谷山先生の講座・備忘録②

「水に流す」「水を差す」「水くさい」これらの言い表し方から、どのようなことが考えられますか。

これらの表現は、字面通りに意味は取れなくはないですが、むしろこれらは慣用表現であり、別に意味があります。

水に流す=過去の争い事をなかったことにする

水を差す=うまく行っていることに邪魔立てをする

水くさい=よそよそしい

という意味で使われることが多いです。

これらの表現は、部品レベルで意味がわかっていても、慣用表現では違う意味になるということを知っていないと分かりません。
これは、日本人の水に対する強い思い入れの表れだと言えます。

日本には水がふんだんにあるので、、水に関する表現が多いと言えます。

◯ご飯を炊く

◯魚を煮る

◯卵を茹でる

◯お湯を沸かす

これらを英語で言うと「boil」の一語しかありません。

しかし、日本語では「焼く」で一語で片付けられている表現が、英語では

bake(パン)

burn(レンガ)

grill(肉や魚を網で焼く)

roast(肉や魚をフライパンなどで焼く)

toast(パン)

となり、何をどう焼くのか単語を見れば分かるくらい、火を使った表現が非常に多いことに気付かされます。

言葉というのは、その言語圏の文化とリンクしていることがここから分かります。

ちなみに、「身につける」という表現も「服を着る」「指輪をはめる」「靴を履く」「上着を羽織る」「メガネをかける」「帽子をかぶる」など、日本語にはたくさんの表現がありますが、英語ではせいぜい「put on」「have on」などで、これらは何を身につけるかによって分けられてはいません。
「wear」は?と思われた方もいると思いますが、「wear」は着ている状態を表す語なので、厳密にいえば「身につける」というより「身につけている」という表現になりますので、「身につける」とは違います。

市販されている日本語の教科書について、知っていることがあれば述べてください。

◯横書きが多い

◯B5が主流

◯教科書検定制度がない

◯取り扱う書店が極端に少ない

日本語の教科書は縦書きが非常に少ないそうです。
これは、外国ではほとんど横書きなので、それに合わせた形にしているそうです。
また、教科書検定がないので、いかようにも内容を作ることができるそうです。
裏を返せば、自分たちで開拓をしなければならず、そうなれば教材開発の人材が必要になりますが、その人材が少ないということです。

俳句と墨絵の共通点は何ですか?

結論からいうと、「表現形式が彫刻型」ということです。

は?何のこと?と思われたかもしれませんが、彫刻というのは大きな塊から削って作品を作る、いわゆる「引き算」で生まれます。
俳句は文字数を極限まで制限して表現しますし、墨絵は墨の濃淡と余白までも使って表現しています。
なので、極限まで無駄を削って作品にする引き算型になります。
この引き算型は、日本料理でもそのように言われていますよね。

一方、西洋由来の油絵は「塗って塗って塗りまくる」いわゆる「足し算型」です。
余白などは一切ありません。

こう考えると、「言葉と文化はセットもの」と言えます。

これは日本語の表現でも同じことが言えます。

日本の社会では表現力より察知力が必要であり、「空気を読む」という能力が問われます。
「そこまで言わせるな」という風潮です。
一方、欧米や中国など大陸の言語では言葉に対する依存度が高く、「言わなければ分からない」という文化です。
仕事でも、ドイツでは上司が何も言わなければ部下は動かないそうです。
部下が新聞を読んでいても、上司が指示を与えていない限り、上司もそれを咎めないそうです。
日本ではありえませんよね。

また、日本では「一輪挿し」というものがあり、宿などでたまに見かけることがあり、私たち日本人は風情を感じますが、中国人が一輪挿しを見た時に「貧相だ」と怒るそうです。
「百花繚乱」という言葉がありますが、これは漢語です。
大陸では花はたくさん咲き乱れていてこそ美しいという考えがあるようです。
このような人が一輪挿しを見た時に怒りだすというのは理解できますよね。

以上、ざっとですが講座の内容を共有させていただきしました。
ご参考にされてください。


谷山先生の講座・備忘録①

本日、谷山先生の講座「日本語教育事情~異文化の世界~」を受講してきました。
「受講してきた」と言ってもわたしは主催者なのですが、毎回お聞きするお話は非常に興味深い内容なので、今回は今日の講座がどのような内容だったのかをご紹介いたします。

日本では、ハンカチを持つ習慣がありますが、ベルギーではないそうです。
また、教室を自分たち(生徒たち)で掃除することが私たちには当たり前ですが、ベルギーではクラスが終わると掃除の業者がやってくるので、生徒たちはすぐに退去をしなければならないそうです。

私たちの「当たり前」でも、国籍が変わればそれが非日常になります。

日本語を母語とする日本語教師と、そうでない教師とでは、どちらが多い?

