、心配なのが蛇やハチ、アブといった人間に危害を加える恐れのあるやつらが古道にはいるということ。幸いにも、今まで被害に遭ったという報告はありませんが、肌の露出は上記にような生物がいる以上好ましくありません(アブに刺された方はいましたが)

そして一番恐ろしいのがマダニ。

日本人の方ならご存知でしょうが、肌の露出は「噛んでください」といっているようなもの。現に、古道中にある高原地区では地元の方がマダニに噛まれ、高熱で苦しんまれたそうです。できれば肌の露出はやめてほしいですね。

そして、中にはタンクトップというツワモノも。5月にお客様を案内してる時、タンクトップ+短パンという出で立ちの女性2人組と、女坂終点あたりで遭遇しました。

「あーあ、大変なことになるぞ」

と思いながら、本宮大社まで抜きつ抜かれつで歩いていたんですが、会うたびに彼女たちの肌が徐々に赤くなっていき、本宮大社到着時にはゆでダコ状態に。

肌が白い方々だったので、余計に堪えたでしょう。特に5月は日照時間も長く、紫外線が一番強い時季なので、日焼け対策は万全にしておかないといけません。ちなみに、オーストラリアでは数年前に日焼けマシーンが法律で禁止になりました。オーストラリアの北側は特に紫外線が強く、皮膚がんの発生率が非常に高いそうです。

お会いした時は通常の長い丈のトレッキングパンツを履いていたのに、トレッキングスタート前に膝あたりにあるファスナーを外し、短パンスタイルに変貌したお客様もいました。

やれやれ。

滝尻は蚊の多いエリア。お客様を案内している時に、これまた短パンTシャツ姿の女性2人組と乳岩付近で遭遇。蚊の猛攻に遭い、スパッツに穿き換えている最中でした。

2.サンダル

さすがに初めてこれを見た瞬間は「熊野古道をナメてんのか」と憤りを覚えた記憶があります。

旅行会社が事前に十分な情報を与えていなかったのか、それとも与えていたにもかかわらずお客様が守らなかったのかは分かりませんが、わたしだけはなく、他のガイドからも同じ報告を複数受けています。

当たった方、アンラッキーです(笑)

そういう人には、歩く前に危険であることをお伝えし、ガイドのすぐ後ろを歩いてもらうようにしています。

あと、クロックス履きの方も見ました。

「これが世界で一番のトレッキングシューズだ。ふかふかしていて濡れても平気」

とか抜かしていらっしゃった。

「だったら雨に濡れた下りの石畳を歩いてみろ」と言いたい。おそらくそんなことを自慢げに平気でいう人は頑固者なので、滑って文字通り頭を打たないと分からないでしょう。

3.チュニック

やめてください(笑)

お会いした瞬間、そのツアーに何かしらの問題が起こるのではないかという嫌な予感が的中。

滝尻から歩き出し、寝不王子で彼女がリタイヤ。彼女と共に下山しました。その最中、やはり蚊の猛攻に遭い、13か所を刺される惨事に。ふもとの「あんちゃんの店」の方がかゆみ止めをくれました。日本で近年、ジカ熱が発生していますので注意が必要です。

わたしも虫よけスプレーを持ってくるのを忘れたのは失態でした。

ちなみに、アブやブトウには虫よけスプレーは効きません。ブトウとは、ハエをもっと小さくしたような虫で、やはり血を吸います。古道では数は少ないものの、居ることは居ます。わたしがよく通っていた果無山脈にはこれが大量にいて、多い時には30匹以上群がって来ます。

4.カッパなし

日本人では「山に入るのであれば、たとえ晴れていてもカッパは持参する」が常識となっていますが、外国の方は持っていない人が結構います。

ですので、始める前に必ず持っているかを確認し、持っていなければ、古道館やあんちゃんの店などでポンチョを買ってもらうようにしています。ポンチョでもないよりはマシです。

ちなみに、バックパックのカバーを忘れた方もポンチョをお勧めしています。袖だけを通せば立派な雨除けになります。

滝尻~高原を案内していた最中、剣ノ山付近で急に雲行きが怪しくなり、道標3番あたりで土砂降りのにわか雨に遭いました。

「カッパを着ましょう」とは言ったものの、お客様4名、全員持っておらず。

始めに聞くのを忘れた時に限ってこうなります(笑)

わたしだけ着るわけにはいかないので、「じゃあ、みんなで濡れて行きましょう!」と、最後までみんなでずぶ濡れになって歩いたこともありました。夏で良かったです。

あ、自分の車には着替え一式は積んでおいたほうがいいですよ。

発心門王子~本宮大社や、牛馬童子口~牛馬童子像までなど、比較的やさしいコースでは普通の服装や靴で歩くこともできなくはないですが、茶会や成人式にジャージで行ったりする人がいないように、その場所に行くなら、それなりに着るべき服装というものがあり、理由もあります。古道も歩くのにふさわしい服装で、安全に楽しく歩けるようにしたいものです。

