
今回は、「非英語圏の不利。高校から英語は選択科目にすべし」という、ちょっと過激なタイトルですが、このことについてお話しようと思います。
英語教育早期化に疑問
私が子供の頃、英語の義務教育は中学に入ってからでした。
今は小学3年から英語に触れ始めるそうですね。
日本語もおぼつかない子供たちが、果たして新しい言語を習得できるのか?そして、日本語の習得にも影響が出ないか心配です。
英語勉強の分だけ、英語圏の人より勉強に充てる時間が短くなる
グローバル化、ボーダレス化などと言われていますが、決してそれらがいい効果をもたらすとは限りません。
そして何より、英語勉強に割かなければならない時間があるということは、その必要のない英語圏の人間と比べれば、それだけ不利になっているということを自覚していただきたいです。
彼らは「国語」だけ習っておけば事がたりますよね。
彼らは、私達よりもずっと多くの時間を使って、さらなる専門分野を習得できます。
英語圏の人間に優秀な人材が多い原因の一つであることは間違いないと思います。
英語の社内公用語化は愚の骨頂

楽天の三木谷氏が、安倍政権と絡んで英語教育を推進しているそうですが、本当に止めていただきたいです。
「世界企業は英語を話す。『英語公用語化』で、日本は復活する」などと言っているそうでね。
その理論の裏付けとして、シンガポールの成功を引き合いに出していますが、シンガポールは多国籍国家であり、マレー語、マンダリン、タミル語、英語を話す人がいるという理由があり、共通語を作らなければお互いの意思疎通ができません。
世界の共通言語が英語であったため、シンガポールでは英語が事実上の公用語になりましたが、リー・クワン・ユー氏のこの選択は、私は正しかったと思います。
もちろん、リー氏の「世界から優秀な人材を集めるため」というビジネス的な理由もありますが、単一民族・単一言語の日本において、果たして「英語を公用語化すれば日本は復活する」と安直に考えるのはいかがなのものか、甚だ疑問です。
シンガポールと日本は違います。
ユニクロも、社内の公用語は英語なんですよね?
社員の目標は、TOEIC700点以上だとか。
はっきり言って、TOEIC700点やそこらで、どうやってビジネス英語を使うんでしょうか?
やるだけ無駄です。
そして、使わなければ忘れてしまいます。
まさに時間の無駄です。
では、ユニクロの店員さんに英語で話せば対応してくれるんですね?
一回やってみようか?(笑)
「グローバル化」「ボーダレス化」のために、社員が必要のない英語を勉強させられては、彼らが可哀そうというものです。
おそらく、こういった企業に入社する人材というのは、その企業のファンでしょう。
そしてその企業で、世間の役に立ちたいと思って入社したはずです。
英語を社内公用語化したところで、英語を使わなければいけない状況がどうやって発生するのか、また、全社員にその可能性があるのか、甚だ疑問です。
稚拙な英語の表現だけでやり取りするのであれば議論も深まりませんし、意思の疎通も完璧にはできません。
英語能力に個人差もありますのでなおさらです。
母語である日本語での意思疎通でも難しいというのに、英語で一体どうやって社員同士の意思疎通ができるのでしょうか?
彼らには趣味もあるでしょう。
他に勉強したいこともあるでしょう。
もっと専門性を身につけたい人もいるでしょう。
「英語公用語化」は、そういった人の芽を摘み取ってしまっています。
高校からは英語を選択科目に

これは、義務教育ではない高校でも同じです。
すでに義務教育ではないのだから、全員が英語を勉強しなくてもいいでしょう。
日本の英語教育の方法にも問題がありますが、それはちょっと置いといて、仮に中学までの英語を使えるようになれれば、あとはその積み上げ、あるいは応用なので、中学英語さえ学べば十分意思疎通くらいはできるようになっています。
日本史を選択科目にするくらいなら、英語を選択科目にして、将来英語を使う仕事に就きたいと思う人だけ高校以上で学べばいい。
小学校から英語を学ぶ代わりに、高校で英語を選択制にすることで、多くの人にとって不要とされる英語勉強の時間を割かなくても済むようになります。
・・・まあ、日本の「日本史」はGHQによって作られたもので、日本の自虐史観がたっぷり詰め込まれていますから学ばない方がいいですがね。
話はそれましたが、左官屋になりたい、漁師になりたい、農家になりたい、パン屋になりたい。
そういった人に高校英語以上の高等な英語教育が必要でしょうか?
英語を学ぶ時間を他の科目に充てる方が、もっと日本人の学力が上がり、優秀な人材が生まれると思うのは、私だけでしょうか?
日本語を守り、広めるという発想
日本をはじめ、アメリカ、ドイツ、中国、フランスなど、今日の経済発展を遂げた国はいずれも、母語を守ってきた国々です。
発展途上国では、大学で教育を受ける場合、母語に翻訳されている教科書がないため、大学以上の学問はすべて英語でしなければなりません。
そのため、英語ができない人はもれなく、エリート入りから外れてしまっています。
そしてそれが、貧富の差を生みだしています。
フィリピンやケニアは、いずれもすぐれた英語話者がいるにも関わらず、いまだに貧しい国です。
英語が出来る人と出来ない人で格差が生じているために、このようなことが起きているといっても過言ではありません。
日本が英語化を推し進めることによって、フィリピンやケニアと同じことが日本でも必ず起きます。
また日本は、他の発展途上国において「英語が出来なくても豊かになれる国の象徴」とされています。
もし仮に日本が日本語を捨てて英語化しようものなら、その国々の人たちの希望もなくしてしまいます。
フランスでは、広告での英語の使用が禁止されています。
どうして日本語を世界に広めようという考えにならないのか、古来からの母語を守ろうとしないのか、そういった考えを持った人が、一人でも多くいることを願って止みません。
終身において、母語での教育が受けられる環境に
しかし、日本人は、自分たちの価値観などを押し付けることは苦手です。
日本がアジア諸国を統治していた時代は、日本語による教育が行われていましたが、これはさきほどお話したことと同様、その現地の母語に翻訳された教科書がなかったからです。
今、私達日本人にできることは、英語で勉強をしなくてはいけない、恵まれない環境にいる人たちに、ずっと母語で学ぶことができる環境を整えてあげることだと考えています。
それには、私達はこれからどうすればいいのか、考えていきたいと思っています。
同じ考えの方がいらっしゃたら、ぜひ力をお貸しください。
