歴史認識が重要

There is an English version in the second half.

今回は会員向けに発行している「和田通信」からの抜粋です。

ガイドとしても非常に重要なことですので、こちらでも共有させていただきます。
ご参考にされてください。

基本認識・基本知識の重要性

ガイドのレベルは経験の差こそあれ、ある一定のレベルを備えている必要があります。

そこで重要だと考えているのが共通の認識と知識です。

人間、十人十色ですから様々な考えがあって当然ですが、認識と知識が同じである必要があります。あるいは、それらが違っていても、知っておく必要があります。

私がこの通信で「他の情報も取って俯瞰的・多角的に物事を判断してほしい」と繰り返し言っているのもこのためです。

共通の認識・知識が全く違っていては、お互いの着地点はありません。

自由な発想でも、共通の認識と知識をもとにした上で、自由に自分の意見を持ち、その上でどうすれば良いかという議論をすることが重要だと考えています。

その最たるものが歴史認識です。

ガイドをするのであれば、歴史は絶対に外せません。

以前、ある語り部さんから日本人を卑下するような発言が出た時にはドン引きしました。
未だに、ベテランの域の語り部さんの間でさえ、縄文時代や弥生時代の日本の文化は遅れていて、文明がなかったとされている認識が横行していることの証だと思いました。

自国民を卑下するのは日本人だけです。この行為は、外国人には滑稽に映ります。
ましてや、通訳案内士として日本のことを紹介する人間が、日本(人)を卑下することはあってはならないと思います。

大いに日本の自慢話をしようではありませんか。そして、日本国民としての意見を述べようではありませんか。

「君はどう思うの?」とお客様によく聞かれます。そこで自分の意見を伝えればいいのです。それには、共通の歴史認識と知識が最低限必要です。外国人には、玉虫色の回答が一番嫌われます。
これは外国人のみならず、日本人に向けてガイドをする時も同じです。
まずは日本国民として誇りを持ってもらうことが先決だと思っています。

日本史と国史

一部会員さんにもお話した内容です。

現在私たちが学校で学んでいるものを「日本史」と呼びます。しかし、私たちが学校で学んでいる言語は「国語」と言います。

この違い、なぜか分かりますか?

ヒントです。

私たちが外国人に教えるのは「日本語」と呼びます。

お分かりですよね?

「日本語」とは、外国人から見た言語です。「日本語」と「国語」では、教える内容がまったく違います。

たとえば、私たちは助詞の使い方をきちんと体系的に学校で学びませんでしたが、日常生活で普通に使えています。
しかし、外国人には、私「は」と、私「が」の違いの理屈を説明してあげないと、いつまでたっても間違いを犯します。
また、外国人はすぐに「の」を使いたがります。

「美しいの海」

「大きいのかばん」

日本人は絶対に間違わない使い方ですが、外国人はこの手の間違いをしょっちゅうします。

なぜ「の」が必要ないかを教えてあげなければなりません。

以上のお話からも分かるように、「日本史」というのは外国から見た歴史のことです。

それを私たちは学校で学んでいます。しかし、本来は日本国内から見た歴史である「国史」を学ぶべきなのです。

外国から見た歴史を学んでも、日本人が誇りを持てるはずもありません。

むしろ逆で日本が嫌いになります。

そして、年号とその年に起こった出来事を暗記するだけの、本当につまらないものになってしまうのです。
しかしながら、現在の学校では「国史」を教えてはくれません。戦後、GHQによって駆逐されたからです。

ですから、改めて学ぶ必要があるのです。

こちらも合わせてお読みください。
GHQ焚書図書開封1 米占領軍に消された戦前の日本

This issue is an excerpt from “Wada Tsushin,” a newsletter issued to our members.
It is very important to us as a guide, so I will share it here as well.
Please refer to it.

Guides need to have a certain level of experience.

What is important is to have a common understanding and knowledge.

It is natural for people to have different ideas, but they need to have the same recognition and knowledge.
Or even if they are different, we need to know them.

This is why I have repeatedly said in this news letter, “I want you to take other information and judge things from a bird’s eye view and from multiple angles”.

If the common perception and knowledge are completely different, there is no mutual landing place.

I believe it is important to freely hold one’s own opinion based on common recognition and knowledge, even if it is a free idea, and then discuss what to do about it.

The most important of these is historical awareness.
If you are a guide, history is absolutely essential.