熊野古道とオオカミの話

今年は梅雨に入っても雨が少なく、ここ紀南地方では梅の収穫の最盛期を迎えようとしていますが、以前として雨が降らないので身太りせずに小粒傾向、さらには春も寒かったために受粉があまりできずに結果も少ないとのこと。

ひと雨ほしいところです。

熊野古道のガイドも6月はほとんど依頼がなく、梅雨時期はひと段落します。

そんな中でも休みがないのが野生動物。

梅雨時期でももちろんおかまいなし。落ちている梅も猿にかなりかじられています。

本宮では、古道沿いで栽培していたシイタケを20匹の猿の集団に壊滅させられたとか。また、シカによる食害も深刻で、古道沿いには皮を剥ぎ取られた杉、食い荒らされたシダなどを見かけることがあります。また、古道はイノシシに破壊され、年々道幅が狭くなってきているところもあります。

和歌山県では野生動物の食害による被害が年間3億円以上。紀勢本線では電車とシカが接触する事故がたびたび起こっています。

年間捕獲目標を増やしても効果はなし、狩猟者も高齢化・減少傾向で、県も頭を抱えています。こうなった最大の原因は生態系の頂点に君臨していたニホンオオカミの絶滅でしょう。

その絶滅は1905年に奈良で発見されたものが最後とされていますが、その後も日本各地で目撃例や啼き声を聞いたという例があるため、それがいつなのかははっきりしません。

原因としては、明治時代の野生動物の乱獲による捕食対象動物の減少、オオカミの駆除政策、生活環境の破壊、狂犬病やジステンパーの蔓延などが挙げられていますが、いまだはっきりとはしていません。

熊野古道には「小広峠」と呼ばれる場所があり、以前は「吼比狼峠」と書いたそうです。昔は「千匹狼」と呼ばれるほどの遠吠えが聞こえたのだとか。

オオカミが吼(ほ)える峠・・・

小広峠は昔、昼なお薄暗い峠で、野獣や魔物が現れるとされる不気味な場所だったそうですが、旅人や村人は道中、オオカミの群れに守られたことからこの名がつけられたとされています。

古来オオカミは、農作物を食い荒らす害獣を駆除する動物として崇められていたり、旅人はオオカミが付いて来ているのを見ると安心したそうです。なぜなら、オオカミが付いている間は、小広峠の話と同様、他の獣が近寄れなかったからです。そして、自分たちのテリトリーから旅人が出ていくと、オオカミは自分たちの縄張りに戻っていったそうです。

これを送り狼といいます。

・・・今は別の意味で使われていますが。

わたしはそんなことしませんよ。今はお客様を安全に目的地までお送りすることを心がけてはいますが。ん?これは送り狼になるのか???

もうひとつ、古道にはオオカミにまつわる話があります。

奥州・藤原秀衡(ふじわらひでひら)が妻(実際には側室)を連れて熊野詣でに来た際、滝尻で妻が産気付き、男児を出産。しかし、彼らはその子をこともあろうか、とある岩陰に残し熊野詣でを続けました。

はたして、彼らが熊野詣でから戻って来たとき、その子ははオオカミに育てられ、その岩から滴る乳(水)を飲んで元気だったという。その物語からその岩は「乳岩」と呼ばれ、以後多くの女性が訪れるようになりました。

なぜ、彼らはわが子を岩屋に残したのか・・・それはまたの機会にお話します。

このように、熊野古道においてもオオカミは人間を守る存在であったことがわかります。オオカミ=害獣という概念が始まったのは明治時代の駆除政策からで、その背景にはおそらく、江戸~明治にかけて狂犬病が蔓延し、ウィルスを持った犬と接触をして感染したオオカミが人を襲うようになったのがひとつの原因だったと考えられます。

しかし、オオカミ=害獣で、駆除しなければならないという考えは非常に浅はかですよね。だったら、今でも狂犬病でない犬が時々人間を噛み殺していますが、「犬はたまに人間を襲うから駆除しなければならない」となりますか?

まったく、明治時代っていうのは日本がおかしくなり始めた時代ですよね。特に熊野では神仏分離令で大打撃を被っています。

先にも述べたように和歌山県は、害獣とされる動物の駆除に手を焼いています。ただ、ひとつ言えることは、いくら捕獲頭数を増やしても、狩猟者を増やしても、「焼け石に水」だということが何で分からないんでしょうかね?

シカやサル、イノシシは人間が踏み込めないような山深いところにも当然住んでいます。それを狩猟者がどうやって駆除するんですか?ただ駆除するだけでは「虫歯ができたからそこを直した」と言っているようなもので、根本である普段の虫歯ケア・ブラッシングがしっかりできていないとまた虫歯になるのと同じことです。

人間の都合で破壊したものは、やはり人間が復帰させなければ、自然の力では到底無理でしょう。そのためには、何が一番の解決策であるかを考え、誤解を解くことから始めないとならないように思います。

P.S.

