古代史ホツマツタヱの旅③ 天照大神~神武天皇

8代目アマカミ(天皇)となったアマテルカミこと、天照大神は、イザナギ・イザナミが残した安定した国を、更に発展させるべく腐心します。

ハタレの乱と三つ目の神器

しかし、国が豊かになったことから、生活差という歪が生まれてしまう。
この歪が次第に大きくなり、「ハタレの乱」という建国以来最大級の大乱が起こってしまう。
アマテルカミは、有能な家臣の協力を得ながら、全身全霊を込めてこの乱を鎮めた。

アマテルカミは、この乱の真相を深く考えた末、

「これだけの国の基盤ができ、豊かになったものの、国民一人ひとりが自覚し、自分自身を反省しながら生活していかなくては、大乱の源を断つことはできないのではないか」

と思う。

そこで鏡を用意し、鏡に自分の姿を写し出すことにより自分の心のあり様が分かり、反省の心も芽生えると考えた。

こうして、三種の神器、勾玉・剣・鏡ができ、「ミクサタカラ」と呼ばれた。
その後、ミクサタカラは国の宝となり、歴代天皇に継がれていくことになる。

アマテルカミは晩年、現在の伊勢の神宮・内宮の地において、多くの人々を招き、教導にいそしんだ。

ニニキネ(ニニギノミコト)と神武天皇

ニニキネは、アマテルカミの孫にあたり、アマテルカミの側で育ち、アマカミとしての資質を磨く。
そして、アマテルカミの期待に応えるべく、全国を回り、大規模な灌漑事業を行った結果、農地が拡大し、民は一層豊かになった。

ニニキネの終焉の地は、九州の高千穂。

ニニキネは、コノハナサクヤヒメとの間に三人の男の子をもうける。
その三男・山幸彦(ホホテミ)が、ニニキネの後のアマカミとなった。
山幸彦のひ孫にあたる人物が、神武天皇(カンヤマトイワレヒコ)

神武天皇は、琵琶湖畔の多賀大社の地にお住まいだったが、父のウガヤフキアハセズがお亡くなりになると、九州に移る。

三種の神器の意味と由来

以前、お客様から三種の神器について質問を受けたことがありました。
その時は、三種の神器が勾玉・剣・鏡だということぐらいしか知らず、「なぜこの3種類なのか」という質問に答えることができませんでした。

もっと早く、ホツマツタヱを知っていれば、答えることができたのに、と思っています。

三種の神器の意味をまとめると、このようになると思います。

勾玉=初代アマカミ・クニトコタチの教え(トの教え)を形にしたもの(国を豊かにするため)
剣=トの教えを守らない者を従わせるため(国の秩序を守るため・能動的)
鏡=自分の姿を見て心のあり様を知り、反省を促すため(国の秩序を、個人レベルで意識させるため・自発的)

古代史ホツマツタヱの旅② イザナギ・イザナミ~天照大神

農業の進化

紀元前1000年頃になると、木の実を中心とした農業に新たなものが加わった。
稲作。
まずは陸稲(おかぼ)というものから始まり、水田へと変わった。
民が飢えることなく豊かで安定した世の中にするためには、水田の普及はなくてはならないものとなった。

群婚から結婚へ

それまでは、不特定多数が交わりを持つ群婚だったが、それが単婚に変わり、夫婦として力を合わせて農業に取り組むことができるようになった。

イザナギ・イザナミ

二人で7代目アマカミ(天皇)
民が重労働から開放されるように、牛や馬を使った農業を考えた。
また、国民の意識を上げるために、国語の普及にも努めた。

二つ目の神器

しかし、どうしても言うことを聞かない民に対しては、国の秩序を守るために「サカホコ」をもって罰する必要が出てきた。
イザナギ・イザナミは、「トの教え」と「サカホコ」を持って国を治めた。
この「サカホコ」が剣となり、二つ目の神器となる。

鳥居の意味

鳥居の一つの柱が「トの教え」、もう一つが「サカホコ」を表し、2つの柱をつなぐ横の柱の「ヌキ」は、潤いを表す。

アマテルカミの誕生

イザナギ・イザナミは二種の神器で農業の指導と国語の普及のために、全国を回った。
この間に四人の子を作った。
長女のワカヒメは、筑波山で生まれた。
ワカヒメは歌が上手で五七五七七の歌は後の「和歌」となって普及するようになった。