答えは圧倒的に後者です。
日本語教師はまだまだ数が足りておらず、日本語教師を作るという仕事が必要なのだそうです。

日本語学習者が一番多い国は毎年韓国です。
韓国には卒業をするまでに日本語検定のN1(上級)を取得しなければならない大学もあるほど、日本語教育には熱心なのだそうです。
おそらく、いくらいい大学を出ても韓国国内での就職が難しいからという背景があるのでしょう。
あれだけ反日を掲げている国にもかかわらず、その「憎っくき国」の言語を学ばなければならない彼らの心理って、一体どうなんでしょうね?
韓国国内では「日本のことは好きだけれども、そんなことを言えない風潮がある」ということもあるのでしょう。

ただ、日本国内でも今就職難なので、彼らが大挙して押し寄せてくれば、我々日本人の就職にも影響が出るのではないでしょうか?
そういったこともあって、現在の日本政府は、上級のN1をあまり取らないように言っているのだとか。

外国人が日本で就職するには、N2は取っておかなければ就職が難しいと言われています。
N2というのは中級後半を指します。
これくらいのコミュニケーション能力がないと就職が難しいそうです。

欧米系の学習者にとって、N1は取得が非常に難しいそうです。
その足かせとなっているのが漢字です。

日本語指導者に求められることは何だと思いますか?

結論からいうと「豊かな知識と確かな技術」です。
そして、体力と精神力です。

ガイドと非常に似ています。

日本語教師は「永遠の未完成」

知識は机である程度身につけることができますが、技術は現場で鍛えられます。
この両輪が噛み合って初めて指導ができるようになります。
なので、ある程度の知識を身につければ、あとは現場に出て技術と知識を身に付ける方がいいです。

日本語教師は「永遠の未完成」と言われており、「ここで終わり」というところがありません。

精神力ですが、日本語指導ではこちらの方が非常に重要で、生徒からダメ出しを喰らって「先生を代えてくれ」といわれ、それを気にして辞めていく先生も結構いらっしゃるとのことです。
でも、実はそういった一見「問題児」のような生徒こそ、自分のスキルを高めてくれる大切な存在なのだそうです。
このことをはじめに知っておくことと、そうでないことでは、精神力という視点から見た時に雲泥の差があると思います。

日本語教師は学生によって鍛えられます。

また、これも重要なのですが、日本語を外国語として見ることが必要です。
こうして見ることによって、私たちが学校で習った国語教育では習わなかった側面から日本語を見ることができ、日本語が非常に興味深いものとなります。

次に示したのは、初級後半に登場する文系の一つです。学習者はここから何を学ぶのでしょう?

姉はお茶を飲みながら、本を読みます。

私たち日本人が、「ながら」という語を使って例文を作れば、簡単にいくつも作ることができます。

◯夕食を食べながら、テレビを見る。

◯わたしは音楽を聞きながら、ランニングをしました。

◯鼻歌を歌いながら食器を洗った。

など。

ただ、この「ながら」を使った例文を外国人に作らせると

姉はお茶を飲みながら、わたしは本を読んだ。

となるそうです。

日本人ではありえない発想です。

そうならないように、学習者に対してきちんとルールを教えてあげなければなりません。
それができるか、そうでないかで「日本語を教えることができる、できない」が決まります。

この「ながら」の用法には、5つのルールがあります。

1.2つの動作の同時進行の場合に使う

2.同一主体であること

3.時制は文末の述語の形で決まる

4.主節の述語が主たる動作を表す

5.「ながら」の手前に継続動詞が来る

1.2つの動作の同時進行の場合に使う

これは説明するまでもなくお分かりだと思います。
「姉は本を読みながら、お茶を飲みました」でもOKです。

2.同一主体であること

従属節と主節の主語が同じであることが条件です。
「姉はお茶を飲みながら」と「本を読みました」は2つも文から成り立っています。
前の文を従属節といい、あとの文を主節といいます。
この、従属節と主節の主語が一致していなければ「ながら」は使えません。

3.時制は文末の述語の形で決まる

「姉はお茶を飲みながら」の後に続く主節、つまり結論の部分は「本を読みました」「本を読みます」「本を読みません」の、いずれも使えます。
つまり、「姉はお茶を飲みながら」を聞いただけでは、これが過去の話なのか、現在の話なのか、否定の話なのかは、文末まで読まない(聞かない)と分からないのです。

ここに日本語の特徴があり、「主節と従属節の時制の一致」が当たり前のヨーロッパの言語を母語とする学習者には、このことが難解なのだそうです。
私たちは何の疑いもなく感覚で使えますが、この「感覚」を「ルール」に変えて説明してあげる必要があります。

4.主節の述語が主たる動作を表す

さきほどの話を重複しますが、日本語には大切なことを先送りする傾向があります。
なので、大切な部分、つまり、話者が伝えたいことは主節で述べます。

5.「ながら」の手前に継続動詞が来る

この文章は、正しいでしょうか、間違っているでしょうか?

