道湯川橋~発心門王子③

三越峠

案内板より。

ここ三越峠は口熊野(西牟婁郡)と奥熊野(東牟婁郡)の境界で、その昔、熊野本宮へ参った人々が、西の湯川王子から東の音無川の谷へ越えていったところであります。

古くは平安時代、永保元年(1081年)の藤原為房参詣記に「三階の人宿」、天仁2年(1109年)の藤原宗忠参詣記に「三輿の多介(みこしのたけ)」とその名があらわれ、また同じ頃の源俊頼の「散木奇歌集」には、

中宮亮(ちゅうぐうのすけ)仲実熊野にまいりけるに つかはしける雲のゐる

みこしいわかみ(三越 岩神)越えむ日は そふる心に かかれとぞ思ふ

という和歌が見られます。

熊野へ参る人は、この三越峠で本宮へと流れる音無川をはじめて目のあたりに見るのですが、後鳥羽上皇の正治2年(1200年)の御集にみえる次の有名な歌はそのときの感懐を詠んだものと思われます。

はるばると さかしきみねを 分けすぎて 音なし川を けふみつる哉(かな)

中世には、本宮町の九鬼・八木尾谷とともに、三越峠に関所を置いて関銭を徴収したと伝えられ江戸時代から大正時代のはじめまでは、ここに茶店が設けられていました。

峠からは音無川へ下る本道の他に、その右岸の尾根を湯峰へ通じる赤木越の道があり、近世の西国巡礼などで賑わっていたと言われています。

この建物は、ふれ愛紀州路・歴史の道キャンペーン「古道ぴあ」の開催を機に熊野古道を訪れる 人々のため、往時の「峠茶店」をしのぶ休憩施設として整備したものです。

以前、日本に住んでいる外国人のお客様を案内した時に、「日本人のガイドはつまらない」という話を聞いたことがあります。
何がつまらないかというと「事実」「事実」「事実」を並べているだけで、ストーリーがないということでした。

・・・説明板に共通して言えることですが、上記の説明はまさにそのお手本とも言える内容です。
この内容を、お客様にそのまま伝えても本当につまらないでしょうね。

さて、この三越峠、昨年(2019年)5月に、オーストラリアの方が滑落事故で亡くなった場所です。
この関所跡から発心門王子方面への下りは約1kmありますが、途中道幅が狭くなっている箇所や、小石がたくさん落ちていて滑りやすいところ、段差も大きな場所がある危険箇所です。
わたしも先日お客様を案内中に骨折事故が起こったところも、この坂道です。
また、連日歩かれているお客様は、特に足の疲労も蓄積されているので踏ん張りが利かないことも考えられます。

下りの最中はおしゃべりを慎み、歩きに集中してもらうようにしたいものです。

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