日記
藤原定家 後鳥羽院熊野御幸記

向かって左に展示されているものが、歌人・藤原定家が1201年10月、後鳥羽上皇4回目の熊野詣に随行した際に記された日記です。
「後鳥羽院熊野御幸記」と呼ばれていますが、正確には1180年~1235年に渡る定家の日記「明月記(愚記)」の中の一部です。
定家はこの時、いわゆる斥候として、一行の先回りをして各王子での奉幣の儀などの準備などする役割でした。

通訳案内士・和田良穂ことYoshiのガイド情報発信ブログ

向かって左に展示されているものが、歌人・藤原定家が1201年10月、後鳥羽上皇4回目の熊野詣に随行した際に記された日記です。
「後鳥羽院熊野御幸記」と呼ばれていますが、正確には1180年~1235年に渡る定家の日記「明月記(愚記)」の中の一部です。
定家はこの時、いわゆる斥候として、一行の先回りをして各王子での奉幣の儀などの準備などする役割でした。