アワウタ

今回は「アワウタ」についてです。
アワウタとは、「ホツマツタヱ」や「ミカサフミ」に書かれている、48のそれぞれ違う文字を、重なることなく五七調に整えた歌のことです。

ホツマツタヱについてはこちらの過去記事もご参照ください。
ホツマツタエ~神話のルーツ~

アワウタを歌うだけで心身が健やかになり、病にならずに長生きできると言われており、不思議な力が宿る歌と言われています。

あかはなま いきひにみうく

ふぬむえけ へねめおこほの

もとろそよ をてれせゑする

すゆんちり しゐたらさやわ

ヲシテ文献とは

本来は「ヲシテ文字」という、漢字伝来以前から日本に存在していたと言われる文字によって書かれており、神代文字(かみよもじ・じんだいもじ)といわれています。

ヲシテ文字は、◯や▢や△などに点や線などを法則に従って組み合わせた文字です。

このヲシテ文字で書かれた書物を「ヲシテ文献」といい、現在は3つ伝わっています。

その3つとは「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」「フトマニ」です。

中でもホツマツタヱは古事記・日本書紀の原型になったのではないかと言われています。

ミカサフミは、ホツマツタヱと対とされるもので、ホツマツタヱの解説書という位置づけのようです。

フトマニとは、ヲシテ文字を円盤状に並べた「フトマニ図」を使って吉凶を占うもので、後に天照大神(アマテル)によって、これを元に128首の歌(モトラツタエノフミ)が編纂されました。

アワウタが編み出された経緯

初代アマカミ・クニトコタチの御子である「ト・ホ・カ・ミ・エ・ヒ・タ・メ」の8人のうち、「ト」の家系が代々アマカミ(現在の天皇にあたる地位)を継承していましたが、6代目に当たるオモタルの時にその血筋が途絶えてしまいました。

そこで、「タ」の家系であるイサナギとイサナミが7代目を引き継ぎます。

「タ」の家系は主に東北地方(ヒカミ)で「ト」の一族を支える左大臣(ヒリ)の役割であったそうです。
その「タ」の一族の直系であったことから、「タ」のカミ(神)を「結ぶ」=「タカミムスビ」という役職を代々継いでいました。

その5代目タカミムスビにあたるお方が「トヨケオオカミ(豊受大神)」です。
豊受大神は伊勢の神宮の外宮の主祭神です。

6代目アマカミ・オモタルの後、アマカミ不在のために国の統治もできなくなり荒れてこの頃に、トヨケオオカミは「フトマニ図」を作り、人々は初代クニトコタチの子孫なのだから、「人類みな兄弟」という教えを広めていきました。

これには「ト」の直系でなくてもいいですよという意味も込められていたようです。

ただ、フトマニ図だけでは分かりにくく、人々には親しみにくいため、イサナギ・イサナミはこのフトマニ図を用いて48文字を用いた「アワウタ」を編み出しました。

アワウタを日本語の基礎に置くことで、これを口ずさむだけで天地開闢(かいびゃく)から現代にいたるまでの、神々の恩恵やご先祖さまの想いに触れることができるとしたようです。

今回はこちらの動画からその内容をご紹介しました。

他にも、ヲシテ文字の意味と構成、アワウタを五七調にした理由、アワウタの意味、「アのアワウタ」と「ワのアワウタ」についてなどの解説があります。

アワウタの意味については、一回見ただけではなかなか理解が難しい部分もありますが、内容が濃く全編を通して非常に勉強になりますので、是非、全編ご覧ください。

みなさんも、アワウタを唱えてみてはいかがですか?

建国記念の日

一日遅れましたが、昨日は建国記念の日でしたね。

初代天皇である神武天皇が即位した日とされています。
その年からの暦を「皇紀」といい、今年は皇紀2681年です。

2681年。

国としてはダントツで古いんです。

「え?中国じゃないの?」

と思われたかもしれませんが、中国は王朝は頻繁に変わっていますので違います。
中華人民共和国の建国が1949年、終戦後です。
なので、「中国4000年の歴史」というのは嘘で「中国72年の歴史」と言い換えなければなりません(笑)
2位はイギリスで約900年です。

そう、日本はぶっちぎりで古い国なんです。

ただ、日本の建国の年代も「違う」という可能性はあります。

この年代は、日本書紀に記されている紀元前660年旧暦1月1日を元に言っているに過ぎません。
日本書紀の編纂が720年。
神武天皇が即位されたとされる年から約1300年も経っていますので、この書に記されていることが真実なのかどうかも疑わしいです。

日本は世界最古の国であるためか、建国の年代がはっきりとはわかっていません。
こんな国も珍しいのではないかと思います。

ホツマツタヱによれば、日本はもともと「常世国(とこよくに)」と呼ばれ、その建国は初代アマカミであるクニトコタチにまで遡ります。

時代は縄文時代中期(5500年~4400年前)とされています。

クニトコタチは、古事記・日本書紀などでは神として描かれていますが、ホツマツタヱでは人として描かれています。
そして、みなさんご存知のイザナギ・イザナミはその7代目アマカミ、天照大神は8代目にあたります(ちなみにホツマツタヱでは天照大神は男性として描かれています)

この国を建国したとされる神武天皇は13代目です。

アマカミとは、今で言う天皇の地位にあたるお方であり、日本全国を巡業して農業の普及と国語の標準化、トの教えを広めるために尽力されました。

トの教えについては、こちらの記事をご参照ください。

https://7875937fbfc6f01c.main.jp/2020/06/23/%e5%8f%a4%e4%bb%a3%e5%8f%b2%e3%83%9b%e3%83%84%e3%83%9e%e3%83%84%e3%82%bf%e3%83%b1%e3%81%ae%e6%97%85%e3%80%90%e3%81%8a%e5%8b%a7%e3%82%81%e6%9b%b8%e7%b1%8d%e3%80%91/

・・・これがもし本当であれば、2681年どころの話ではありません。

日本と中国の建国の歴史は、それぞれが主張していることと違うという点では同じですが、中国のそれは「もっと短い」、日本は「もっと古い」ということになります。

戦後のGHQの自虐史観の教育により、日本人は自国の誇りを失いつつあります。
自国を卑下する国民がいる国なんて、普通ではありません。
この機会に、我が国に対する想いを再認識されてみてはいかがでしょうか?