彼は倒れながら、叫んだ。

これば間違いです。
先程の「読んだ」「お茶を飲む」は入れ替えても問題がありませんでしたが、今回は違います。

継続動詞と結果動詞

日本語の動詞には「継続動詞」と「結果動詞」があり、「ながら」を使う場合は、その前に継続動詞が来るという決まりがあります。

先程の4とも重複しますが、「倒れながら叫ぶ」というのは日本語を母語とする私たちから見ると違和感を覚えます。

これは「倒れる」が主節に入るべき重要な事で、さらに「結果動詞」だからです。

では、その「結果動詞」「継続動詞」とはどのようなものでしょうか?

叫ぶ:叫んでいる→叫んだ(継続動詞)

倒れる:倒れた→倒れている(結果動詞)

「叫ぶ」は「叫んでい」れば、いずれ叫び終えます。
一方、「倒れる」は「倒れた」→「その結果倒れている」という状態を表します。

結果動詞には他に

開く:開いた→開いている

落ちる:落ちた→落ちている

などがあります。

これら結果動詞と「ながら」は一緒に使えないのです。

これら5つのルールを外国人初級者(N5、N4)の学習者に教えて初めて「ながら」を間違わずに使うことが出来るようになります。
また、この時に「継続動詞」「結果動詞」という言葉も教えます。

日本の国語教育では習わなかった部分です。

他の「ながら」の用法はこの場では説明しない

「あの人は、真実を知っていながら、人に話そうとしない」といった「ながら」は用法が違います。
ここでこの用法を説明してしまうと、学習者が混乱してしまいますので、ここでは説明をあえて避けます。

この用法の説明はN3で改めて教えます。

暗示的知識と明示的知識

暗示的知識というのは、我々日本語を母語とする話者が感覚的に分かっていることです。
一方、明示的知識とは、暗示的知識を理論立てて説明できる知識を言います。
日本語指導者にはこの「明示的知識が多い人」が求められているわけです。

長くなりましたので、後半は明日です。

日本語指導法学習講座が終わりました

1月から今日まで6回にわたって開催された、田辺市国際交流センター主催の日本語指導法学習講座が終わりました。
今回も様々なテーマについて谷山徹先生にご講義いただき、大変貴重な時間となりました。

お話いただいた中で、印象的だったことを共有しようと思います(講義そのものの内容は、もっと日本語の突っ込んだ用法についてお話をしてくれます)

初級と中・上級、教え方の違い

初級者に教える場合は、石垣を積み上げるようの緻密に課程を積上げなければならない
ただし、教材があるのであっちこっちから「石」を探して来る必要はない。
しかし、中・上級になるとそうではなく、雑多に色々なことを教える必要がある。
日常生活になじむような内容で授業をする必要があり、教師も普段から日本の日常についての知識を学習しておかなければならない。

誤りには「mistake」と「error」がある

errorは規則的な間違いであり、本人が気づかなければ延々と間違う。
一方、mistakeは不規則であり、うっかりミスのことであり、その時の心理状態や体調などの要因で間違ったもの。
日本語指導ではこの「error」を誤用とし、これに注意をして正して行く必要がある。

語尾の「e」は二重母音の指示を表す

「mistake」での余談でしたが、この法則は目からウロコでした。
「mistake」は「ミステイク」と読みますが、「mistak」ではどうでしょう?
語尾の「e」がなければ「ミスタク」と読みたくなります。
また、人名で「Tim」さんという方がいます。
この「Tim」に「e」をつければ「time」となり、「タイム」と読みます。
つまり、単語の語尾に「e」をつけるのは、その直前の母音を二重にしなさいという指示なのだそうです。
この発想は日本語にはありません。

ナル文化とスル文化

文化には「ナル文化」と「スル文化」があり、日本はナル文化なのだそうです。
ナル文化の特徴として、主体をぼかすという点があるそうです。
例えば電車に乗っている時によく聞く「ドアが閉まります」は、言葉を額面通り捉えると、「ドアが勝手に閉まる」という意味になりますが、これは明らかに誰かが閉めなければ閉まらないものです。
もう一つ例をあげると「お皿が割れた」は、お皿を持っている人が落としたりぶつけたりして割ったものであり、お皿が勝手に割れるわけはありません。

これが「ナル文化」というそうです。

ドイツなど欧米は「スル文化」だそうです。
スル文化で電車内のアナウンスをするとしたら(ドイツではアナウンスはないそうですが)「ドアを閉めます」「お皿を割った」となります。

