騙された始皇帝
始皇帝は絶対的な独裁者となったおかげで、不老不死を願うようになりました。
そこにつけ込んだのが方士たちでした。
方士たちは不老不死の薬が手に入るといって始皇帝から資金を騙し取ろうとします。
候生(こうせい)、盧生(ろせい)もその仲間です。
始皇帝がお金を渡しても一向に不老不死の薬が得られないので、とうとう始皇帝は怒って方士たちを捕まえようとします。
彼らは逃げ出しますが、逃げる際に散々始皇帝の悪口を言っています。
それを聞いてますます怒った始皇帝は、彼らを捕まえるために大捜索を開始します。
しかし、彼らを匿う人々がいてなかなか捕まえられません。
そこで、そうした人々まで捕らえて処刑をします。
その数は460人にのぼったと言われています。
「坑儒」は、儒教の人が殺されたとされていますが、実は殺されたのは儒教の人ではなく、こうした人々だったらしいのです。
候生、盧生たちと同じく、徐福も始皇帝を騙し、たかった一人だったのです。
当時の誰もが神仙を信じていました。
始皇帝も信じていました。
徐福は、東の海上に三神山、蓬莱(ほうらい)、方丈(ほうじょう)、瀛州(えいしゅう)という島があり、そこに行けば仙人がいて不老不死の薬が手に入る、私がそこに行ってその薬をもらって来ましょうと持ちかけ、始皇帝から大金を巻き上げます。
さらに、そこに行くには供え物が必要だ、向こうの神様は若い男女がほしいと言っているなどと言い、約3千人を集めさせ、莫大な旅費をせしめます。
「秦の始皇帝の命により」とはよく聞きますが、始皇帝の方から徐福に命じたのではなく、実際のところは徐福の進言により「それなら行って来い」となったということです。
徐福は、この住みにくい国を離れ、よその土地へ亡命したいと思っていたようです。
前にも触れましたが、徐福は元々、秦によって滅ばされた斉の国の人です。
国は統一されたとはいえ、滅ぼされた国の国民にとっては、さぞかし住みにくくなったことは想像に難くありません。
これは何も、秦の時代だけの話ではありません。
自国の情勢が悪いところからは亡命者が跡を絶ちません。
シリア、北朝鮮など、自国に見切りをつけて命がけでその国を脱出しようとする国民の心理は理解できます。
満州国が建国されてから、満州国が経済的な発展を遂げた時も、多くの人がなだれ込むように住み始め、あっという間に人口が爆発的に増えたという例もあります。
徐福は遼東半島を含む「斉」の人だったので、東に住みやすい日本という国があることは知っていたと思われます。
しかし、そこに行くにはしっかりとした船が必要だ、しかし、それには大金が必要だ・・・こう考えて始皇帝を騙したのでした。
ホツマツタヱにも、渡来人が多くて政治が乱れて困っているという内容の記述があるくらいです。
それくらい、日本は住みやすかったのでしょう。
秦の始皇帝と徐福、その時代背景を読み解く⑧へ続きます。