勾玉の意味とは?

勾玉。このブログを読んでくださっているあなたなら、おそらくどんなものかご存知だと思います。
しかし、姿かたちは知っていても、それがどんな意味を表すのかというところまでご存知ない方も多いのではないでしょうか?

今日はそんな勾玉についてお話をします。

勾玉とはトの教え

ホツマツタヱを読むと、勾玉はトの教えを形にしたものだという事がわかります。
では、その「トの教え」とは何でしょうか?

トの教えとは、初代アマカミ・クニトコタチが8人の子に授けた、この国を豊にしていくための理念です。

クニトコタチは次のようなお言葉を子らに伝えます。

これからは、あなた達の時代です。

あなた達の力でこの国を素晴らしい国にして欲しい。

まず先に行うことは民を豊かにすることです。 民の安定した生活こそが、この国の平和と安全をもたらすのです。

自分の身を惜しんではなりません。

私が教えた、木の実の栽培方法と、住居の建て方は、必ず役に立ちます。

この教えを持ってそれぞれが、創意工夫してこの国の発展に尽くしてもらいたい。

「まず国民ありき」

まさに今の天皇家にまで脈々と受け継がれている理念ですね。

さらに、ヲシテ文字の「ト」を見ると、「Y」といういう字を「□」で囲っています。
「Y」の二股に分かれている上部は「見える世界と見えない世界」を表し、「□」はハニ(土のように固まる)を表します。

なので、「見える世界と見えない世界がひとつになり固まる」という意味を表します。

私達の住む世界には、目に見える物はもちろん、風、空気、電波、心などのように目に見えないものがあります。
古代の人々は、その目に見えない世界も大切にしており、見える世界とともに重要視していたそうです。

これらの世界を2つに分けると、目に見える世界を「ヲ(陽)」とすれば、目に見えない世界は「メ(陰)」となります。

勾玉は実は「円形」?

さて、「陰陽」といえばこの図を思い浮かべる方が多いと思います。

元来、これは中国の思想ではなく、日本にあった「ヲとメ」の思想が中国に渡り「陰陽」として解釈されたというのが本当のところだそうです。

この形、片側だけ見るとよく分かると思いますが、まさに勾玉です。
なので、勾玉は本来、このような形をしており、片方は目に見えない世界を表しているので、形式上片方が見えていない・・・これが勾玉だということです。

いかがでしたか?

このお話を信じる信じないはさておき、ひとつひとつの意味が分かると、まさに「目からウロコ」ですよね。

お客様から質問を受けた際や、三種の神器の説明をする時などに役立ててください。

ヲシテの「あいうえお」と空風火水地

今回はヲシテ文字の「あいうえお」と、空風火水地についてです。
ヲシテ文字とは、ホツマツタヱ、ミカサフミ、フトマニに書かれている古代文字とされています。

松本善之助氏の発見以来、松本氏はもちろん、池田満氏や他の研究者の方々の努力と苦労によって、最近「ヲシテ文字」という言葉を聞く機会も増えてきつつあります。

今回は少しだけ(私が知った知識だけです)お話しようと思います。

ヲシテ文字は、漢字伝来以前から日本で使用されていた文字のひとつとされています。


古代史ホツマツタヱの旅 第1巻によると、事の発端は、「現代用語の基礎知識」の初代編長であった松本氏が、偶然ホツマツタヱの写本を神田の古本屋でその一部を発見します。
そこに書かれていた文字がヲシテ文字だったわけです。

それから、松本氏による猛烈な研究が始まったそうです。

そしてついに、愛媛の宇和島・小笠原長武氏宅で、完全な写本が発見されます。

さらに、昭和48年に滋賀県高島郡の野々村家からミカサフミとフトマニが発見されます。
12万字、10700行余りに渡ってすべて五七調で書かれていた大作です。

そこに書かれていた内容が衝撃的だったのに加え、ヲシテ文字の意味を解明することにより、縄文時代にはすでに日本に文字を持った文明があったということが分かってきました。

あいうえおと五元素

以前の記事にも、ヲシテ文字は表音文字であり、表意文字であると書きましたが、ここで少しお話しようと思います。

ヲシテの48音図 によると、

あ:うつほ(気体)
い:かせ(冷たく降りる)
う:ほ(温かく昇る)
え:みつ(液体)
お:はに(個体)

となっています。

五輪塔に刻まれている「空風火水地」とよく似ていますが、池田氏はこれを否定しています。
ヲシテ文字の思想が縄文時代からあったとするならば、この考え方が大陸に渡り、「空風火水地」となり、日本に逆輸入されたのではないか、とさえ思えます。

また、はじめてのホツマツタヱ 地の巻によると、

アメノミオヤカミが大きな息を吹くと、やがてそれが渦を巻き始め、「ヲ(陽)」と「メ(陰)」の元素に別れた。

天地(あめつち)をお造りになったあと、陽は軽いので回転とともに上昇して天となり、陰は重いので凝り固まって地球になった。

また、陰の元素は水と土(はに)に別れた。

アメノミオヤカミはこの空風火水土の五元素を混合して人を造られた。 アメノミナカヌシです。

と書かれています。

どちらにせよ、陰陽五行に基づく考えは、日本が先であったということになります。

そして「あいうえお」は母音であり、すべての音の元になっています。
他の言語では異なる母音もありますが、すべてはこの5音の組み合わせです。
その組み合わせを分解すれば、5音に行き着きます。
先人たちが、この音と宇宙の五元素の関わりを知っていたということになると、もう「恐れ入りました」となるのは私だけでしょうか?

天皇について

伊雑宮。ホツマツタヱでは、アマテルカミがお住まいになっていた場所とされています。

今回は天皇についてです。

外国人を案内していると、天皇について質問を受けることが少なくありません。
あなたは天皇について外国人に説明をする時に、どう説明していますか?

日本国憲法における天皇

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

日本国民統合の象徴・・・何だかよくわかりません。
よく「象徴」「象徴」と耳にしますが、では、その「象徴」って、いったい何ですか?