ナル文化はどこか奥ゆかしいところがあり、日本人の気質にも大いに影響があるのでしょうね。

数え方の不思議

ビールを頼む時「生中4つください」と言います。
「生中4杯ください」とは言いません。
でも、「今日はビールを4杯飲んだ」は「4杯」と言います。

多くの外国人は、注文する時と分量を言う時で使い分けていることに驚くそうです。

ここで外国人を教える時に注意しておかなければならないことは、「ひとつ、ふたつ、みっつ・・・ここのつ」まではいいのですが、「10」を間違いなく「とおつ」と言ってしまうことだそうです。

また、人を数える時は「ひとり、ふたり」ですが、それ以上は「さんにん、よにん、ごにん」と、いきなり漢語読みになります。
「ひとり、ふたり」は大和言葉なのに、「3」から急に漢語になります。
ちなみに、奈良の特定の地域では「みたり(三人)、よたり(四人)」と言う所もあるそうです。

まだまだありましたが、このあたりで。
ご参考に。

谷山先生の講演会のお知らせ

3月13日(土)9:30から、和歌山県情報交流センターBig・Uにおいて、「日本語教育事情~異文化の世界~と題して、谷山先生の講演会を開催いたします。

詳しくはこちらをご参照ください。
日本語教育事情~異文化の世界~


日本語教育事情 ~異文化の世界~ 開催のお知らせ

日本語を学ぶことは「異文化接触」

「水に流す」「水をさす」「水くさい」日本にはなぜ、水にまつわる表現が多いのでしょうか?

こういった「水絡み」の表現というのは世界共通ではなく、むしろ日本語独特の表現なのです。

俳句と墨絵からも、日本人独特のコミュニケーションのスタイルが見えてきます。
俳句も墨絵も日本の文化ですが、これらの文化と言語は表裏一体の関係、コインの表と裏のように切り離せない関係にあります。

日本語を母語としている私たち日本人は、このことに気づきません。

しかし、日本語を外国語として学ぶ外国人には、この水にまつわる表現の多さに驚くと言います。

まさに、日本語を学ぶということは、外国人にとって「異文化接触」なのです。

これは、私たちが英語を学ぶ時の英語圏の文化や表現に接する時とよく似ています。

例えば、日本ではあまりにも簡単なことを「朝飯前」「楽勝」などといいますが、英語では「a piece of cake」、つまり「一口でパクっと食べられる」という風に表現します。
「内輪の恥」は「dirty laundry=汚れた洗濯物」と言ったりします。

日本語では考えられない発想です。

このように、私たち日本人が英語を学ぶ時、私たちと違った考えからくる表現が多くあります。
外国人が日本語を学ぶ時、やはり同じようなことを彼らは体験をします。

日本語を外国語として見た時、新たな発見があります。

私たち日本人が気づかない、外国人ならではの発想。

それを知ることにより、日本語が改めて興味深い言語なのだと気付かされます。

「日本語を話せる」≒「日本語を教えることが出来る」ではない!

「日本語を話せる」は、必ずしも「日本語を教えられる」ということではありません。
いえ、おそらくほとんどの方は教えられません。

もし、あなたが日本語指導に興味を持たれているなら、熱意や積極性だけでは不十分です。
それには技術や知識などの裏付けが必要です。

それらを独学で身につけることは、泳ぎ方を教わらずにプールに放り込まれるようなものです。
いずれ泳げるようにはなるでしょうが、きちんと泳ぎ方を教わった人と比べればかなり遠回りになるでしょう。

それにはやはり、きちんと技術や知識を学ぶ必要があります。

例えば、私「は」と私「が」

この助詞の使い分けを、あなたは説明できますか?

私たち日本人は「感覚」で日本語を身につけているため、こういったことがうまく説明できない人が多いのです。

「おみやげ」と「差し入れ」の違いは?

外国人が日本語を学ぶ時、異文化体験が大きな壁となることがあります。

その異文化を学びながら日本語を習得する大変さというのも、日本語を「外国語」として見た時に実感することができるでしょう。

そうすることにより、学習者に寄り添った指導ができるのではないでしょうか?

