高原~近露王子⑫

近露王子②

近露王子の碑と出口王仁三郎

出口王仁三郎(「おにざぶろう」、または「わにざぶろう」とも)は、出口直(なお)とならぶ大本(おおもと・または大本教)の教祖。
大本とは、出口直が国常立尊の神がかりによって起こった神道をベースとした新興宗教(1898年)

その王仁三郎が1933年3月に近露を訪れた際、当時の村長・横矢球男の依頼を受け、近くの宿「山形屋」で書かれた「近露王子之跡」の筆跡を元にこの王子に碑が建立されました。
しかし、1936年の宗教弾圧で全国の神道以外の宗教に関連する建物や碑などが破壊される事態へと発展していきます。
これを憂いた横矢が、「近露王子之跡」の横に彫られていた王仁三郎の名を削って消し、「横矢球男謹書」と彫り「これは私が王仁三郎の筆跡を真似て彫ったものだ」と言い張り難を逃れたそうです。
しかしよくそれで難を逃れたものです(笑)
全国にはこうした碑がたくさんあったそうですが、現在まで残っているのはここだけではないかと言われています。

よく見ると(見なくても)明らかに削っていますよね。
横矢村長のこの碑に対する並々ならぬ熱意がこの碑を救ったのでしょう。

久保円五郎とトンネル

昔の近露は、近露王子の下流で稲作がされていて、近露王子を迂回する竹製の樋(とい)を介して田んぼに水が供給されていたそうです。
しかし、水害が起こると樋が破壊され、そのたびに樋を作り直さなければならなかったので、農家にとっては悩みの種でした。

そこで、この地区の久保円五郎さんが一念発起し、ノミと鎚だけで半年かけて近露王子の下にトンネルを彫り、それ以来安定して水が供給されるようになったそうです。

ただ、そのご子息の方のお話によると、「神聖な王子の下にトンネルを掘るとは許せない」という反対意見もあったそうです。

近露王子のスタンプ台に横に、そのトンネルに降りていける階段があります。
今はその水路は使われていませんが、時間に余裕があれば見てみてください。

(番外)民話 河童伝説

近露王子近くの民家には、度々河童が現れて悪さをしていたため、ある家の主が捕まえて懲らしめました。
すると河童は「あの橋(現国道311号線近く)のそばの松の木が枯れるまで、近露王子の鳥居がなくなるまでは二度と現れません」と言って放してもらったそうです。

今、その河童が言っていた松も鳥居も今はありません。

・・・ということは・・・

以上、高原~近露王子でした。

読んでいただき、ありがとうございます。


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