現在の日本国憲法は、戦後GHQによって作られたものであることは、ご存知の方も多いと思います。
青山繁晴氏曰く、これはGHQが憲法を作成した時、天皇陛下のことを「symbol」と表したことによるとされています。
この「symbol」がそのまま訳されて「象徴」となったわけです。
天皇は、単に「象徴」と一言で片付けられるほどの存在ではありませんよね。

明仁上皇が天皇として在位されていた時、「象徴としての務め」というお言葉を発しておられましたが、戦後に天皇の地位が漠然と「象徴」と位置づけられたことで、戦後における天皇像とはどういうものか、当時の陛下ご自身、相当悩まれたことだと思います。

天皇陛下自身が、天皇のあり方について分からないということは、滑稽としかいいようがありません。
それは単に「象徴」と一言で片付けられたことが原因でしょう。

大日本帝国憲法では

一方、GHQに「改変」される前の「大日本帝国憲法」はどうでしょうか?

第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

単純明快です。
戦前までの天皇とは、本当の意味で国を束ねる存在であったわけです。

木花咲耶姫様の御神示

「いきなり何だ!」と思われるかもしれないですが、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)という神様がいらっしゃいます。

コノハナサクヤヒメ様といえば、ニニギノミコトとの間に三人の御子(火遠理命、火須勢理命、火照命)をもうけます。
記紀では、一晩でコノハナサクヤヒメが身ごもったことを不審に思ったニニギノミコトの疑いを晴らすため、出入り口の無い産屋に火を放って三人を出産します。

その三人の御子の中の火遠理命から鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)が生まれ、ウガヤフキアエズノミコトから神武天皇が誕生します。

ですので、神武天皇から見れば、コノハナサクヤヒメはひいおばあさんです。

世の中には「シャーマン」と呼ばれる、いわゆるあちらの声が聞こえる方々がいらっしゃいますが、その中のひとりに天杵万乃(あまきまの)という方がいらっしゃいます。
天杵万乃さんは数学が得意で、数学の塾で講師をしていた経歴があり、数字を見ると勝手に因数分解をするほど数字が好きだったそうです。

元々、彼女自身はそういった存在など信じておらず、仏壇の扉も普段は閉めっぱなしにしているほど信心がなかったそうですが、ある日、病の床に伏している時にはっきりと「木花咲耶姫」という字が浮かび上がり、それからというもの、彼女と思われる存在からメッセージが届くようになったそうです。
当時は、突然自分の身に起こったこと(メッセージが聞こえる)に対して、「自分は気がおかしくなったのではないか」と思い、悩まれたそうですが、繰り返し受ける様々な話の内容が、あまりにも筋が通っていることから、彼女の存在を信じるようになった(せざるを得なくなった)そうです。
そしてそれらのメッセージを、世間の人々に発信しなさいという言葉を受けます。

ちなみに、メッセージが降りてくる時は、日本語ではなく数字が降りてくるような感覚だそうです。

私は5、6年前に彼女のブログを拝見し、その記事すべてを読みましたが、どれを取っても一本スジがきちんと通っており、このメッセージは間違いがないという確信に至りました。
(でないと、ここで紹介しようなんて思いません)

残念ながら、当時読ませていただいたブログのURLが2回ほど変わっており、今はそれを読むことはできませんが、現在でも、当時に受けたであろうメッセージを含めて、発信をされています。

興味のある方はこちらからどうぞ。

さて、前置きが長くなりましたが、その「神示」の中で、天皇についていくつも触れられていますが、その中の一つを引用させていただきます。

はるか遠き神世の時代。

食べものも少なく、文明の発達も穏やかなりし頃、神は人を愛で、人は神を尊び感謝捧げ、人の魂も美しく輝けり。

神は人に我を与えん。
そは人が発展し向上し、さらなる成長図るためのものなり。

なれど長き時流れ、文明発達し食べものも豊富となるにつれ、人は少しずつ神から離れ、その我は神の思いに反し我欲として増長せん。

さにて神は常に神と交信し神の道から離れし人を正道にいざなう役割を担い神に仕える人、天皇陛下を定めん。

人が正道にありて、更なる発展を正しく遂げるために天皇家は存在す。

さなれば日の本復活には、天皇陛下が神世の時、神より与えられたる本来の役割取り戻さねばならぬものなり。

つまり、神と交信ができ、その教えを用いて民を正しい方向に導く存在ということになります。

ホツマツタヱでは?

ホツマツタヱではどうでしょうか?

いにしえの あまつちうびの
きはなきに きさしわかるる
あうのめを をはあめとなり
つきとなる かみそのなかに
あれまして くにとこたちの
とこよくに

このクニトコタチが、最初に出現された神です。
ここでいう「神」とは、「守(カミ)」であり、国の政(まつりごと)を司る存在、国の指導者という意味だと思います。
そして、クニトコタチが初代アマカミであり、のちの「スヘラギ」「すめらみこと」「天皇」と呼ばれました。
国の名は「日本」ではなく「トコヨクニ」と言ったそうです。

・・・そもそも、「天皇」って、漢語読みですもんね。

なので、「天皇」と呼ばれるようになったのは、漢字が入ってきてからでしょうね。

国の指導者という点では、先程の天杵万乃さんのブログの内容と重なる部分がありますよね。
そして、大日本帝国憲法に見る、戦前の天皇についての解釈も、ほぼ間違いがなかったということになります。

おかしくなったのは戦後からです。

まとめ

「天皇」とは元々、民を導く存在であり、神(アメノミオヤカミ)の意思から離れて行った人々を、再び正道へと導くための存在だったということが、おわかりいただけるのではないかと思います。

そして、天皇とは祈りの存在であり、神道の頂点に立つお方です。
陛下は「象徴」となってしまった今でも、毎日国民のために祈ってくださっています。

現在は、天皇不要論みたいなものを主張する輩がいるようですが、とんでもないことです。

天皇がなくなれば、世界の親国である日本の終わりを意味し、世界の親国の終わりは世界の終わりにつながるということを、肝に命じてほしいですね。

大元の神について

今回は、大元の神についてです。

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教など(元は同じですが)、他に神の存在を認めない宗教における神とは、人知を超えた絶対的存在であり、天地創造の神です。

また、真言密教においても最高の存在は大日如来であり、宇宙そのものという考えです。

では、神道にはそういった存在はないのでしょうか?
(ここでは、ホツマツタヱに書かれている内容も、「日本古来の信仰」ということで、「神道」と括らせていただきます)

古事記、日本書紀、ホツマツタヱで見ていきます。

古事記

天地が初めて発(あらわ)れた時、高天原に成ったのは天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)でした(以下、すべてカタカナ表記とし、「ノカミ」も省略します)