今回、日本語教育の第一人者・谷山徹先生をお招きして、日本語にまつわる表現方法や日本語指導につてなど、様々な話題について分かりやすくお話をしていただく講座を開催いたします。

日本語指導に興味のある方はもちろん、日本語指導に興味がない方でも、少しでも内容に興味を持たれた方は是非お気軽にご連絡ください。

講師プロフィール

谷山 徹(たにやま とおる)

1954年 田辺市に生まれる

1977年 奈良大学文学部国文学科卒業

1978-79年 ゲーテ インスティチュート(ドイツ)に留学

1979-80年 ミュンヘン大学 ドイツ語コース

1980-81年 ミュンヘン通訳養成学校

1981-82年 ペルージャ外国人大学

1986年 日本語専門学園 日本語会話教師養成講座修了

1987-90年 国際外語学院

1990-1993 大阪日語学院

1993-2012年 ヒューマンアカデミーで日本語学校及び日本語教師養成講座の運営と指導

2013-19年 せいがん日本語学校で副校長兼主任教員を務める 2020-現在 奈良大学で非常勤講師として勤務中
この他にも、2008年から現在にいたるまで、田辺市国際交流センターにて日本語指導者研修会講師、大阪で日本語教育者養成のための勉強会を2011年から開催。

資格

1986年 日本語会話教師認定資格合格
1988年 ボーイスカウト日本連盟隊長資格取得

著作物

『ハイリヒ・ベル小品集』圓津喜屋

趣味

◯ドイツ語、イタリア語、ロシア語および韓国語の学習
◯聖書ギリシャ語の研究
◯キリシタン文献の研究
◯読書

講座詳細

日時

2021年3月13日(土)9:30~11:30

場所

【対面】
情報交流センターBig・U 研修室3

〒646-0011 和歌山県田辺市新庄町3353−9

【オンライン】
Zoom を使い、オンラインでも受講できます。

講師

谷山 徹 氏

内容

日本語教育に携わるための条件や、文法指導の一例、外国人にとって興味深い日本語の表現例、文化と言語の関係など。

課題1 
世界には数多くの日本語教師がいます。日本語を母語とする教師とそうでない教師とでは、どちらの方が多いでしょう?
課題2 
日本語を教える者に求められることは、何だと思いますか。
課題3
次に示したのは、初級後半に登場する文型の一つです。学習者はここから何を学ぶのでしょう?
・姉はお茶を飲みながら、本を読みます。
課題4 
「水に流す」・「水を差す」・「水くさい」これらの言い表し方からどのようなことが考えられますか。
課題5 
市販されている日本語も教科書について知っていることがあれば、述べてください。
課題6 
俳句と墨絵の共通点は何ですか。

※Zoomでの視聴の場合、先生への質問の対応は難しいと思われますので予めご了承ください。

参加費

無料

定員

【対面】
15名(定員に達し次第締切らせていただきます)

【オンライン】
なし

お問い合わせ

一般社団法人 和歌山地域通訳案内士会 担当:和田
電話:0739-33ー7451
メール:info@wakayamaguide.com

※現在事務所が休業中のため、メールの方が連絡が取りやすいです。

日本語指導の質問会を開催しました

本日、谷山徹先生をお招きして、日本語指導に関する質問会を開催いたしました。
普段の現場で直面する疑問点などを先生に直接お聞きできる機会を設けましたが、それだけにとどまらず、非常に雑多な話題を交えてお話いただきましたので、その備忘録として一部をご紹介しようと思います。

外国語を学ぶにあたって、どの言語でも「衝撃」があるというお話で、実例を交えて説明をしていただきました。

冠詞の衝撃

その一つ、冠詞に関する「衝撃」です。

冠詞には定冠詞の the と、不定冠詞の a, an がありますよね?
文中の不定冠詞では a book、定冠詞は the book です。

次にドイツ語。
「a book」にあたる語が 「ein Buch」、「the book」は「das Buch」です。

ここまでは納得できますが、次に紹介するスウェーデン語で奇っ怪なことが起ります。
「a book」にあたる語が 「en bok」ですが、「the book」の場合は「booken」となり、なんと冠詞の「en」が語の後ろに来ます。
これはもはや冠詞とは言えませんよね。

語形変化の衝撃

次にドイツ語の語形変化に関する衝撃です。

ドイツ語の名詞には、男性名詞、女性名詞、中性名詞があり、その名詞がその性別かで前の形容詞が語形変化します。

gut = good を例に挙げます。

guter Man (男性)いい男性
gute Idee(女性)いい女性
gutes Zimmer(中性)いい部屋

このように、男性であれば「er」、女性は「e」、中性は「es」を付けることによって変化しますが、文中で述語として使用される場合は

Er ist gut. (He is good.)
と、変化しないそうです。

ただし、ハンガリー語はこれと逆の現象が起きるそうです。
つまり、文中で語形変化をし、名詞を修飾する場合は変化しません。
同じヨーロッパの言語でも系統が違うようで、ハンガリー語はアジアの言語に分類されるそうです。
ちなみに、アジアの言語は他に、日本語、フィンランド語、トルコ語、韓国語があり、文法が良く似ているそうです。
フィンランドがなぜアジアの言語なのか、謎ですね。

語順について

同じゲルマン語の英語とドイツは文法も良く似ているそうですが、ドイツ語は英語のように語順がきっちり決まっているわけではなく、結構許容があります。

I came from Japan.