I was put off by a storyteller when she made a derogatory comment about the Japanese people.

I thought it was proof that even among experienced storytellers, there is still a rampant perception that the Japanese culture of the Jomon and Yayoi periods was behind the times and that there was no civilization.

Only Japanese people despise their own people.
This behavior is seen as ridiculous by foreigners.

And I think that people who introduce Japan as interpreter guides should not demean Japan (and its people).

Let us talk about Japan with pride.
And let us express our opinions as Japanese citizens.

I am often asked by customers, “What do you think?”
I am often asked by customers, “What do you think?
All we have to do is to express our opinions.
To do so, we need at least a common historical understanding and knowledge.
For foreigners, iridescent answers are the most hated.

This is true not only for foreigners, but also when guiding Japanese people.

I believe that the first priority is to make Japanese people proud of themselves as Japanese citizens.

◯Japanese history and national history
This is what I told some of the members.

What we study in school today is called “Japanese history”.
However, the language we are learning in school is called “National Language”.

Do you know why this difference?

Here is a hint.

What we teach foreigners is called “Japanese”.

You get the idea, don’t you?

“Japanese” is the language from a foreigner’s point of view.
What we teach is completely different between “Japanese” and “National Language”.

For example, we did not learn how to use particles properly and systematically in school, but we can use them normally in our daily lives.

However, unless we explain to foreigners the logic behind the difference between Watashi “ha” and WatashiI “ga”, they will always make mistakes.

Also, foreigners always want to use “no” immediately.

“Ustukusii-no-umi”
“Okii-no-kaban”

Japanese people never make this mistake, but foreigners often make this kind of mistake.
We have to teach them why “no” is not necessary.

As you can see from the above story, “Japanese history” is the history as seen from a foreign country.

We learn it in school.
However, we should be learning “national history,” which is history as seen from within Japan.

Learning history from the perspective of a foreign country will not make Japanese people proud of themselves.

On the contrary, it will make them hate Japan.

And it will be really boring, just memorizing the year and the events that happened in that year.

However, today’s schools do not teach “national history”.
This is because it was eradicated by GHQ after the war.

Therefore, it is necessary for us to learn it again.


古事記と日本書紀③

前回までの記事はこちら。
古事記と日本書紀①
古事記と日本書紀②

大日本帝国憲法の第一条には「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と書かれてます。
この「 統治ス 」は「すめらいしらす」と読みます。
では、この「すめらう」や「しらす」はどこから来たのかというと、我が国の古事記・日本書紀の研究からなのです。

日本書紀は持統天皇の時代まで書かれてますが、古事記は聖徳太子が登場して国の形を一つにまとめるところの推古天皇までです。

ここで興味深いのは、日本書紀が持統天皇の時代まで書かれていることで、天智天皇、天武天皇の時代まで、ご皇族であっても、ある程度武力を用いて国の統治を固めていく、あるいは国の体制を築いていくということがやや数多く行われていたとう歴史があります。

天皇が国家最高の存在として、直接武力を率いて悪者を退治するという歴史があります。

日本書紀の最終・41代持統天皇の時に、「これではいけない」と否定をしています。

力による統治ではなく、最終的に教育を文化によって国造りをすることを説いています。
教養と文化があれば、争いを避けることができるということです。

たとえば、皇位継承候補がたくさんいれば普通は争いが起こります。
そこで、武力による皇位継承もありえるが、皇位継承権というのは、生まれてくる順番によって、母親の血筋によって、自動的に決まってしまうのだと決めてしまいます。
だれが最も天照大神様から続く霊統を一番強く受け継いでいるのかということが明確に決まっています。

なので「議論の余地なし」ということになり、結果争いが起こらなくなります。

また、これまでは豪族同士による争いも頻繁にありましたが、豪族というものは大きな括りの「日本」の中の「一行政単位」であり、何よりも大切なのは天皇の宝物である一般の民衆だということを教育によって普及し、それを我が国の文化にしてしまうことによって、国内における無用な争いというものが一切起こらない国造りにしていこうではないかというのが、日本書紀が書かれた目的となっています。

