さて、前回までの記事では、徐福伝説について検証をし、私なりの考えの述べさせていただきました。
これとは別に、「徐福が神武天皇ではないか?」などという暴論まで生まれています。
前回までの私の考えでいうと、それはまったくもってありえない話であり、それこそチャイナの情報操作に踊らされているのではないかと思えます。
徐福は本当にいたのか?
徐福については、その存在が疑問視されていますが、日本各地に残る伝説や、史記に描かれていることなどから、本当なのかもしれません。
こういった話には「不在説」はつきもので、神武天皇についても同じことがいえます。
「いた、いなかった」という論争自体、馬鹿げています。
もう2000年以上前のことなんて、本当かどうか分かりっこありません。
古事記・日本書紀でも書かれている通り、神武天皇は天照大神の子孫であり、ホツマツタヱでは初代アマカミ・クニトコタチから続く「13代目アマカミ」です。
それを言うなら、「天照大神は男性だったのか、女性だったのか?」という点をしっかり議論したほうがいいと思います。
「天照大神が男性だった」ということが分かれば、女系天皇容認論に終止符を打つことができますからね。
神武天皇は秦から来たお方ではありません。
「熊野権現垂迹縁起」の信憑性
似たような話で、「熊野の神々は唐の天台から来た」という説もありますが、これもホツマツタヱを読めばそんなことはないことぐらいすぐに分かります。
この「熊野の神々は唐の天台から来た」というのは「熊野権現垂迹縁起」という、熊野権現について書かれた一番古い書物によるもです。
ただ、「一番古いから正しい」ということにはなりません。
史記と同様、これが書かれた時代背景を読み解いてから判断するべきだと思います。
少し触りを調べてみると、どうもその意図が見えてきそうな気がしています。
これについては現在勉強中です。
またお話できるようになれば、この場でお話をさせていただきます。
チャイナ至上主義からの脱却
とにかく、チャイナ至上主義からは一刻も早く脱却しなければならないということは確かです。
日本は、チャイナに依存しなければならないくらい困っていたわけではありません。
むしろその逆で、チャイナ国内の情勢が悪かったからこそ、より住みやすい日本に大挙して押し寄せてきたのですから。
チャイナの人々を迎え入れ、助けてあげたのは日本人です。
その時にたまたま、異民族の文化が珍しくて日本に浸透していっただけの話だと、私は思っています。
