全体主義と男女平等

この記事は、会員向けに配信している「和田通信」のものに、加筆をして改めてこちらに掲載をいたします。

アメリカで進む家族破壊

アメリカ下院議員の議長・民主党のナンシー・ペロシは、ジェンダーフリーに関する新しいルールを下院に提出しました。
father,mother,daughter,son,brother,sisiter,mother-in-law,uncle,auntなど、性別を表す言葉を国会から排除しようとしています。
もうこれは言語統制です。

民主党政権下のアメリカでは、こんなことが真剣に議論されています。
いわゆる「左翼」が政権を取ると、全体主義が進みます。
イギリスでは、ブレア首相が政権と取った際には、ロンドンオリンピック前に街中の至るところに監視カメラが据えられ、ロンドンを象徴する2階建てバスには、1階だけで8台、全部で16台の監視カメラが置かれました。

アメリカでは、記憶に新しい大規模な大統領の不正選挙がありました。
裏では中国共産党が関わっていたと言われていますが、このことをアメリカの民主制度がはっきりと正すことができないくらい民主党が腐敗していて、共和党にもその腐敗が到達していたことを露呈してしまいました。
バイデン大統領は「私は社会主義者ではない」」と言っていますが、彼はいわゆる「トロイの木馬」であり、社会主義者です。
そのトロイの木馬から、「社会主義の兵士」が次々と出てくるわけです。
世の中の動きを見る時、「お金の動きと人事を見ろ」と言いますが、今後アメリカでどのようになるのか注目したいところです。

バイデン氏、ペロシ氏などの大金持ちは、タックスヘイブンにお金を移しているため、自分たちの財産は傷つきません。
その上で、大増税を行います。
こうすることで中産階級が崩壊します。
多くの人が貧しくなるので、政府の福祉に頼らざると得なくなります。
そうなると国民はますます政府の言うことを聞くようになります。
国民が政府の奴隷となるわけです。

話を戻して、ペロシ氏がなぜこのようなことを言い出したかというと、従来あった伝統文化の基盤である「家族」という概念、すなわち、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん・・・その中で伝えられていく伝統的価値観を破壊するために、まず家庭を破壊する。
その家庭を破壊するために、家庭を意味する言葉を破壊する・・・ということをしようとしています。
こういった恐ろしいことが、現在アメリカで進んでいます。

日本でも起こりうる事

日本も他人事ではありません。

今やアメリカと似たような流れが起きつつあります。
「主人」「旦那」「嫁」・・・これらの言葉が「差別用語」となりつつあります。

もちろん、男女差別はあってはならないことです。

しかし、これは別問題です。
例えば「旦那」とは元々サンスクリット語の「dana」から来ていて、元来は「布施」「施し」を意味するそうです。
それが、時代が下って布施をする人を「檀那」と呼ぶようになり、近世では「裕福な人」「人を雇う主」「自分の仕える主人」と拡大解釈されるようになったそうです。
さらに時代が下り、現代では女性が配偶者を呼ぶ時の呼称として使われるようになりました。
みなさんは、この意味を踏まえた上で「旦那」という言葉を使っていましたか?
私は語源を調べるまで意味が分かりませんでした。
「旦那」と言えば、単に女性の配偶者のことであり、別の意味では、目上の人のことを指す言葉だという認識しかありませんでした。

では、みなさんも良く耳にしたり使ったりする「王道」はどのような意味でしょうか?
本来の意味は「安易なやり方」です。
しかしおそらく「定石のやり方。正攻法」と捉えている人がほとんどではないでしょうか?
現在では、後者の意味も載せる辞書が増えてきたそうです。
これは誤用が定着した例ですが、言葉というものは生き物と同じで、時代の流れによって意味や使い方が変わって来る場合がよくあります。
それを「本来はこんな意味だから差別だ」というのは、浅はかとしか言いようがありません。

彼らの言っている「ジェンダーフリー」は、左翼全体主義を助長しているに過ぎません。
いかにも「差別はいけないことだ」と聞こえはいいですが、それならなぜ彼らは「オリンピックの100m走を男女一緒にしろ」とか、「力士も女性を入れて男性と同じ土俵で戦わせろ」とか、「歌舞伎に女性を入れろ」とか、「宝塚に男性を入れろ」と言わないのでしょう?
彼らの言っている「男女平等」は、上記と同じことを言っているに過ぎません。
完全にその意味を履き違えています。