カンブリア宮殿 モスバーガー 中村栄輔氏

私が見ている数少ないテレビ番組で、ほとんど毎週欠かさず見ているテレビ東京の「カンブリア宮殿」で、印象に残ったことをシェアさせていただきます。

「カンブリア宮殿」とは、成功している社長の軌跡を紹介する番組で、ビジネスをしている人にとっては多くの学びがある番組です。
最近は、このコロナ禍で低迷する企業があるなか、逆境を跳ねのけて業績をあげている企業がよくクローズアップされているので、企業のオーナー以外の方でも大変勉強になる、数少ない優良番組だと思います。

テレビ東京で放送された経済番組が見られる「テレ東BIZ」はこちらから。

今回は、モスバーガーの社長、中村英輔氏。

チャレンジし続ける体質

最近は「モスプレミアムなる店舗を出店。
1個1800円の和牛アボカドバーガー」を始め、高価格帯の商品を提供すると同時に、これまではなかったビールの提供も開始。

また、新規のチャレンジの他に、既存の商品にも改善を加えることを忘れていません。

ど定番の「モスバーガー」は、テイクアウトの需要を見込んで、冷めても美味しいソースに改良しています。

1973年には「テリヤキバーガー」を日本で始めて提供。
1987年には、米余りを解消するために国から要請を受けて開発した「ライスバーガー」を販売開始。
この頃から、「チャレンジをする体質」がありました。

また、差別化を図るため、1997年に農薬を極力使わない野菜を提供するため、農家と直接取り引きを開始します。

モスの失速

しかし、そんなモスも業績が伸び悩み、苦しい時期がありました。
24年間、右肩上がりで成長していた売上が90年代後半に低迷し始めます。
この時「今のままでも戻る」という慢心があったといいます。
こうして、若者離れが加速していきます。

これ、なんかうちの会に似ています。
業績はコロナ前までは右肩上がりで成長していました。
会員の中には「このままでいい」という意見を言う人がいますが、私はそうは思っていません。
常に新しいことに挑戦し続けなければ、やがて廃業していまうかもしれません。
現に、頑なに伝統を守って変化がない企業の多くは廃業していますが、時代の流れに乗って自社の強みを活かしながら変化していく企業は生き残っています。

私は、「うちは◯◯屋」と言っている企業は、危ないと思っています。

さて、そんな最中、2016年に社長に抜擢されたのが中村氏でした。

中村氏は次々に新商品を投入した結果、若者が戻り始めます。

さらなる苦難

中村氏が社長就任後、すぐに大事件が起こります。

食中毒です。

この事件をきっかけに赤字に転落。

しかしここで食品の細菌検査体制を肉や加工食品だけでなく、野菜にもその範囲を拡大し、一方で収益減のフランチャイズには11億円を補填し、再起を図りました。
そして翌年には、フランチャイズオーナーを集め、大方針転換を打ち出します。

世の中の変化は早い。ゆっくり少しずつ改革していく余裕などない、危機の時こそ挑戦を、と訴えました。

中村氏の原動力

中村氏が大切に取ってあるものがあります。
それは、創業者・桜田氏に提出した企画書です。

この時、中村氏は「味に満足いかなければ返金、または取り替え」を提案し、あっさりとGoサインをもらいます。

このことがきっかけで、

「動かなければ結果は出ない。失敗するかもしれないが一歩踏み込んで動くことを大切にしている」と思うようになりました。

残念ながら、その直後に桜田氏は急逝。企画が実現することはありませんでした。

他社とコラボで新商品

モスバーガーは、他社とコラボをして商品の範囲を広げ続けています。
まさに挑戦して続けています。
先述のライスバーガーを始め、コロナ禍で需要が減ってしまった漁業で、真鯛の需要を高めるために開発した「真鯛バーガー」、客足が遠のき「根元ごと引き抜いて廃棄しようと考えていた」いちご狩り農園の現状を知り開発した「まぜるシェイク 埼玉県産いちご」
通常、商品開発に1年かかるところを4ヶ月で開発して販売までこぎつけています。
「仕事はスピードが命」ということを実践した好例です。
また、山崎製パンとコラボした「バターなんていらないかも、と思わず声に出したくなるほど濃厚な食パン」は、完全予約でテイクアウト限定で販売中です。

また、グミ、パスタソース、マスクなども他者とコラボをして生み出しています。

モスの変化・チャレンジはとどまるところを知らないほどの勢いです。

「考えるということは書くこと」

中村氏が社長に就任した時、「どう思われたいのか」を考えて書きだしました。
そしていつも持っている手帳の裏側に「絶対守ろう」と思うことを書いているそうです。

考えるということは書くことであり、責任も同時に生まれるということです。
紙に書くことで消えない、消えないから忘れない、忘れないから実行できる。
この習慣は、物事を実現させていく上で非常に大事なことだと思います。