ツキノワグマが人里に現れてそれを射殺したというニュースを時々耳にしますが、オオカミと同じ運命をたどらないことを願います。

はじめまして、はじめました(ガイドの動機)

はじめまして。

初めてではないかたもいらっしゃると思いますが、熊野古道で英語のガイドをしています、Yoshiこと、和田良穂です。

現在、ガイド団体「Mi-Kumano」の代表を務めています。

このブログは、ガイドで得た気づき、知識、経験、あまり言えないガイドの本音など、これからガイドを始めようとされている方や、どうしようか悩んでいる方、すでにガイドをされている方などに情報の提供ができればと思い、開設しました。

更新頻度は無理のないよう旬刊にする予定です。

内容は、熊野および日本の歴史・文化、四季の草花・木々、諸外国の国民性、ガイドをするにあたっての注意点、体験談などをご紹介する予定です。

あまり堅苦しい文面にせず、「なるべくわかりやすい表現でカジュアルに」を基本路線として更新してく予定ですので、どうぞよろしくお願いいたします(結構本音や毒を吐くかもしれませんが)

第1回目の今日は・・・やはり自己紹介ですかね。

でも、人の話とか、人の子供の自慢話って一番つまらないんですよね。なのでそこは手短にして、なぜこの仕事を始めたのかをお話します。

白浜生まれの白浜育ち、白浜をこよなく愛する46歳。

以上。

 

えっと・・・

英語の勉強は10歳から塾で始めましたが、そのきっかけが「友達も行っているから」

・・・何という動機。

ただ、これがあったおかげで、発音の基礎が出来上がったのは事実です。

森本先生、本当に感謝しています。

以後高校卒業後は大学に進学することもなく、渡米を夢見て独学で勉強をしていましたが、親の猛烈な反対により断念。

以後英語勉強は完全にストップ。

それから二十数年が経った頃、地元紙に「熊野古道の英語ガイド」の記事を発見。高野・熊野限定ながら、有償でガイドができる制度ができ、受講生を募集「した」というような内容でした。「した」だったのでその記事を見たときはすでに募集を締め切っており、応募は当然できませんでしたが、「来年もするなら絶対に受ける」と決め、そこから長年放置していた英語勉強に取り組み始め、合格基準の「TOEIC750点以上」か「英検2級」を当面の目標に据えました。

しかし、当時熊野古道には全く興味がなく、「確かにあるな~。2回ぐらい歩いたけど・・・」程度でしたが。

熊野古道にも興味がなく、かつ英語も錆ついている・・・わたしにとって、ガイドになるには決して易しい道のりではありませんでした。

そもそも、わたしは空手を二十数年やっており、親の影響もあって神道がきっかけで近代史も勉強するようになりました(またそのことについては折に触れてお話します)

空手を通して日本人が忘れかけている日本人気質、礼儀、順を重んじる考え方等を、未来を担う子供たち(もちろん大人にも)に教育し、自分たちは素晴らしい国に生まれているのだとはっきり自信を持てるようにすることが目的ですが、それと並行して、日本人が教えてもらっていない正しい近代史(第二次世界大戦前~現代)を伝えることで、海外の批判に負けない、英語を話せる日本人を多く輩出することも目的です。

では、海外にはどのようにして日本の素晴らしさを伝えればいいのか・・・空手を通してでも良かったのですが、自然や歴史を肌で感じてもらいながらそれらを一度に伝えることができるガイドが一番の方法だと考えました。それも、こちらから出向かなくても向こうから来てくれるし(笑)

現在、世界各地で紛争・テロ・飢饉・疫病等、この国では考えられないことがたくさん起こっています。しかしこれは「対岸の火事」ではなく「日本でも起こりうること」なのです。

そこで、これらを少しでも減らし、世界平和の一助となれるよう、民間レベルで国内外に日本の素晴らしさを伝えよう、そう考えたからなのです。

決してお金が目的ではありませんでした(笑)

ひとつお伝えしたいのがその目的です。

人それぞれ目的が違って当然ですが、「ガイドになる」ことを目的としてしまうと、ガイドになった時点で目的は達成されたことになり、それで満足してしまい「じゃ、あとはどうしようかな?」となり、実際に業務に出ない可能性があります。だって、「ガイドをすることによって自分は何をしたいのか?」という、もう一段高い所に目的がないのだから。ガイドは手段であって目的ではないということを認識していただけたらと思います。

もし、これを読んでいて耳が痛い(この場合、目が痛い?)方がいたら、いちど立ち止まってそのことをよく考えてみてください。

 

<編集後記>

現在、梅雨でガイド業務がほとんどないため、梅の収穫作業をしています。はっきり言って、これはお金が目的です(笑)

毎回思うことですが、梅農家に限らず、農家の方の仕事は本当に大変ですね。頭が下がります。