まず最初に成った神は、アメノミナカヌシと書かれています。
によると、この「アメノミナカヌシ」は宇宙そのものだとされています。
そして古事記では、この神は独神であり、男女の区別がない神とされています(まあ、神話ですからね)

古事記では、天地が創造される過程を示す記述は、無いに等しいです。

日本書紀

日本書紀にはこの点に関する記述がたくさん書かれており、「一書ではこう言っている」が6つもあり、それぞれの内容が微妙に違います(違うから載せたんでしょうけどね)

その「一書ではこう言っている」の前の段落で、「代表」のような記述があり、それによると

昔、天と地がまだ分かれず、引用の別もまだ生じなかった時、鶏の卵の中身のように固まっていなかった中に、ほの暗くぼんやりと何かが芽生えを含んでいた。

やがてその澄んで明らかなものは、のぼりたなびいて天となり、重く濁ったものが固まるのには時間がかかった。
だからまず天が出来上がって、大地はその後に出来た。

そしてその後から、その中に神がお生まれになった。

天地が開けた始めに(中略)ある物が生じた。形は葦のようだったが、まもなくそれが神となった。

クニトコタチと申し上げる。

と書かれています。

日本書紀ではおおむね、クニトコタチが最初の神だとされていますが、天地が出来た後から生まれた神であることから、どうやら「宇宙そのもの」でも「天地創造の神」でもないようです。

また、天地が造られた過程が描かれていますが、「勝手に出来た」ような書き方であり、天地を造った神の存在はありません。

ホツマツタヱ

ホツマツタヱでは、いきなり「神が伝えてきたことによると」から始まります。

南方熊楠も言っていましたが、昔の人は「第六感」が発達していて(というか、元々備わっていた)、神々(または霊)と交信をすることが出来たそうです。

いきなりインパクトがありますね。

話がそれました。

それによると、

大昔にまだ天地が定まっていない時(宇宙もない時)唯一いらっしゃった神・アメノミオヤカミ(天御祖神)だけが存在し、その周りに「ウビ」と呼ばれる混沌が雲のように漂っていた。

アメノミオヤカミが息を大きく吐くと、「ウビ」が動いて渦(うず)を巻き始めた。

渦の中心は柱となり、やがて軽いものは陽極に、重いものは陰極に集まり、それが天(ここではおそらく宇宙)や太陽、地球と月が生まれた。

という内容の記述があります。

「唯一いらっしゃった神」によって天地(宇宙)を創造する過程が描かれていますので、アメノミオヤカミが、キリスト教などの「神」にあたる存在だと考えられます。

古事記における「アメノミナカヌシ」は、ホツマツタヱでは地球が出来た後に人類の祖として誕生し、その子孫からクニトコタチが生まれるという流れになっています(クニトコタチは初代アマカミ)
また、古事記のアメノミナカヌシは、天地ができてから成った神であることから、アメノミオヤカミとも、キリスト教などの「神」とも違います。

とにかく、「アメノミオヤカミ」というお名前は、私も聞き馴染みがありませんでした(記紀にももちろん登場しませんし)
しかし、縄文時代の人々も、やはりこの天地を造った「何か」がいらっしゃって、人間はその中で生かされているということがわかっていたのでしょうね。

そう考えると、キリスト教であろうと、神道(縄文時代の人々の信仰)であろうと、「信仰している神は同じであり、それぞれが違う角度から、違う方法で崇めているだけ」ということになりますね。
それが今、現代の日本人の信仰に中に存在していないことが残念です。

速玉大神について考える

今日は熊野三山の御祭神の一柱、熊野速玉大神について考えたいと思います。

熊野で異名を持つ神々

熊野三山で祀られているそれぞれの主祭神は、一般の呼び名とは違うことはみなさんもご存知のことだと思います。
熊野では家津御子神はスサノオ、熊野夫須美大神はイザナミ、熊野速玉大神はイザナギとされています。

先輩ガイドから聞いた話では、「それぞれの土地で神様の呼び名が違うことがあるように、熊野三山でのこれらの呼び名は、熊野での呼び方」ということでした。
いわゆる、「神様の方言」のような感じでしょうか。
しかし、どういう経緯でそのような名前になったのかという説明がありませんでした。

以前の記事「ソサノヲとクマノ宮」でもお話したように、ホツマツタヱからの解釈では、ソサノヲはイサナミの汚気(おけ)が移った子という意味でした。

「けつみこ」の「け」は「食べ物」を表すので、家津御子神とは、食べ物を司る神だという話を聞いたことがあります。
もちろん、「け」は食べ物の意味も表しますが、スサノオは食べ物の神ではないため、この場合は当てはまらないと思います。

では、速玉大神はどうでしょうか?

速玉さんについて、私が聞いた話や、本で読んだ話を交えてお話をしていきます。
なお、現在の速玉大神の解釈を否定するものではありませんので、あくまでも「一解釈」として読んでいただければ幸いです。

日本書紀に見る速玉大神

古事記を読む限り、「速玉大神」あるいは、それに似た名前の神は登場しません。
日本書紀に唯一、「一書(第十)にいう」として「速玉之男」として登場します。

伊弉諾尊(イザナギノミコト、以下カタカナ表記)が伊弉冉尊(イザナミノミコト、以下カタカナ表記)のおられる所にいらっしゃって、語っておられるのに、「あなたが愛しくてやってきた」と。
答えて言われる。「どうぞ私を見ないでください」と。

イザナギノミコトは聞かれないで、なおもご覧になっていた。

それでイザナミノミコトは恥じて恨んで言われるのに、「あなたは本当の私の姿を見てしまわれました。私もあなたの本当の姿を見ましょう」と。

イザナギノミコトは恥ずかしいを思われたので、出て帰ろうとされた。
その時ただ黙って帰らないで誓いの言葉として「もう縁を切りましょう」と言われた。

また、「お前には負けないつもりだ」と言われた。
そして吐かれた唾から生まれた神を名付けて速玉之男という。

次に掃き払って生まれた神を、泉津事解之男(よもつことさかのお)と名付けた。

二柱の神である。

 

