
小雲取越は坂道を上ったあとには必ず平らな箇所がありますので、険しい熊野古道のなかでも「比較的」楽に歩けるコースです。
ただし、請川から入った場合、桜茶屋からの下り約2.5kmは滑りやすい石畳がありますので注意が必要です。
中辺路によくある光景の植林によるスギ・ヒノキではなく、ウバメガシなどの原生林がよく残っている数少ないルートのうちの一つです。
ですので、古道沿いの植生などを見ながら歩くと違った楽しみ方ができると思います。
ただ、小雲取越・大雲取越は王子などは一切なく、歴史的なものはほとんど見られません。
松畑茶屋跡
旅人がここの茶屋の子に名前をつけてやり、十年後にその子の安否を尋ねたところ、十一歳の美しい少年になっていた、という話が残っています。
往時、稀人信仰というものがあり、旅人がその「稀人」にあたったそうです。
旅人というのは各地を巡り、さまざまな情報(特に食べ物)を持っていることから、貴重な情報源の持ち主として崇められ、その旅人に子の名づけをしてもらうという風習があったらしいです。
百間ぐら
「ぐら」とは高い崖の意。行き倒れの巡礼者を祀る。石が積み上げられた地蔵は元来この場所にはなく、移動されたそうです。
賽の河原地蔵
行き倒れの旅人を祀っているという説と、狼に襲われて亡くなった若い僧を祀っているとの説もあります。
賽の河原とは、親より先に死んでしまった子らが行くとされる三途の川の河原のことを指します。
親より先に死ぬことは親不孝とされているため、子は親の供養のために河原の石を積み上げ塔を作り、それが完成すれば供養が完了するとされているが、あと少しのところで鬼がやって来て積み上げた石を破壊して去っていく。
再度、再々度積み上げては鬼に破壊されるが、最終的には地蔵菩薩が現れてその子供を救う。
という話があります。
「賽の河原」という言葉は「報われない努力」の意味でも使用されますが、ここに積み上げられた石はこの話にまつわるものなのかは不明です。
幾重にも重なった山並みの中にある、三角に尖った山が野竹法師(970.8m)
ここではオオカミは悪者扱いされていますが、熊野古道をはじめとする日本各地ではオオカミはむしろ旅人を守ってくれる存在として捉えられていることの方が多いようです。
こちらをご参照ください。
三界萬霊塔
仏教の考えで、世界には大きく分けて3つの世界に分けられる。
欲界:人間界や地獄を含む淫欲・食欲の欲望にとらわれた世界
色界:2つの欲望は超越したが、物質的な欲望の残った状態の世界
無色界:上記すべてを超越した精神世界
以上のすべての世界にある魂を供養するという意味で建立されたものです。
無縁仏を祀る塔として、墓地でもよく見かけられますよね。
桜茶茶屋跡
茶屋の庭先に大木があったことから桜茶屋と名付けられました。
店の主人は大雲取越えにある楠ノ久保旅籠辺りを通る白衣の参詣者の一団を見かけると、大急ぎで湯を沸かし餅をつきました。
一団を見かけてから餅をつけるほど、楠ノ久保からの距離は遠かった(約2時間)
ちなみに、楠ノ久保の旅籠の主人は、その先すぐ近くに別の宿があるにも関わらず旅人に桜茶屋を指差し、あそこまでは宿がないからここで泊るように勧めていたとい話が残っています。
尾切り地蔵
昔、山の稜線の端(尾っぽ)の集落は栄えないとされていました。
この地蔵は山の「尾」を切り、集落が栄えるようにとの願いが込められています。
歌碑
旧熊野川町域に入ると、所々に歌碑が設置されています。
この歌碑を見て休憩を取ってもらいたいという町の願いが込められているそうです。
小雲取越えには計6か所設置されています(カッコ内は作者)
①歩まねば 供養ならずと 亡き母が のたまいていし 雲取に来ぬ (嶋正央)
今は亡き母が、雲取越え(大雲・小雲)は歩かなければ供養にならないとよく言っていた。今わたしは、その雲取に来ている、といった内容の歌。
②まさびしき ものとぞ思ふ ただなづく 青山のまの 川原を見れば (斎藤茂吉)
この歌の作者は医者で、妻は派手好きで浪費家であったそうです。この歌は、この地から見える広大な山並みや川原を見て、医者という地位にありながら妻の日ごろの派手な振る舞いに対して寂しい気持ちになって詠んだ歌だろうといわれています。
③どちらへも 遠き山路や 遅桜 (岩田涼莵)
作者は伊勢の神宮の神職で、この地に差しかかった時に詠んだ歌だと言われています。(こんな遠くまで来てしまったが)伊勢に戻るのも、熊野に参るのもどちらも遠いことに嘆いた歌らしい。彼は「遅桜」の時季、晩春に熊野を訪れたのでしょう。
④小雲取 のぼり来たれば 枯れ萱の 光和みて 山つたふ風 (杉浦勝)
作者は地元出身。小雲取越えの美しさを詠んだもの。彼は宮中の歌会に招待されたが、病気のために出席していません。
⑤かがなべて 待つらむ母の 真熊野の 羊歯の穂長と 箸を切るかも (長塚節)
幾日も待っている母の元に羊歯の穂長(シダの茎)を折って、箸にして持って行ってやろう、という歌。歌に登場するシダはウラジロで、その茎は非常に硬く往時は箸に利用していたそうです。切って乾燥させればどんどん硬くなります。
⑥男手に 牡丹餅(ぼたもち)握り 山祭り (平松いとど)
山の神様は女神で嫉妬深く、女性を嫌っていたので、山の祭は準備から運営まですべて男性がまかなっていました。きれいな女性を連想させる魚、例えば鯛などのようなものも供えず、代わりにオコゼのような見た目の良くない魚を供えたり、餅もすべて男性が作って供えていました。
