白浜研修とご近所付き合い

本日は白浜研修の日でした。
白浜研修は3回(~4回)に渡って白浜について深く学ぶ計画にしています。
今日はその第一回目でした。

本来であれば、午前中は座学、午後は現場を回る予定だったのですが、折からの台風の影響で午後は中止となりました。

残念。

しかし、午前の座学だけでも十分充実した内容でした。

私は白浜生まれの白浜育ちですが、白浜に住んでいながら知らなかった事を多く学ぶことができました。

白浜町の前身

白浜町は昔、「瀬戸鉛山(せとかなやま)村」と呼ばれていました(これは知っていた話)

瀬戸村と鉛山村が合併してこのように呼ばれていました。

私はその鉛山村(現在の湯崎地区)出身なので、生粋の「白浜っ子」です。

その後、富田村や椿村が合併され、さらに「平成の大合併」で日置川町と合併して、現在の白浜町を形成しています。

平成の大合併当時、単独を掲げて当選した町長が突然の方向転換をして、日置川との合併を推進しました。
投票した人は見事に裏切られた形ですね。

鉛山村と瀬戸村の関係

ちなみに、瀬戸村と鉛山村、昔っから仲があまりよろしくないようで、私たちが子供の頃などは結構お互いのことをディスったりしていました。
今はそうでもないと思いますが。

瀬戸村と鉛山村時代にも、やはりいざこざはあったようです。

大辺路沿いでも、串本町田並と有田でも境界争いがありました。
この場合は地先権争いだったようです。

これって、日本国内の集落同士の話にとどまらず、国家間でも同じですね。
日本と韓国、日本とチャイナ、インドとパキスタン、オーストラリアとニュージーランド、イギリスとフランス・・・どうも「お隣さん」というのは、近すぎるが故に色んなことが両者の間で起こるからなのでしょうね。

やはり、だいたいの理由は資源問題だと思います。
田並と有田でも、境界が変われば採れる資源(魚介類や山菜など)も違うので、当時は死活問題だったのかもしれません。

国同士の争いも、結局はこうした村同士の問題の規模が国同士になっただけの話のような気がします。自国の領土になれば採れる資源の量も大きく変わるので、お互い譲らないのでしょうね。石油やガスとなれば、相手は絶対に譲らないどころか、奪おうと画策してきます。

それが世界の常識です。

日本はまったくそういったことがない、不思議な民族です。

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