お名前は出せませんが、ある宮司さんからも同じような話を聞きました。
さらにその宮司さんの話では、昔は誓約(うけい)をする時に、「事を分ける」という意味で唾を吐き合ったそうです。
その時に生まれた「仲介の神」が速玉之男、そして、誓約を交わしたこの誓約の言葉によって生まれた神(事を分ける神)が事解之男(ことさかのお)であり、この二柱の神は一対をなすので、別々に祀られているより一緒に祀られているほうが自然だというお話でした。

そして、日本書紀から見れば、速玉大神とイザナギは別の神として描かれています。

少し話題がそれますが、全国の熊野神社に祀られている神を見ると、そのほとんどが、イザナミ、速玉、事解男命の三柱だそうです。
そういえば、私の地元の白浜にも「熊野三所神社」がありますが、祭神はイザナミ、速玉、事解男です。

全国に散らばる熊野神社が三山から勧請されたのであるならば、「オリジナル」の三山のそれぞれの主祭神が、なぜイザナミ、イザナギ、スサノオなのでしょうか。

自然信仰から見た速玉大神

速玉大神について、自然信仰からの解釈も聞いたことがあります。

熊野のみならず、神道の起源は自然信仰とされています。
本宮は木と川、那智は言わずもがな滝、そして新宮はゴトビキ岩と川の信仰があるということです。

その中で、「はやたま」の「たま」とは玉のように早いことを言うそうで、「はやたま」とは、速い川の流れを表すそうです。

ただ、個人的にはあまりしっくりきていません。

和歌山県神社庁の記述

和歌山県神社庁のHPでは、

速玉は映霊で、イザナギノミコトの映え輝くばかりの力強い神霊の意で、夫須美はイザナミノミコトの万物を産み成し、幸へ給う女神としての大神徳を称えた御名である

と書かれていて、速玉はイザナギの称え名(たたえな)としています。
称え名という習慣は、ホツマツタヱでも幾多と記載があります。

例えば、ソサノヲが出雲の発展を成功に導いた時に贈られた名は「ヒカワカミ」、タマキネの称え名は「トヨケカミ(豊受大神)」など、何か国のために尽力をして一定の成果を収めた人物に贈られています。

熊野古道では、野長瀬一族が護良親王から「横矢」の名前を賜ったという話が残っていますので、当時は当たり前に行われていたのでしょう。

ホツマツタヱでは仲人

さて、いつもこのブログを読んでくださっている方(いてるのか?)なら、最後にホツマツタヱではどうなっているのか、興味が湧くところだと思います。

ホツマツタヱでは、イサナギ・イサナミの家系が書かれています。
家系についてはまたの機会にお話するとしてここでは省略しますが、イザナギ・イサナミとも、初代アマカミ・クニトコタチの譜系から誕生しています。

イサナギはアワナギを父に持ち、イサナミはトヨケカミ(豊受大神)を父に持ちます。
なので、トヨケカミはアマテルカミ(天照大神)の祖父であり、師でもあったわけです。

ちなみに、お二人のヰミナ(斎名・本名)はタカヒト、イサコです。

お二人が結婚をするため、まずハヤタマノヲ(速玉大神)が二人の縁結びを試みましたがうまくいかず、代わってコトサカノヲ(事解之男)が引き継いだそうです。
コトサカノヲは、お二人にトコミキ(床酒・二人が交わる前に酌み交わす酒)の作法を授けます。

残念ながら、ホツマツタヱではこれしか書かれていません。
ハヤタマノヲのことも、コトサカノヲのことも、どの譜系の人なのかがまったくわかりません。

ホツマツタヱでは速玉大神、事解之男とも、イサナギ・イザナミの仲人として登場しています。
「仲を取り持つ」という点では、日本書紀の記述と似ています。
そして、ホツマツタヱでもハヤタマノヲはイサナギと別の人物として描かれています。
内容は若干違いますが、日本書紀の「一の書(第十)」というのは、ホツマツタヱからの引用かもしれません。
このように、日本書紀にはホツマツタヱと似た記述が散見されます。

ということは、三山の速玉大神もイザナギではないのでしょうか?

神像の話

これはちょっとデリケートな部分なので、話題に入れようかどうか悩みましたが、「あくまでも聞いた話」というレベルで読んでいただければと思います。

現在国宝とされている神像四躯(速玉、夫須美、家津御子、国常立)のうち、新宮の解釈では一体がイザナミであることは確実なので、もう一体は夫のイザナギであろうとしたしたことから、イザナギ=速玉という解釈が生まれたのだろう・・・という話を複数の方から聞いたことがあります。

記憶がうろ覚えですが、これらの神像は「発見された」と聞いた記憶があります。

どういった経緯で発見されたのかは覚えていませんが、おそらく発見されるまでは、畏れ多くて社殿を開けることがなかった、あるいは、ごく一部の神職さんしか見ることが出来なかったからかもしれません。
伊勢の神宮では、三種の神器の八咫鏡を天皇陛下でさえ見ることが許されないと言われていることからも、こうしたことは十分考えられる事かと思います。

見つかった神像がどなたであるか、神像に彫っていたり書かれていたりすれば別ですが、何もそういったことが書かれていなければ、推定の域を越えることはないと思います。

なので、「イザナミがあるのだから、もう一体はイザナギだろう」と考えるのは自然なことだと思います。

結局、速玉大神とは

これまでの話をまとめると、速玉大神とは、「イザナギのと同一説」と「イザナギとは別の神説」に分けられます。
まず、同一説では、

◯イザナギの称え名である

 

別の神説では、

◯自然信仰から生まれた神である

◯イザナギ・イザナギの誓約の際に生まれた神であり、「事を分ける」儀式によって生まれた仲介役の神である

◯お二人が結婚する時の仲人だった

上記の中で「速玉=玉のように速い川の流れ」という「自然信仰説」は、那智の滝やゴトビキ岩とは違い、後付けかもしれません。
ハヤタマノヲが神格化され、後に自然神として信仰され始めたのではないかと思っています。

個人的な意見ですが、私は三山の速玉大神も、イザナギではないと思っています。
ただし、自分が案内する時はイザナギと説明はしています。
お客様を混乱させてしまうということと、三山や神社庁がイザナギと特定している以上、これに逆らうことはできませんので。

