【紀伊路】山中渓~伊太祈曽③

前回まではこちらをご参照ください。
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽①
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽②

地図では赤丸の場所にあたります。

山中神社(馬目王子)

承歴3年1079年8月8日、澤四郎善眞が紀州の岡崎より信仰する八王子神(あまのほひの命)をもって当山中に移り住みこの地におまつりした。

後日、神のお告げにより当地の西北にある高山の頂上に社(八王子神社上之宮で現在は跡地)を建てておまつりした。

この山中神社には、上之宮より移記した八王子神(本地十一面観音)をおまつりする社と、馬目王子(熊野古道九十九王子の一社)の社とがある。

元和3年(1613年)ごろ、この観音は盗難にあったが、いつのまにか元の社に返されていたと言われている。

山中神社 由来記

八王子社 祭神(天忍穂耳尊)
馬目王子社 祭神(後白河上皇、磐長姫命)

◯八王子社(本地十一面観音像)

承歴3年(1079年)8月8日
澤四郎善眞 紀州岡崎より八王子神(天忍穂耳尊)の神像袖内に蔵し山中に来たりて祭   祀す

承歴4年(1080年)11月18日
北西高山の頂に八王子上の宮建立

永長元年(1096年)11月8日
八王子神分霊を麓に下の宮創建
山中神社の起源で善眞の子孫が永代神主となる

◯馬目王子社(熊野古道九十九王子)

大阪最南端の王子社で山中部落入り口王子原に祀られていた。
足神さんとも名高く大きな草鞋が奉納され付近から清水が滴り
法皇上皇はじめ熊野参詣者の遥拝所兼休憩所であった。
明治42年(1909年)神社合弁合祀の際社家三澤家が
当神域に遷しいしの禿蔵に祀る。王子原の跡地は
昭和5年(1930年)阪和線開通時に平地化した。

◯八王子社観音堂(奥の院)

応徳元年(1084年)2月18日
澤四郎善眞岡崎観音寺(十一面観音像)勧請
奥の院建立神宮寺形式で八王子神祀る

元和3年(1617年)
観音像盗難-老僧にて返される

明治5年(1872年)
檀那寺に勧請す

明治32年(1899年)正月
観音堂債権さる

昭和46年(1971年)2月
現観音堂三澤家邸内善眞碑傍に建立

八王子神とは
天照大神(三女神)
素戔嗚尊(五男神)
八皇子の代表神天忍穂耳尊を祭神とす

歴史のあるお社ですね。
ここでの「八王子」は天照大神と素戔嗚尊の御子神のことを指していますが、ホツマツタヱではこの国をお造りになった国常立尊の8人の子、ト・ホ・カ・ミ・エ・ヒ・タ・メの8人を指します。
現在の地名である「八王子」も、ここから来たという説もあります。

ホツマツタヱに登場する8人についてはこちらをご参照ください。
【お勧め書籍】古代史ホツマツタヱの旅① クニトコタチ

いときょうさんの著書・古代史ホツマツタヱの旅もお勧めです。

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