今回は、特に印象に残った言葉は

■「動かなければ結果は出ない。失敗するかもしれないが一歩踏み込んで動くことを大切にしている」

■「世の中の変化は早い。ゆっくり少しずつ改革していく余裕などない」

でした。

これを読んだあなた、「なんか今はモスの口」になっていませんか?(笑)


多忙を極めております

現在、様々な業務が立て続けに入り、多忙を極めております。

途中まで書きかけて止まっている徐福についても書きたいのですが、更新の時間が取れずに今あたふたしています。

あんな記事(といったら言葉は悪いですが)を書くだけでも1時間~1時間半はかかります。
記事によっては調べ物をしたりしますので半日、あるいは最悪丸一日かかることもあります。

今日は残念ならが、そこまで時間をとることができない状況です。

今日はボランティアガイドの日でした

ガイドのスキルと英語力の維持を目的とした、当法人のガイドによる、ボランティアガイドのイベントを開催しました。

今日のコースは大門坂~那智大社・青岸渡寺~那智の滝でした。

絶好の行楽日和となった今日、大門坂の駐車場はほぼ満車状態。

大社も参拝をするのに並ばなくてはならないほどの盛況ぶりで、武漢市肺炎どこ吹く風といった感じでした。

ガイド・参加者とも非常に楽しんだようで参加者は「日本に来てこれだけ英語で会話をしたのは始めてだ」と言っていました。

来週も同じコースで開催します。

日本在住の外国人がいたら、ぜひ誘ってあげて一緒に参加してください。

今日はようやくPCからログインができるようになりました。

どうやら容量の問題だったようで、レンタルサーバのプランをアップグレードすると問題が解決しました。

しかし、写真のアップロードは未だに出来ず。

写真つきの記事はもう少し先になりそうです。

明日は英語関係者の仕事です。

更新できているかどうか不安ですが・・・

現在、PCからもログインできなくなり、携帯から更新しています。

なぜ突然このようなことになったのかよく分かりません。

今朝PCからログインできるように修正したところなのに、今ログインしようとしたらまた入れなくなっていました。

ちょっとお手上げ状態です。毎日更新を始めてもうすぐ7ヶ月。これまで忙しいながらも随分と頑張ってきたおかげて、「熊野古道英語ガイド」と検索すれば上位に、時には一位に結果が出るようになりました。それが目的ではありませんが、ひとつのモチベーションになっていたことは確かです。

まぁ、しばらくはこんな感じで文字だけのアップになってしまいますが、引き続きよろしくお願いいたします。

明日はボランティアガイドです。

今般の武漢肺炎のおかげで、ガイドの仕事がまったくなくなっていたことから、ガイドに少しでもスキルを維持してもらおうと企画したものです。

明日は大門坂~那智の滝です。

ブログトラブル PCでのログイン、写真のアップロードできません

今回の小辺路の記事の更新の途中から突然写真がアップロードできなくなりました。

また、PCからログインもできなくなってしまいました。
原因が分からず現在調べています。

画像に関しては、どうもパーミッションに関連する可能性が高いということのようですが、よく調べて見ないと分かりません。

それまではとりあえず文字のみの更新となります。

ご了承ください。

小辺路について

参詣道

まず、和歌山・奈良・三重には各霊場から熊野三山を結ぶ「参詣道」という大きなくくりがあります。

それが「熊野参詣道」「高野参詣道」「大峯奥駈道」です。

「熊野参詣道」と呼ばれているルートには、5つのルートがあります。
大阪窪津王子に始まり、田辺に至る「紀伊路」、田辺から紀伊半島を横切る形で入り本宮大社に至り、速玉大社、那智大社を結ぶ「中辺路」、田辺から紀伊半島の湾岸部を通り那智勝浦町の補陀洛山寺に至る「大辺路」、伊勢の神宮から速玉大社、本宮大社に至る「伊勢路」、、そして、高野山から本宮に至る道の「小辺路」です。