もっと極論的な言い方をすれば、こういうことと同じです。
総合病院には様々な先生がいます。
外科医、内科医、整形外科医、泌尿器科医、小児科医、耳鼻科医、脳神経外科医・・・
これを「外科医にも内科の患者の診察をさせろ」とか、「泌尿器科医に整形外科の手術をさせろ。同じ医者じゃないか!」と言っているようなものです。
同じ「医者」でも、専門分野が違えば素人です。
こんなことになれば大変なことぐらい、誰でも想像がつくでしょう。

あるいは、右投げの野球選手に向かって「左でも投げられるようにしろ、同じ腕だろ」といっているようなものです。
右で投げることが得意な人もいれば、左が得意な人もいます。
それを「同じ腕だから」という理由で両方で投げられるようにするなど、習得までに時間がかかり効率的ではない上に、そうしなければならないメリットもまったくありません。
すでに何かしらのメリットがあるならば、すべての野球選手がそうしているはずです。

そもそもの話、男女とは役割の違いであり、差別ではありません。
ジェンダーフリーを唱えている人は、「差別」と「役割」の違いを混同してしまっているのです。
今は「男性は外で仕事」「女性は家庭」という考えが古いとか、差別だとかいう人が多いですが、これも元来「役割の違い」であり、差別ではありません。
私も男女差別は絶対に反対です。
「誰のおかげで飯が食えているんだ!」という男には「誰のおかげで仕事ができてるんだ!」と言ってやりましょう。
お互いが違う役割を専属で担い、お互いの欠けを埋めて支え合って生活が成り立っているのです。
お金を稼ぐ方が偉いとかいうような言い方をする奴は、差別主義者であり、これは許せません。

本来、男女とはそういうものなのです。
でなければ、男性も子供を産めてお乳が出るように作られていたはずです。
男性と女性、同じ役割をしてうまくいくはずがありません。

右手が完全に左手の役割をカバーできないのと同じです。
私は今、キーボードを叩いて入力をしていますが、右手と左手を入れ替えて打つことはできません。
厳密に言うと、できなくはないかもしれませんが、かなりの無理が生じます。
あるいは、右手の指で右手に薬は塗れません。
男女の役割も同じなのです。

昔は専業主婦にも国から手当が出ていました。
それを廃止にしてしまったため、女性も働きに行かざるを得なくなりました。
その結果、女性は、働かなければならない上に、家事や子育ての大半を担わなければならなくなりました。
そうなれば「私も働いているのだから私ばかりに家事や子育てを押し付けないで、あなたも手伝いなさいよ」となるのは当然の流れです。
でも、これでうまくいくはずがありません。

保育所不足の問題が取り沙汰されてから結構たちますが、お母さんが家庭で子育てできる環境が整えば、こういった問題は解決されるはずです。
今の政府が進めている対策は、虫歯が出来たからそこを治療するという対処療法と同じです。
根本の虫歯の原因や生活習慣を直さない限り、虫歯はまた起こります。
なので、「保育所を増やす」というのは対処療法に過ぎません。
少子化問題も、女性の社会進出がその一因です(女性の社会進出を否定しているわけではありません)
「少子化なのに保育所不足」という矛盾も起こっています。
ひとつ歯車が狂い出すと、あらゆるところでひずみが出てきます。
いくら対処療法をしても、新たな問題がまた起こることは目に見えています。

陰と陽、どちらが欠けても世の中は成り立ちません。
太陽には太陽の、月には月の役割があります。
月が太陽の役割をしようものなら、人類はは存在できなくなります。
水が火のような役割をしようものなら、人間はおろか、この世のあらゆる生物は生きていけません。
先述の右手と左手の関係もそうです。
陰と陽とは、性質の全く違った物が、お互いの「欠け」を埋め合って一つの物事が成り立つ様を表したものです。
なぜ陰と陽があるのか、性別があるのか、また、「差別」と「役割」の違いについて、この機会に今一度、よく考えてみてはいかがでしょうか?

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