
大雲取越えは、定家が「雲の中を行くが如し」と言ったくらい険しいルートです。
かつての上皇・法皇は来た道を帰る(熊野川を遡って帰る)のが一般的であったため、ここを越えたのは後鳥羽上皇の1回のみといわれています。
江戸時代になって庶民に熊野詣が広がってくると、お伊勢参りを終えた巡礼者たちや、西国三十三ヵ所観音霊場巡りの巡礼者たちが、二番札所の紀三井寺に向かう際によく利用するようになりました。
昭和30年代、現・国道42号線が整備されるまではメインルートであったため、以前は茶屋や旅籠などもあり賑わいを見せていたそうです。
