谷山先生の講座・備忘録①

本日、谷山先生の講座「日本語教育事情~異文化の世界~」を受講してきました。
「受講してきた」と言ってもわたしは主催者なのですが、毎回お聞きするお話は非常に興味深い内容なので、今回は今日の講座がどのような内容だったのかをご紹介いたします。

日本では、ハンカチを持つ習慣がありますが、ベルギーではないそうです。
また、教室を自分たち(生徒たち)で掃除することが私たちには当たり前ですが、ベルギーではクラスが終わると掃除の業者がやってくるので、生徒たちはすぐに退去をしなければならないそうです。

私たちの「当たり前」でも、国籍が変わればそれが非日常になります。

日本語を母語とする日本語教師と、そうでない教師とでは、どちらが多い?

答えは圧倒的に後者です。
日本語教師はまだまだ数が足りておらず、日本語教師を作るという仕事が必要なのだそうです。

日本語学習者が一番多い国は毎年韓国です。
韓国には卒業をするまでに日本語検定のN1(上級)を取得しなければならない大学もあるほど、日本語教育には熱心なのだそうです。
おそらく、いくらいい大学を出ても韓国国内での就職が難しいからという背景があるのでしょう。
あれだけ反日を掲げている国にもかかわらず、その「憎っくき国」の言語を学ばなければならない彼らの心理って、一体どうなんでしょうね?
韓国国内では「日本のことは好きだけれども、そんなことを言えない風潮がある」ということもあるのでしょう。

ただ、日本国内でも今就職難なので、彼らが大挙して押し寄せてくれば、我々日本人の就職にも影響が出るのではないでしょうか?
そういったこともあって、現在の日本政府は、上級のN1をあまり取らないように言っているのだとか。

外国人が日本で就職するには、N2は取っておかなければ就職が難しいと言われています。
N2というのは中級後半を指します。
これくらいのコミュニケーション能力がないと就職が難しいそうです。

欧米系の学習者にとって、N1は取得が非常に難しいそうです。
その足かせとなっているのが漢字です。

日本語指導者に求められることは何だと思いますか?

結論からいうと「豊かな知識と確かな技術」です。
そして、体力と精神力です。

ガイドと非常に似ています。

日本語教師は「永遠の未完成」

知識は机である程度身につけることができますが、技術は現場で鍛えられます。
この両輪が噛み合って初めて指導ができるようになります。
なので、ある程度の知識を身につければ、あとは現場に出て技術と知識を身に付ける方がいいです。

日本語教師は「永遠の未完成」と言われており、「ここで終わり」というところがありません。

精神力ですが、日本語指導ではこちらの方が非常に重要で、生徒からダメ出しを喰らって「先生を代えてくれ」といわれ、それを気にして辞めていく先生も結構いらっしゃるとのことです。
でも、実はそういった一見「問題児」のような生徒こそ、自分のスキルを高めてくれる大切な存在なのだそうです。
このことをはじめに知っておくことと、そうでないことでは、精神力という視点から見た時に雲泥の差があると思います。

日本語教師は学生によって鍛えられます。

また、これも重要なのですが、日本語を外国語として見ることが必要です。
こうして見ることによって、私たちが学校で習った国語教育では習わなかった側面から日本語を見ることができ、日本語が非常に興味深いものとなります。

次に示したのは、初級後半に登場する文系の一つです。学習者はここから何を学ぶのでしょう?