ただ、説明をするたびに心の奥底で「違うのではないか」という気持ちが湧き起こります。
色んな話を聞くと、そう思えてなりません。

「熊野」の由来について考える②

発心門王子

今回は、熊野の由来について考える(その2)です。
「クマノ」の由来について深堀りしていきます。

「通説」の検証

前回までのお話では、通説として

1.死者の霊が籠る国を「こもりくに(隠国)」といい、冥界を意味する「くまで」「くまじ」と同じく「くまりの」の変化

2.「クマ」とは「隈」であり、「籠る」という意味であり、この地は樹木鬱蒼なので「くまの」と名付けられた、あるいは、死者と神が隠れ籠る地

3.神が隠れるところを「神奈備のミムロ」といい、「クマノ」も「ミムロ」も「隠れ、籠る」という意味

4.熊野の「熊」は「隈」であり、「奥まった場所」という意味であり、古代の中心地域であった大和・河内から見て、遠く隔たった辺境の地域、あるいは、海の彼方にある常世国から見て奥である

以上の解釈から、「クマ=隈=籠る→死者と神が隠れ籠る国」、あるいは、「中心地から奥まった場所」という解釈と考えることができます。

一方、ホツマツタヱでは、

ソサノヲの傍若無人ぶりは、自分(イサナミ)の穢(けがれ=クマ)が原因だとし、その穢を落とすために「クマノ宮」を建てる。
その後イサナミは、火傷を負って亡くなる。

となっています。

今回は、前回挙げた説について、私なりに考えてみたいと思います(かなり私感とガイド目線で見た考え方が入っています。ご了承を)

まず、1について。

「死者の霊が籠る国を『こもりくに(隠国)』といい、冥界を意味する『くまで』『くまじ』と同じく『くまりの』の変化」

・・・まったく意味不明です。

百歩譲って「くまりの」から変化したとしても、こじつけ感があることは否めません。
私たちガイドがその由来について説明する時、こんな解説ではまずガイドが説明に困ります。
ガイドがうまく説明できないことを話して、お客様が理解してくれるわけがありません。
一体、「こもりくに」がどうしたというのでしょうか?
初めてこの解説を見た時、「これが由来なんだ」と鵜呑みにしてしまい、説明に困りました。
英語ではなおさらです。

あまりにもこの類の説が有力視されていますが、私は初見からしっくりきていませんでした。

「くまりの説」「こもりく説」は、あくまでも個人的な考えであり、これから私がお話することと何らレベル的には変わりはないと考えています。

説はあくまでも説です。

次に2について。

「クマ」とは「隈」であり、「籠る」という意味であり、この地は樹木鬱蒼なので「くまの」と名付けられた、あるいは、死者と神が隠れ籠る地

「籠る」までは意味は分かります。
そこから突然、何のつながりもない「樹木鬱蒼」という言葉が出てきて読み手を困惑させてしまいます。
樹木鬱蒼の地を「クマノ」というのであれば、当時の日本中はほとんど「クマノ」と呼ばれていてもおかしくないと思います。

「死者と神が隠れ籠る地」は、まあ納得できます。
この「籠る」を「住まう」とか「坐ます(います)」として解釈するなら理解できるという話です。
神が籠る必要はないと思います。

続いて3について。

神が隠れるところを「神奈備のミムロ」といい、「クマノ」も「ミムロ」も「隠れ、籠る」という意味

意味は2とほぼ同じです。
ムロ(牟婁)とクマノをかけて、より「隠れ籠る」場所が牟婁郡であることを強調しています。

4について。

「熊野の『熊』は『隈』であり、『奥まった場所』という意味であり、古代の中心地域であった大和・河内から見て、遠く隔たった辺境の地域、あるいは、海の彼方にある常世国から見て奥である」

高野氏は否定的ですが、都から見て熊野地域は南の端にあたり、そのすぐ先は黒潮洗う太平洋が広がっています。
その海の彼方には南方補陀落浄土があると信じられており、深山幽谷の先にそういった大海原が広がっているのを目の当たりにして、そこが「隈」(この場合奥まった場所、あるいは辺境の地)と、都の人が考えることは自然なことだと思います。

まあ、「常世国から見て奥」はちょっと曲解のような気がしますが。

以上からまとめると、「熊野」とは、神と死者が隠れ籠る、辺境の地であり、「クマ」は「隠れ籠る」「奥まった」「辺境」から由来したと考えられます。

・・・「こもりく」は置いておきましょう(笑)
話がややこしくなるので。

ホツマツタヱから熊野の由来を読み解く

一方、ホツマツタヱではどうでしょうか?

諸国を回っていたイサナギ・イサナミは、ソサの国(紀伊半島南端部)でソサノヲを授かります。
ソサノヲの傍若無人ぶりから、イサナミは、自分の隈(くま・ここではケガレのこと)が、ソサノヲに移ってしまったのだと考えその「隈」を落とすため、また、ソサノヲが行った行為によって、米の減収を余儀なくされたことを償うために「クマノ宮」を建てます。

このお話から、クマノ宮→隈の宮→隈を祓うための宮という解釈ができます。

この時点ですでにホツマツタヱでは「クマノ」という言葉が登場しています。

「こもりく」とか「くまりの」という言葉から想像する矛盾さはここにはありません。

では、なぜ「クマノ」という名前が定着したのでしょうか?
それはやはり、イサナミの死が大いに関係しているのではないか、と私は思っています。

アマカミ(当時の天皇の呼び名・イサナギ・イサナミは七代目アマカミであり、二人で天皇の役割を担っていた)であるイサナミが事故死をしてしまったことは、当時でも一大ニュースだったことは想像に難くありません。

縁起でもない話をするべきではないですが、今の世で同じ事が起こった場合を考えれば・・・これ以上話すのはやめておきますが、イサナミの突然の死は、当時の国民にとっても相当ショッキングな出来事であったに違いありません。

それがクマノ宮のある地で起こったことから、いつしか「ソサの国」から「クマノ」と呼ばれるようになったのではないか、と考えています。
鹿島、住吉など、その土地の名前が神社に由来するところが日本にはたくさんあり(「宮」とつくところなど、また、「亀」がつくところなども「神」が転訛したとされるところが多い)、本宮、那智なども、地名が先が神社名が先かは分かりませんが、いずれにせよ、神社とその土地の深い関係が示唆されています。
このようなことから、「ソサの国」が「クマノ」と呼ばれるようになったのも、ごく自然なことではないでしょうか。

