ソサノヲとハタレの乱と高野山

ソサノヲとハタレの乱のお話です。

ヤマタノオロチを仕留めたソサノヲは、後に契を結んだイナダヒメとの間に男子をもうけます。
そこでワカヒメのところに行き、「私はめでたく男の子を授かりました。ですからこれで私の心は清らかだということがお分かりになったのではないでしょうか」と伝えましたが、ワカヒメはまだソサノヲの心が清らかではないことを見抜いていて、「まだあなたの心は清らかではない」と伝えます。

このあと、ソサノヲがオロチを斬り殺したことから、それを聞いた全国のオロチが蜂起し、建国以来最大規模の「ハタレの乱」を引き起こしたのです。

大規模な反乱が各地で起こり、その回数は計6回に及びます。

その中において、四国でハタレが集結し、キシヰ国(和歌山県)に攻め込んできました。
有能なアマテルカミの家臣の一人・タケミカツチは、タカノ(高野山)で手際よく捕虜を捉え(その数1900人)、その捕虜を将兵たちとともに縄で縛って連行する際に、誤って縄で捕虜の首を絞めて引き摺り殺してしまい(なんという怪力)、多くの捕虜が命を落としてしまいます。

勇猛・有能なタケミカツチでさえも、失敗をしてしまったのです。
アマテルカミからは、殺さずに懐柔せよと伝えられていたので、タケミカツチは大いに後悔します。

高野山

その後、ハタレの乱で命を落としたタカノ(高野山)には、化け物が出るとの報告があり、イフキドヌシが出向いて宮を建て、慰霊祭を行ったところ鎮まったそうです。
アマテルカミはイフキドヌシに「タカノ神」の称え名を賜りました。

弘法大師空海が寺院建立の地を高野山と決定したのも、どうやらこの話があったからのようです。
まあ、「三鈷杵を唐から投げた」でもかまいませんが(笑)

ハタレの乱鎮圧

さて、その頃ソサノヲはワカヒメに「清らかではない」と告げられてから、出雲で隠遁生活をします。
イフキドヌシが討伐軍を連れて出雲に訪れた時、ソサノヲは蓑笠剣を投げ捨てて涙をためてイフキドヌシに擦り寄ってきました。
よほど後悔していたのでしょう。

そして、これまでの過ちを悔い改めると誓い、討伐軍に協力することになります。

アマテルカミと有能な家臣の働きによって、ようやく大規模な反乱を鎮圧することに成功し、後にソサノヲはアマテルカミからも許しを得て、サホコ(出雲の国)を治めることになりました。

改心したソサノヲは、出雲の地の発展に尽力したことから、アマテルカミより「ヒカワカミ」の称号を与えられます。

・・・いやあ、この一連のソサノヲの話が、私にとっては衝撃でした。
記紀ではただの暴れん坊という印象ですが、ホツマツタヱでは人間臭さがあり、また、まさか不倫の話まで出るとは予想もしていませんでした。

余談ですが、私は年に2回伊勢にお参りをしますが、道中で偶然見つけた尾鷲神社にも必ずお参りをしています。
ここの御祭神が須佐之男様で、初めてお参りをした時、それまで無風だった境内に急に強風が吹き荒れるという不思議体験をしました。
須佐之男様の「手荒い歓迎」かなと思い、ますます親近感が湧きました。

キシヰ国

和歌山の古名をキシヰ国というそうです。
今はその面影はほとんどありません。
「貴志川」など、わずかに残っている程度です。
ちょっと「きしゅう」という発音にも似ていますね。

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