長男のアマテルカミは、8代目アマカミとなり、その後の日本の礎を作った。
アマテルカミが生まれたのは、富士山のふもと。
アマテルカミは後に「天照大神」と呼ばれるようになる。

次男のツキヨミは、宮崎県宮崎市で生まれ、四国地方を治める。
三男のソサノヲは、三重県熊野市に生まれた。
ソサノヲは青年期に国を揺るがす大事件を引き起こすが、後に改心して出雲の国を治めた。

8代目アマカミとなったアマテルカミは、両親のイザナギ・イザナミの残した安定した国をさらに発展させるべく腐心した。(続く)

天照大神は男性

「天照大神」といえば、女性が定説になっていますが、これは記紀にそういったことを匂わせる記述があるからです。
日本書紀の「素戔嗚尊の誓約」では、素戔嗚尊は天照大神のことを完全に「姉」と言っています。

しかし、記紀は、当時の政治的な情勢から事実を書き換えられた可能性があるため、真実ではない部分があるようです。
文献は忘れましたが、日本書紀の編纂は女性天皇である持統天皇の崩御の後であることから、女性天皇の正当性を後世に知らしめる意図が働いたのではないか、と読んだことがあります。

記紀の原書がこのホツマツタヱであるならば、天照大神は男性ということが分かります。

いずれにせよ、ホツマツタヱでは、天照大神は男性として描かれています。

【お勧め書籍】古代史ホツマツタヱの旅① クニトコタチ

古代史・ホツマツタヱ

ホツマツタヱとは、日本国の歴史書であり、古事記・日本書紀(以下、記紀)の元となったと言われています。

ホツマツタヱは、四国宇和島の小笠原家から、全巻が桐の箱に入った状態で発見されたそうです。

この書からは、この国の成り立ちや桃の節句や端午の節句などの年中行事が日本から発信されているそうで、縄文時代の生活の様子などが読み取れるそうです。

今回は何回かに渡って、ホツマツタヱについて自分が勉強したことをアウトプットしていきます。

「記紀で伝えられていたことが、実はこうだった」という発見があると思います。

クニトコタチ

クニトコタチがこの国を作る。
紀元前4000年くらいに日本に実在していた人物であり、最初の天皇となったお方。
この頃は「天皇」とは言わず「アマカミ」といった。
イザナギ、イザナミは、7代目のアマカミであり、アマテラス(アマテルカミ)はその8代目に当たる。
クニトコタチの意思を継いだ歴代アマカミは、その地位に甘んずることなく一生懸命国の発展に励んだ。

トの教えと勾玉

クニトコタチは8人の御子を持つ。

クニトコタチはその子らに、

「これからは、あなた達の時代です。あなた達の力でこの国を素晴らしい国にして欲しい。まず先に行うことは民を豊かにすることです。民の安定した生活こそが、この国の平和と安全をもたらすのです。自分の身を惜しんではなりません。私が教えた、木の実の栽培方法と、住居の建て方は、必ず役に立ちます。この教えを持ってそれぞれが、創意工夫してこの国の発展に尽くしてもらいたい」

と言った。

そして8人の子たちは、日本全国に草木の種と、竪穴式住居の建築方法を携えて日本に散らばっていった。
あるお方は海を渡って中国にまで及んだ。

クニトコタチが子供たちに授けた教えを「トの教え」と言い、それが最初の神器となる。
後世において、「トの教え」は形で表されるようになる。
それが「勾玉」の形。

クニトコタチは、森や洞窟に住んでいた人々を集め、栗の木をたくさん植えて集団生活を始めた。

当時の主食は栗やクルミといった木の実であった。

栗の木の利用

現在の栗は品種改良されて背が低くなっていますが、昔の栗の木は大変高く、神殿の建築材料などにも使われていたそうです。

ちなみに、三内丸山遺跡には、栗の木で作られた大きな神殿に跡が発見されているそうです。
三内丸山遺跡は紀元前3500年くらい前。

ホツマツタヱでは、記紀では神様となっているお方が、全員実在した人物として描かれています。
そこには、人間臭いお話もあり、こちらのほうが現実味があるのでは?と私は思っています。

今日はここまでです。

インプット量が少なくて申し訳ございません。