ドイツ語では

Ich komme aus Japan.

語順は英語と同じです。

英語ではこれを「From Japan came I」とはできませんが、ドイツ語では可能です。

Aus Japan komme ich.

ちなみに、Ich komme aus Japan.はドイツ語では少し稚拙な表現となり、Aus Japan komme ich. の方がよりドイツ語らしいとのことです。

ドイツ語には動詞(述語)を第二位に入れておけばあとの語順は自由という決まりがあり、それを「定形第二位」というそうです。
この場合、「Ich」「komme」「aus Japan」と三分割しますので、「komme」が二番目に来れば、あとの語順は自由なのだそうです。
なので、Ich aus Japan komme. はNGということです。

他にもお話いただきましたが、またこのような機会を設けようと思っていますので、ご都合の合う方は是非。

ひらがな・カタカナの起源②

今日はひらがな・カタカナの起源の続きです。
前回の記事をまだ読まれていない方はこちら。
ひらがな・カタカナの起源

カタカナは主にお寺の僧によって漢字の一部を取る「省筆」で生まれたのに対し、ひらがなは女性が文学を読み書きするために漢字全体を崩すことによって生まれました。

ひらがなが生まれる前は「波流佐米」と書いて「はるさめ」と読むなど、漢字の意味を無視して単に音に合わせて漢字を当てていたため、こういった漢字の羅列が続くと、意味を取ることが困難でした。
こういったことから、先人たちは知恵を絞って「意味をなす漢字は大きくし、表音文字にあたるものは行を少し外して横に小さく書く」という記述が今昔物語に書かれているそうです。

そんな「紆余曲折」から生まれたのが、ひらがなでした。

なので、平たく言うと、ひらがな・カタカナは「発生源が男性と女性」ということになります。

また、仏教由来でもあり、当時の公的文書は漢字とカタカナ表記であったため、カタカナの方が権威があるとされていました。
また、漢字でモノを書いたり漢字の書物が読めたりすることは、中世ヨーロッパのラテン語と同じような位置づけであり、「知識人」としてエリート扱いされていたため、男性は特に漢字でモノを書くことをすすんでしていたそうです。
そういえば、藤原宗忠の中右記や、藤原定家の熊野御幸記などは漢字表記ですよね。

昨日の内容と重なりますが、漢字から省筆によって生まれたカタカナは、例えば「か」だけでも何種類もあったため、1900年に明治政府が「通用体」として、それ以外を「変体仮名」とし、「ひとつの音に対してひとつのカタカナ」と取り決めました。

「日本に文字はなかった」という謎

さて、ひらがな・カタカナがどのような経緯で生まれたのかはわかりましたが、それでも謎は残ります。
最近では三内丸山遺跡や吉野ヶ里遺跡などで高度な文明の跡が発見されています。
谷山先生のお話では、文字を持った言語を使用していた国が高度な文明をもったもと聞きました。
では、縄文・弥生時代の高度な文明を持った日本には、本当に文字はなかったのでしょうか?
文字なくしてどうやって巨大な神殿を造り得たのでしょうか?

本当に文字を持っていなかったのであれば、大和言葉である「読む」「書く」という言葉がなぜあるのか?
日本書紀には「一書に言う」という言葉が頻繁に出ていて、どこかの書物から引用されているのに、「文字はなかった」と言えるのか?
古事記が一応日本最古の書物ということになっていますが、古事記の編纂が712年、日本書紀は720年ですので、このたった8年の間に文字が一斉に日本に広がったり、あるいは一斉にあちこちで歴史書が書かれたとは考えにくいです。
「日本に文字はなかった」と考えるよりも、日本書紀の指す「一書」が発見されていないだけと考える方が理にかなっているように思えます。

歴史は常に勝者によって書き換えられます。
勝者にとって都合の悪い歴史はこの世から抹消されてしまいます。

「見えないから信じない」「見つかっていないからそれはなかった」という考え方は「電波は見えないから存在しない」「遺跡が見つからないから文明はなかった」という安直な考え方と同じだと思います。
現に遺跡は私が子供の頃と比べればどんどん見つかっており、歴史の教科書がそのたびに書き換えられていますよね。

詳しくはこちらをご参照ください。
日本に文字は存在していた?

