ヨーロッパと日本①

世界の分割

コロンブスとバスコ・ダ・ガマに始まる大航海時代では、当時の海に覇権を握っていたスペインとポルトガルが大西洋を分割します。アメリカ寄りの海をスペインが、ヨーロッパ寄りに海をポルトガルが支配をします。
いや、大西洋だけではなく、地球全土を視野に入れていました。

スペインはアメリカから、ポルトガルはアフリカ大陸を迂回して東を目指していました。
両国ともに、最終目的地は日本だったといいます。

これを、当時のローマ法王が承認しました(トリデシャリス条約)

南米で唯一のポルトガル語圏であるブラジルは、この大西洋を縦に割った線(トリデシャリス条約ライン)に「ポルトガル領」が入っていたためです。

当時の航海技術では、アフリカ大陸の喜望峰を回ることが困難でしたが、ようやくバスコ・ダ・ガマがインドまでの航海を成功させます。

ここで彼らは鉄砲を使って暴れます。

一般に、現在は一部のイスラム教徒と主張する人たちがテロなどの過激な行動をするというイメージが定着してしまいましたが、当時から、イスラム圏は気候が温暖でイスラム教徒は寛大でした。
対して、一貫してキリスト教徒は残酷で暴力的でした。

ポルトガルの鎖

こうして彼らは自分の領土でもない(勝手に決めた)ところに居座り、武力を用いて、外洋から来る船に対して税金をかけ、通行証を発行しはじめます。
そして、違反をした者に対しては査察をして高い税金を取り立てます。
これを「ポルトガルの鎖」といいます。

もやは「国家」ではなく「海賊」ですね。
国を挙げて海賊になった、そんな印象さえ受けます。

鉄砲の伝来

時期を同じくして、日本に鉄砲が伝来したのもこの頃でした(1543年)

朱印船

朱印船とは、徳川家康が定めた制度で、海外との交易を推奨するものです。
海外と交易をするにあたって、自分の船が海賊ではないという「朱印状」を発行して、それを携行させたことにちなみます。

では、「海賊ではない」ということをわかってもらうのにどうしたかというと、火器(大砲など)で武装をしていないということが条件でした。

ポルトガル船やオランダ船は大砲を装備することを義務付けられていたにも関わらず、幕府が日本の船にはこの装備をすることを禁じていたのです。

まるで「江戸の憲法9条」です。

これは、当時のムガール帝国(インド)と同様、新型の戦艦を建造するより、商船として交易した方が安上がりだったからではないかと、西尾幹二氏は述べています。

そして、ごくまれにヨーロッパの船(ほぼオランダ船)が朱印船に対して攻撃や略奪をすると、朱印船は反撃・阻止することなく、長崎に戻って行政官に事の顛末を報告しました。

この報告を受ければ、長崎にあったオランダ商人とオランダ船はすべて差し押さえられ、嫌疑について調査が行われ、賠償が申し渡され、罰が執行されました。

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