姉はお茶を飲みながら、本を読みます。

私たち日本人が、「ながら」という語を使って例文を作れば、簡単にいくつも作ることができます。

◯夕食を食べながら、テレビを見る。

◯わたしは音楽を聞きながら、ランニングをしました。

◯鼻歌を歌いながら食器を洗った。

など。

ただ、この「ながら」を使った例文を外国人に作らせると

姉はお茶を飲みながら、わたしは本を読んだ。

となるそうです。

日本人ではありえない発想です。

そうならないように、学習者に対してきちんとルールを教えてあげなければなりません。
それができるか、そうでないかで「日本語を教えることができる、できない」が決まります。

この「ながら」の用法には、5つのルールがあります。

1.2つの動作の同時進行の場合に使う

2.同一主体であること

3.時制は文末の述語の形で決まる

4.主節の述語が主たる動作を表す

5.「ながら」の手前に継続動詞が来る

1.2つの動作の同時進行の場合に使う

これは説明するまでもなくお分かりだと思います。
「姉は本を読みながら、お茶を飲みました」でもOKです。

2.同一主体であること

従属節と主節の主語が同じであることが条件です。
「姉はお茶を飲みながら」と「本を読みました」は2つも文から成り立っています。
前の文を従属節といい、あとの文を主節といいます。
この、従属節と主節の主語が一致していなければ「ながら」は使えません。

3.時制は文末の述語の形で決まる

「姉はお茶を飲みながら」の後に続く主節、つまり結論の部分は「本を読みました」「本を読みます」「本を読みません」の、いずれも使えます。
つまり、「姉はお茶を飲みながら」を聞いただけでは、これが過去の話なのか、現在の話なのか、否定の話なのかは、文末まで読まない(聞かない)と分からないのです。

ここに日本語の特徴があり、「主節と従属節の時制の一致」が当たり前のヨーロッパの言語を母語とする学習者には、このことが難解なのだそうです。
私たちは何の疑いもなく感覚で使えますが、この「感覚」を「ルール」に変えて説明してあげる必要があります。

4.主節の述語が主たる動作を表す

さきほどの話を重複しますが、日本語には大切なことを先送りする傾向があります。
なので、大切な部分、つまり、話者が伝えたいことは主節で述べます。

5.「ながら」の手前に継続動詞が来る

この文章は、正しいでしょうか、間違っているでしょうか?

彼は倒れながら、叫んだ。

これば間違いです。
先程の「読んだ」「お茶を飲む」は入れ替えても問題がありませんでしたが、今回は違います。

継続動詞と結果動詞

日本語の動詞には「継続動詞」と「結果動詞」があり、「ながら」を使う場合は、その前に継続動詞が来るという決まりがあります。

先程の4とも重複しますが、「倒れながら叫ぶ」というのは日本語を母語とする私たちから見ると違和感を覚えます。

これは「倒れる」が主節に入るべき重要な事で、さらに「結果動詞」だからです。

では、その「結果動詞」「継続動詞」とはどのようなものでしょうか?

叫ぶ:叫んでいる→叫んだ(継続動詞)

倒れる:倒れた→倒れている(結果動詞)

「叫ぶ」は「叫んでい」れば、いずれ叫び終えます。
一方、「倒れる」は「倒れた」→「その結果倒れている」という状態を表します。

結果動詞には他に

開く:開いた→開いている

落ちる:落ちた→落ちている

などがあります。

これら結果動詞と「ながら」は一緒に使えないのです。

これら5つのルールを外国人初級者(N5、N4)の学習者に教えて初めて「ながら」を間違わずに使うことが出来るようになります。
また、この時に「継続動詞」「結果動詞」という言葉も教えます。

日本の国語教育では習わなかった部分です。

他の「ながら」の用法はこの場では説明しない

「あの人は、真実を知っていながら、人に話そうとしない」といった「ながら」は用法が違います。
ここでこの用法を説明してしまうと、学習者が混乱してしまいますので、ここでは説明をあえて避けます。

この用法の説明はN3で改めて教えます。

暗示的知識と明示的知識

暗示的知識というのは、我々日本語を母語とする話者が感覚的に分かっていることです。
一方、明示的知識とは、暗示的知識を理論立てて説明できる知識を言います。
日本語指導者にはこの「明示的知識が多い人」が求められているわけです。

長くなりましたので、後半は明日です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA