捕鯨について③

陸上作業

陸上の作業体制は、クジラ解体処理場、造船所、樽加工、銛加工、採油場、筋加工などがありました。
また、クジラを見張るため、燈明崎と梶取崎の2箇所に見張り場があり、季節によって主力要員の配置を変えていました。

見張り場

クジラは春から初夏にかけて北上するため、梶取崎に主力要員を配置し、秋から冬にかけては燈明崎に配置しました。

通信手段としては狼煙(のろし)が大きな役割を果たしていました。
現在、太地町内に5箇所の狼煙場が確認されています。
狼煙はクジラ発見はクジラの進行方向を伝える他、狼煙場間や岬と港の連絡などに使われました。

例えば燈明崎の2箇所の狼煙を一度に焚いて十分煙があがった時にその一つを消します。
甲乙どちらを先に消すかによってクジラの位置を知らせました。

旗類による通信も重要で、クジラの種類や狼煙では伝えきれない細かな指示は、それぞれ模様の異なる旗で伝達をしていました。
この他に、ほら貝や采配棒なども情報の伝達に用いられました。

各種作業場

総指揮所および山見(クジラ見張り場)

燈明崎の突端に設置された山檀那を始め、見張り役、狼煙場役、通信旗役、炊事役など、常に12~13人が配置されていました。
また、梶取崎にも山見があり、4~5名が配置されていました。

クジラ解体処理場

古式捕鯨時代は、整備された解体場ではなく、飛鳥神社前の砂浜へろくろを使って引き揚げ、10人ほどの解剖職人を中心に村人総出で作業したと推測されています。

造船場

勢子船をはじめ、捕獲作業に使用する船はクジラを追いかけるためにスピードを重視し、船底は漆塗りとし、櫓の数は8本で独特の操舵技術であったと伝えられています。
また、前回の記事で述べたように、勢子船の格によって絵柄が異なり独特の色彩が施されています。
これは、各船の陣形を確認しやすいように、あるいは陸上の指揮者が指揮命令を的確に行えるようにするためにも有効でした。

勢子船は特に大切にされていたようで、船出の準備の際には船底を傷つけないように水夫が担いで水面に浮かべ、漁から帰ると再び担いで真綿の上に静かに降ろしたと伝えられています。

造船所には、船の新造や修理をする職人が配置されていました。

網加工場

網掛け突き取り法の導入いより、網は捕獲道具をして重要視され、自前で作り修理をしていました。
また、網だけではなく、綱も自前で加工しました。
材料には当初稲わらを使っていましたが、水を含むと重くなりやすいことに加え、大きな浮きを必要としたために次第に改良され直麻で作った網を使うようになりました。

樽加工場

樽は鯨油の保管用と、クジラを捕獲する際の網の浮きに使用するために作られました。

銛加工場

クジラ捕獲用の各種銛、剣(12種類)や、解体作業の道具(長包丁、大包丁、手鉤)などの製造修理を行いました。

採油場

クジラの皮脂から油を採り、石鹸や灯明、田んぼの殺虫剤に用いられました。

筋加工場

クジラの筋を抜き取り、弓の弦に加工しました。

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