「日本に文字はなかった」に反論する理由

私がここまで日本の古代文字について言及するには大きな理由があります。

「日本には文字がなかった」→「文明の進んだ中国から漢字を輸入し文字を発明した」→「なので日本は中国より遅れている国だ」→「中国は偉大だ」

という、日本を蔑んだ発想が起こり、いまだにその歴史観から抜け出せないために親中派の議員が政界にはびこる結果となってしまってはいないかということです。
日本にははるか昔から高度な文明があり、文字もあったということが解明されれば、日本人としての誇りを持つ人が増え、結果的に中国に寄りかかっていくような人がむしろ少数派になると思います。

ヲシテ文字の存在

現に、なぜか「なかったこと」になっているヲシテ文字の書物「ホツマツタエ」が見つかっていますし、神社でも今のひらがな・カタカナとは似ても似つかない文字で書かれた木簡なども見つかっています。
今回お話した、お寺でしか通じないカタカナがあったように、その地域でしか通じない文字が存在していたのではないかということは想像に難くありません。
神社はその地域の拠り所です。
その神職さんが文字を発明し、地元の庶民に広めた・・・なんてこともあったかもしれませんね。

いずれ「日本には高度な文明が存在し、文字も発見されている」と、歴史の教科書が書き換えられることを願って止みません。

ヲシテについては、こちらの記事をご参照ください。
ヲシテの「あいうえお」と空風火水地

古代史 ホツマツタエについてはこちらの記事をご参照ください。
ホツマツタエ~神話のルーツ~

ひらがな・カタカナの起源

カタカナの起源

昨日の谷山先生の講座で、少し横道にそれた?お話が面白かったのでご紹介をします。
もちろん、何の脈絡もないところからこういったお話が出たわけではありません。

「2ヶ月」と書いて「にかげつ」と読むことは日本人なら誰でも知っています。
本来であれば「2ヵ月」と表記するのが正しいのですが、ではなぜ「ヶ」を「か」と読むのでしょうか?

これは、どういう経緯でカタカナが生まれたのかを知ることによって解決します。

カタカナの場合、漢字からその音にあたる一部を抜き出す「省筆(しょうひつ)」から生まれたと言われています。

上記の「か」には漢字では「加」「箇」などがあり、「加」なら偏にあたる「カ」の部分、「箇」なら竹冠の「ヶ」を取ったというもの。

では、なぜこのようなことが起こったのかというと、仏教の伝来との関係が深いそうです。
仏教が日本に伝来した時、お経はすべて当然のことながら漢字で書かれていました。
若い見習いの僧がお経の読み方を学ぶ時、画数の多い漢字を覚えるのに時間がかかる上にお経のスピードについていくことが困難だったため、教える立場にある位の高い僧が漢字の一部を取って「この漢字はこう読む」と決めて教えたそうです。

そうなれば、同じ音でも違う漢字がたくさんあるため、それぞれの寺で独特のいわゆる「カタカナ」が生まれたそうで、たとえば東大寺でしか通じないカタカナなど、お寺単位でしか通じないカタカナが存在していたそうです。

時代は下って明治の世になると、1900年に政府がそれまでたくさんあったこのような「カタカナ」を統一するという政策が取られ、現在のカタカナに落ち着いたそうです。

先ほどの話に戻ると、「加」も「箇」も同じ「か」だったものが、「カ」が「通用体」として採用され、「ヶ」は「変体仮名」として葬られた?そうです。
しかし、その名残がいまだに残っているために、「ヶ」を「か」と読むこともあるのだそうです。
同じように、他の文字にもたくさんの「変体仮名」があったそうですが、すべて一つに統一されました。

では、なぜ明治時代になってからこのようなことが起こったかといういうと、断定はできないそうですが日露戦争が関係していたのではないかと言われているそうです。

当時はすでに「ロシアとの戦争やむなし」の機運が高まっていた時であったものの、通信技術などは当然発達しておらず、作戦などは伝令が文書で伝達する方法が取られていました。

そこで、その地方でしか使われていない文字で書けば、当然他の地方の人はその作戦が何を意味しているのか、理解することができません。
そういった混乱を避けるためではなかったろうかと言われているそうです。

いずれにせよ、漢字の省筆によって生まれた文字がカタカナというお話でした。

明日に続きます。


日本語指導勉強会 第二部が始まりました ~知識の習得法~

9月から始まった日本語指導勉強会の第二部が始まりました。
第二部のテーマは「不思議日本語文法」「中級教材の使い方」で、それぞれ3回に分けて深堀りをしていきます。

谷山先生の長年の経験から出るお話は非常に説得力があり、まさに現場で磨き上がられたスキルだということを毎回実感します。

わたしもこれまで何度となくこのブログや現場研修で受講生のみなさんにお伝えをしていますが、現場に出ることによってガイドのスキルが磨かれていきます。
谷山先生の30年以上の経験から比べれば、私のガイド経験なんてひよっこの部類ですが、それでもこれまでに得た知識は経験によるところが大きかったことは確かです。