奈良・吉野から本宮大社を結ぶ「大峯奥駈道」は「参詣道」というくくりの中の「大峯奥駈道」であり、厳密にいうと一般に言われている「熊野古道」ではありません。
以前、熊野古道についてWikipediaにははっきりと「熊野古道ではない」と書かれていましたが、今は「熊野古道」の一部として改訂されていますがね。
ガイドでさえも「熊野古道」と言って説明している人もいるので、ここは議論の分かれるところだと思います。
・・・まあ、どっちでもいいですけど(笑)

話がそれました。

その「熊野参詣道」の中で一番厳しいところが「小辺路」です。

全長は約80kmで古道に中でも最短ルートなのですが、1000m級の山越えを繰り返すために難所とされています。
・・・確かにキツいです。

通常だと、例えば高野山から本宮大社という順路で行くと

1日目 高野山で前泊
2日目 高野山~大股(17km)
3日目 大股~三浦峠口(14.5km)
4日目 三浦峠口~十津川(18km)
5日目 十津川~本宮大社(15.5km)

の最低5泊は必要になります。
また、山深い土地でもあるため、2台で車回しでもしなければ日帰りはまず難しいです。
松尾芭蕉の弟子・河合曾良は、このルートを2泊3日で歩いたという言いますから、強靭な足腰の持ち主だったのでしょうね。
私が2年前に歩いた時には、トレイルランをしている人に会いました。
彼らも2泊3日(おそらく高野山泊は入れていない)の行程と聞きました。
・・・上の距離を合計しても65kmにしかなりませんが(笑)

小辺路は元来、京都や大阪から物資を運ぶ道として利用されていたものが、後に参詣道として利用された道です。
京都や大阪から来た商人が熊野で物産を販売し、帰りには熊野の産物を仕入れ、それを京都や大阪にで販売していたそうです。

そういった道なので、中辺路の王子などのような歴史的な物は少ないですが、古道がいい状態で残されていますし、自然林も残されている所が中辺路よりも多いので、植生は豊かです。

小辺路のそれぞれのコースの詳細については、8日からアップしていく予定にしています。
写真を結構撮ったのですが、Google Photoにアップロードした際に手違いで今年のもの以外すべて消してしまうという失態を犯してしまったため、残っていません。



子供には勉強をさせろ

今日は「子供には勉強をさせろ」というお話です。

わたしは高校1年からアルバイトをしていました。
理由はギターを買いたかったからなのですが、「お金を貰える喜び」を知ってしまい、そのあとはただ目的もなく、ただ小遣いを稼ぐためだけにやっていました。

大学の授業料の足しにするとか、目的があれば別ですが、目的のないアルバイトはするべきではありません。

学生は勉強をすることが仕事です。

また、人生でこれだけ勉強にまとまった時間を取れることはありません。
その貴重な時間をアルバイトで費やすことは、非常にもったいない話です。

「定年退職後も時間があるじゃないか」という意見が聞こえてきそうですが、定年が延長傾向にあり、「生涯現役」を貫く方も多くなってきています。
また、悲しいかな、記憶力の点でも、スポンジのように様々なことを吸収できる10代~20代とは、明らかに差が出てしまいます。

以上のようなことから、やはり学生時代にはアルバイトは極力避け、勉強に集中するべき時なのです。

社会人になり、家庭を持つと、いざ勉強しようにも学生時代のような時間はおろか、自分の時間の確保さえも難しくなります。
そうなれば、勉強をするには睡眠時間を削るしか方法がなくなってきます。

もちろん、社会人になってからも資格を取るために勉強をすることはありますが、本当に時間の確保が難しいです。
中には合格率30%程度の試験の合格に10年以上費やしている人もいます。
英会話の勉強なんて、その典型ではないでしょうか?
おおかたの人が途中で投げ出しています。
これでは、明らかに他の人から大きく引き離されてしまっています。
時間の確保というのは、社会人にとって非常に難しい課題なのです。

「社会勉強のため」とか、「将来仕事に就いてから困らないようにするため」という「アルバイト擁護論」的な理由を聞くこともありますが、べつに仕事は社会人になってから嫌というほどできます。
大学を卒業してから65歳の定年を迎えるまで、嫌というほどできます。
仕事のいろはについては、社会人になってから学べばいいのです。

おそらく、ガイドの皆さんはそういった年代の子供さんをお持ちの方が多いと思います。
ぜひ、子供が社会人になってから「学生時代にもっと勉強しておけばよかった」と後悔させないためにも、子供にはアルバイトをさせないようにしていただきたいものです。