熊野が「黄泉の国」と呼ばれていた理由も、イサナミの死が無関係だとは思えないのです。
このショッキングな話と、深山幽谷の熊野の典型的な地形、そしてそのすぐ先に広がる大海原が、「神や死者が隠れ籠る地」と考えられ、平安の上皇・法皇の爆発的な熊野参詣につながったのではないかと思います。
この「参詣ブーム」は、修験者の「広告」が大いに影響を与えたこともその要因の一つと考えられますが。

話がそれましたが、ホツマツタヱから「クマノ」の由来を読み解くと、イサナミが建てた「クマノ宮」に起源があると考えることができます。

おまけ(「八十隈に隠去なむ」を検証する)

さて、前の記事でお話した中で、もう一つ、突っ込みたいところがありますので、最後にお話します。

「熊(隈)には「死者の籠るところ」の意味もあり、日本書紀の中でオオアナムチノカミ(大己貴命)が天孫(ニニギノミコト)に国を献上したあと「八十隈(やそくまで)に隠去(かくれ)なむ」といって死んでいく場面があり、「八十」は強調の字で、「隈」は「幽界」とか「死者の魂の籠るところ」の意味であることは言うまでもない、万葉集ではこのような性格の場所を「隠国(こもりく)」と呼んでいる。

 

というくだりです。

・・・だから、「こもりく」がどうした!?

それは放っておいて、

以前の記事「国譲り②」にも書いたので、読んでくださった方は「ん?」と感じたのではないでしょうか?

オホナムチがいわゆる「国譲り」をしたあと、ホツマツタヱではその後のオホナムチの足跡が描かれています。
この場合の「隠れる」は、「死ぬ」という意味ではなく、「隠遁をする」と解釈しなければ、国譲りは武力をもってオオクニヌシ(オホナムチ)一族を死に追いやったことになります。

「隠れる」の意味はこちら

また、「八十隈(やそくまで)」の解釈ですが、多くの辞典では「多くの曲がり角」とされています。
weblio 「隈」

goo 辞書 「八十隈」

デジタル大辞泉・大辞林第三版 「八十隈」

「八十」は「多くの」という意味であり、強調の意味もあるでしょう。
しかし、ここで登場する「隈」について言えば、「幽界」とか「死者の魂が籠るところ」と解釈するのは、前後の意味のつながりを考えれば、かなりの強引さが感じられます。
いったい、「幽界」や「死者が籠るところ」を強調する必要がどこにあるのでしょうか?

ホツマツタヱに基づいて考えれば「多くの曲がり角(津軽までの道のり)を経て、隠遁した」と解釈でき、合点がいくのではないでしょうか?

神話と正史は別物

以上、熊野の由来について、私なりの考えをお話しましたが、神話は神話で楽しく読めばいいと思いますし、いまのところ日本書紀が「正史」とされていますので、ホツマツタヱが絶対に正しいとかいうつもりは一切ありません。
しかし、日本書紀には「一書にいう」という記述がたくさんあることから、その元になった書物があったはずなのです。
その一つがホツマツタヱではなかったか、と思っています。

「ホツマツタヱは後付けの偽書だ」と言う人がいます。
もちろん、ホツマツタヱは話が出来すぎていて、後付けで改変された箇所がある可能性も否定できませんが、記紀でつながりが分からなかった部分がホツマツタヱでは書かれており、合点がいく点が多いのも事実です。

また、記紀も同様で、神話は神話であり、それこそ、編纂者が改変した可能性も十分考えられますので、それを鵜呑みにして解釈することもいかがなものかと思います。
その一例が、今回検証した「八十隈に隠去なむ」ではないでしょうか。

神話はあくまでも物語として読むべきであり、記紀を元に歴史の研究をするということは、実話を元にして作られたフィクションのドラマを元に、実話を探るようなものです。
そこからは残念ながら、どう研究しても絶対に真実にたどり着くことは出来ません。

話の辻褄が合わなければ、人に説明する立場の人間としてはますます困惑し、迷宮に迷い込んでしまいます。
そういった意味では、ホツマツタヱに書かれている内容の方が、ガイドとしては合点のいくことが多く、お客様に納得してもらえる内容でお話ができるという点では、記紀よりもホツマツタヱの内容を私は支持します。

いずれにせよ、私のような立場にない方については「こういう解釈がある」というレベルでおおらかな気持ちで接することが大切ではないでしょうか。

とにかくまずは記紀に触れてみてください。
世界中で、神話や国の成り立ちについて教育を受けていないのは日本くらいです。
記紀を読むことで、この国のことをもっと知りたいという気持ちになれば幸いです。

「熊野」の由来について考える①

今日は熊野の由来について、定説とされているものと、ホツマツタヱに書かれていることを比較しながら検証したいと思います。

五来重氏の著書・熊野詣 三山信仰と文化 には、熊野は幽国(かくれくに)であり、古代人は死者の霊のこもる国がこの地上のどこかにあると考えたことから、これを「こもりくに(隠国)」と呼んだ。
また、冥界を意味する「くまで」「くまじ」と同じ「くまりの」の変化であろうと記しています。

高野澄氏の著書・熊野三山・七つの謎―日本人の死生観の源流を探るには、

◯神が隠れ籠るところを「神奈備(かんなび)のミムロ(御室)」と表記することがあり、牟婁郡の「牟婁」に由来している。

◯紀伊続風土記を引用して、「熊は隈であり、籠るという意味。この地は山川幽谷(さんせんゆうこく)、樹木鬱蒼だから熊野と名付けた」

◯熊野と御室はどちらも「隠れ、籠る」という意味

としています。

さらに、「熊(隈)には「死者の籠るところ」の意味もあり、日本書紀の中でオオアナムチノカミ(大己貴命)が天孫(ニニギノミコト)に国を献上したあと「八十隈(やそくまで)に隠去(かくれ)なむ」といって死んでいく場面があり、「八十」は強調の字で、「隈」は「幽界」とか「死者の魂の籠るところ」の意味であることは言うまでもない、万葉集ではこのような性格の場所を「隠国(こもりく)」と呼んでいる。

としています。

豊島修氏の著書・死の国・熊野―日本人の聖地信仰には、五来重氏の説を有力としながら、次の説が紹介されています。

熊野の「熊」は「隈」であり、「奥まった場所」という意味であり、古代の中心地域であった大和・河内から見て、遠く隔たった辺境の地域、あるいは、海の彼方にある常世国から見て奥である・・・というものですが、豊島氏はこれには無理があるようだとしています。