ちなみにわたしの場合、知っている知識であっても、教えてもらう立場でいる限りは初めて聞いたように振る舞います。
あなたにも経験があるかと思いますが、自分の話を興味深く聞いてくれると気分が良くなります。
そうなると、もっとその周辺知識も話そうという心理が働きます。
わたしはこれを逆手に取って、相手の話を興味深く聞き、相槌を打ち、時には身を乗り出すなどして聞いていることをアピールをし、さらに相手の話を引き出します。

なので間違っても「あ、その話は知っています」とか「それについて私の経験では◯◯で、・・・」とか「いや、それはこうですよ」など、自分に話の主導権が来るような言葉を一切使いません。

これは、ガイドをしている時に、お客様が自分の知識について話し始めた時も同様です。
仮に自分が知っている知識であっても、興味深く話を聞いてあげます。
話の前半は知っている知識であってもそれはイントロダクションで、核心部分は初めて聞いた・・・なんてことはよくあります。

私の場合ですが、さきほどの言葉が相手から出た時点で「この人はすでに私が話そうとしていることを知っている」と判断し、それ以上話すことを止めます。
おそらく物を教えている立場の人であれば、同じ態度を取るのは私だけではないと思います。

あなたはそういった言葉を使っていませんか?
もしかすると、知識の習得が遠回りになっているかもしれません。


ガイドと日本語指導の共通点

本日も谷山先生の日本語指導勉強会を受講しました。

今月のテーマは「名脇役副詞の世界」です。

今日はお話を聞いた中で、講義の内容とはまったく関係ありませんが、「ああ、ガイドも一緒だな」と感じたことを先生からお聞きしたので共有したいと思います。

「日本語教師は永遠の未完成」

「日本語教師は永遠の未完成」というこの言葉、ガイドもまさに「永遠の未完成」であり、「ここで終わり」ということはありません。

この先もずっと、ガイドに携わっていくのであれば学びは永遠に続きます。

あらかじめガイドをするにあたって必要最低限の知識というものはありますので、何の知識もないままガイドに出ることはもちろんオススメできませんが、ある程度の基礎を入れたのであれば、あとは現場で鍛えていくことが一番の近道です。

では、その勉強はどこまですればいいのでしょうか?

次の先生の言葉も、ガイドとまったく被ります。

「出たとこ勝負であり、経験によって鍛えられていく」
「早く始めると早く上手くなる」
「ここまで必要な知識を勉強してからでは遅い」

ガイドもお客様の質問によって鍛えられていきます。

質問に答えられなかったことは、わたしも何度もあります。
そのたびに、後から調べて自分の知識としてストックしていき、今があります。

もちろん、終わりはありませんので、私の約5年分の知識なんて屁みたいなものです。
しかし、現場で鍛えられたことだけは、紛れもない事実です。

もし、あなたがガイドデビューで二の足を踏んでいるのであれば、私が後ろから背中をやさしく蹴っ飛ばしてあげますよ(笑)
二の足を踏んでいるその時間がもったいないですよ。
その間に、現場に飛び込んでいった他のガイドたちは確実に成長しています。

ガイドは永遠の未完成。とにかく現場。

これにつきます。

日本語指導勉強会・第1テーマが終わりました。

昨日、谷山徹先生による、日本語指導勉強会の第1テーマが終了しました。
毎月ひとつのテーマを深堀りしていくこの講座、雑多に広く知識を学ぶよりも、より専門性が増します。

今月のテーマは「非文を掘り下げる」でした。

非文って、あまり聞いたことがない方もいると思いますが、文字通り「文に非ず」の文章で、谷山先生の経験に基づいた誤用例交えながら、みっちり2時間の講義をしていただきました。

非文の例をいくつかご紹介します。

1.彼女は医者なのを知っていますか。
2.その会社は鉱物に詳しかった人を募集していた。
3.カジノなんてに行かないよ。

これらは全部非文です。

どこをどう直して、さらに学習者が同じ間違いをしないようにするために、どのように教えればいいのか、丁寧に、まさに「掘り下げて」解説したいただきました。

来月から10月ですが、10月のテーマは、名脇役・副詞の世界です。

今から楽しみです。

ちなみに、10月の受講はすでに締め切っていますので受講することはできませんが、11月も違うテーマで開催する予定にしています。

あと、10月12日に、初心者向けの日本語指導講座を開催しますので、こちらも現在募集中です。

場所:紀南文化会館 研修室

時間:午後7時~9時

テーマ:日本語指導のコツ ~初級の教え方~

定員:10名(先着順)

興味のある方はぜひ、こちらまでご連絡を。
info@wakayamaguide.com