そしてやはり「熊野とは隠野(こもりの)=隠国(こもりく)」であり、死者の霊や神が隠れ籠る場所であると結論づけています。

一方、ホツマツタヱではどうでしょうか。
以前の記事にも書きましたが、ざっとおさらいをすると・・・

全国を回って国語と農業の普及に努めていた七代アマカミ、イサナギ・イサナミは、ソサの国(紀伊半島南端部の地域)で、男子を授かります。

その子は、ソサの国で生まれたことから「ソサノヲ」と名付けられます。
ソサノヲは幼少から暴れん坊であり、ソサノヲを産んだイサナミは、自分の隈(クマ=けがれ)がソサノヲに移ってしまったと思い、その「隈」を落とすため「クマノ宮」を建て、その償いを始めます。

ところが、ソサノヲは育ち始めた稲の上からさらに種を撒いて、稲の成長を阻害する行為を働いたため、その年の米の収穫が難しくなりました。
そこで、平野のすくなかったソサの国で、平地では用水路を整備し、養蚕を始めようと山焼きを始めますが、その折に運悪く風向きが変わり、イサナミは火傷を負って亡くなってしまいます。

イサナミの亡骸は、有馬の花の窟神社に埋葬されます。

ホツマツタヱ解読ガイドによると、「隈」とは「曲・隈・阿」であり、
1.離れ。それ。反り。曲り。背き。
2.負の方向に離れるさま。「下がる・勢いを失う・劣る・縮小する・静まる・隅にある・果てる」さま
●枯。暗。病。雲。汚穢。闇。厄。
●隅。末。下。果て。

とあります。
ホツマツタヱのクマノ宮については、

ソサ国に生む
ソサノヲは 常に雄たけび
泣きいさち 国民くじく
イサナミは 世のクマなすも
わが汚えと 民の汚えくま
身に受けて 守らんための
クマノ宮

ここで登場する「クマ」は「汚穢(おえ)」でありケガレを表し、「汚え」と「くま」は同義語で、同じ意味の語を連ねています。おそらく強調でしょう。
そして、意味としては前述の2の「枯。暗。病。雲。汚穢。闇。厄」として解釈されています。

いずれにしても、ここで登場する「クマ」とはケガレのことです。

いったんここで話をまとめます。

熊野の由来について、通説として
◯死者の霊が籠る国を「こもりくに(隠国)」といい、冥界を意味する「くまで」「くまじ」と同じく「くまりの」の変化
◯「クマ」とは「隈」であり、「籠る」という意味であり、この地は樹木鬱蒼なので「くまの」と名付けられた、あるいは、死者と神が隠れ籠る地
◯神が隠れるところを「神奈備のミムロ」といい、「クマノ」も「ミムロ」も「隠れ、籠る」という意味
◯熊野の「熊」は「隈」であり、「奥まった場所」という意味であり、古代の中心地域であった大和・河内から見て、遠く隔たった辺境の地域、あるいは、海の彼方にある常世国から見て奥である

なので、クマ=隈=籠る→死者と神が隠れ籠る国という解釈、あるいは、中心地から離れた奥まった場所と考えることができます。

一方、ホツマツタヱでは、わが子ソサノヲの傍若無人ぶりは、自分の穢(=クマ)が原因とし、その穢を落とすために建てたヤシロが「クマノ宮」
その後イサナミは、火傷を負って亡くなる。

長くなりそうなので、一旦ここで終わります。

ヤタの鏡とヤタガラス

今日はヤタの鏡とヤタガラスについてです。
前回の3記事の中で、ヤタの鏡の「ヤタ」の部分をもう一度まとめると、

  1. 「タ(咫)」は約20cmであり、ヤタ(八咫)は約160cm
  2. 「ヤタミ(八民)」であり、万民を表す
  3. 初代アマカミ・クニトコタチが住まいを作る時に、屋根の形をヲシテ文字の「ヤ」をヒントに作られた
  4. 「タ」はヲシテ文字の父、または指導者を表す
  5. 「ヤ」と「タ」を合わせて、「民を教え導くヤシロ」を表す

でした。

さて、ではヤタガラス(八咫烏)の「ヤタ」とは、何なのでしょうか?
順に「ヤタの鏡」の「ヤタ」に当てはめて検証してみます。

1.以前の記事にも書きましたが、八咫烏は「翼開長がヤタ(約160cm)のカラス」と先輩から聞きました。
現実的に、そんな大きなカラス(それも三本足)は熊野地方にも、どこにも存在しません。
ただし、この「三本足」については、記紀にはその記載がないことから、平安時代に中国の三足烏(さんそくう)と習合、あるいは同一視されたのではないかという見解があります。
平安といえば、熊野が上皇・法皇がこぞって熊野に来た時代です。
熊野は神聖な国とされていましたので、八咫烏が神聖な鳥として崇めらたのは、自然なことだと思います。
三本足にすることによって、その「神聖度」が高まったのでしょう。

2.もし八咫烏が万民を表すのであれば、日本国民全員が八咫烏ということになりますので、これは明らかに違います。

3.これは建造物を造った時のお話なので違います。屋根の意味ではありません。

4.父であるかどうかは分かりませんが、指導者ということであれば、神武天皇を導いたということから少し当てはまるかと思います。

5.「民を教え、導くヤシロ」の、「ヤシロ」の部分が違います。
強引に解釈して、「ヤシロ」を「神の依代とする肉体(カラス、あるいは人)」とすれば、なんとなく辻褄は合います。

もう一度1に戻ります。
以前の記事「ヤタの鏡②」に書いていますが、長さの単位を決めるために八十万人の平均身長を測り、そこから導き出された単位が「タ(咫)・約160cm」でした。

ということは、この場合の「ヤタ」とは、やはり人のことを指すのだと思います。
そして、ヲシテ文字の「タ」は「人を導く」という意味があることから、本当に道案内を買って出た地元住民だと、私は思っています。

「神話だ」といって片付けるのは簡単ですが、その元となっているものは何かということを突き詰めていくのも、神話のルーツを探るという意味では、非常に面白いことだと思います。

私のヤタガラスの見解については、「古代史ホツマツタヱの旅⑤ 神武東征とヤタガラス」をご参照ください。