熊野古道 駐車場

熊野古道は周回するスタイルではなく、「行きっぱなし」になりますので、車で来られた時の駐車場に困ることがあると思います。

特に車1台で古道歩きをしたい場合には、駐車場所に困ると思います。

今回は、コースごとにどこに駐車可能な場所や、どこに置けば効率がいいのか(スムーズに帰ることができるのか)をご紹介します。

藤白坂(海南駅~加茂郷駅)

基本的に、駐車は終了地点付近に置くのが理想ですが、このコースについては加茂郷駅周辺には理想的な駐車場が見当たりませんので、海南駅の近くに駐車することになります。

加茂郷駅まで行けば、電車はだいたい30分に1本は動いていますので、帰りはさほど困らないと思います。

海南駅東口には、1日250円~300円程度で停められる駐車場が結構あります。
車を置いて海南駅までは徒歩1、2分です。

料金は前払いなのでご注意を。
支払った際に発行される駐車券をダッシュボードに上に置いて駐車します。

中には30分無料であとは30分ごとに100円(だったかな?)かかるところがありますので、よーく料金表を確認してから駐車してください。

紀伊宮原駅~湯浅 切目駅~南部駅

湯浅駅前に駐車場は1日最大300円程度で駐車できますので、ここに置いておき、電車でスタート地点の紀伊宮原駅まで行く方法が便利です。

切目駅~南部駅も、終点の南部駅に町営の駐車場があります。
こちらも1日最大300円程度で駐車できます。

なお、紀伊宮原駅、切目駅とも特急は止まりませんのでご注意を。

滝尻王子~高原

中辺路でも、基本的に終点に停めておくのがいいのですが、このコースについては滝尻の駐車場に停めておく人が多いです。

なお、トイレのある方の駐車場は、長時間の駐車はご遠慮ください。

滝尻の駐車場(熊野古道館駐車場)に置いて歩き始め、終点の高原から、栗栖川バス停まで歩いて下りて行き、バスに乗って滝尻に戻るという方法です。

一番便利なのは、霧の里高原(たかはら)休憩所に駐車しておき、栗栖川バス停まで歩いて下りて行き、バスに乗って滝尻まで戻る方法です。

いずれにしても、高原から栗栖川までは歩いて下りなければなりません。
所要時間は約30分です。

なお、タクシーを呼ぶにも30~40分はかかりますので、私はそういった方法を使ったことはありません。

中辺路ルートのバスはそう頻繁にありません。
下手をすると1時間~1時間半待ちということになりかねませんので、朝のバスに時間を合わせた方が、帰りの時間を気にすることなく古道歩きを楽しむことができます。

熊野古道館駐車場、霧の里高原休憩所の駐車場とも、駐車料金は無料です。

高原~近露王子

近露王子公園駐車場(無料)が便利です。

駐車場内にバス停がありますので、車を停めてすぐにバスに乗ることができます。

降車の停留所は「栗栖川(くりすがわ)」です。

ただし、栗栖川から高原までは、歩いて約30~40分(約1.8km)を上らなければなりません。

霧の里高原休憩所駐車場に先に停めておくことも可能ですが、いずれにしてもこの坂を上ることは避けて通れません。
また、この場合は帰りのバスの時間を合わせないといけなくなります。

発心門王子~本宮大社

熊野本宮館駐車場が便利です。

こちらも駐車場内にバス停がありますので、ここから発心門王子行きのバスに乗車できます。
終点の本宮大社にお参りをし、参道を降りれば、道路を挟んだ向かいがこの駐車場です。

ただし、週末などは満車になる可能性があります。

その場合は、熊野本宮館裏手の河川敷の臨時駐車場に置くことができます。

臨時駐車場へは、案内看板もありますので、難しくはないです。

小雲取越

請川から入る場合は、小和瀬(渡し場跡)の駐車場(無料)に置いておき、バスで出発地点の「下地橋(しもじばし)」に向かうといいです。
時刻表には「請川(うけがわ)」しか記載がありませんが、下地橋は請川の一つ手前です。
小雲取越の入口は、請川よりも下地橋の方が近いです。
ただ、歩く前に何かを買いたい場合は、請川で降りればコンビニと、道を挟んだ向かいに小さなお店があります。
コンビニは毎週水曜が定休日で、その他の日も臨時休業している場合がありますので要注意です。
時刻表

小和瀬から入る場合は、下地橋バス停付近に数台駐車可能なところがあります(無料)
ただし、他の利用者の妨げにならないように端の方に停めてください。

大雲取越

小口から入る場合は、JR新宮駅近くの新宮市営駐車場に停めておき、7:10新宮駅発のバスに乗車し、神丸(かんまる)で乗り換え、小口(こぐち)8:06着に乗る必要があります。

大雲取越は中辺路の中でも最高級の難易度のコースなので、7~10時間を見ておいたほうがいいでしょう。

時刻表は小雲取越のものと同じです。

駐車料金は1日最大700円です。
ただし、24時間以降は1時間につき100円かかりますので要注意。
新宮駅東市営駐車場「はまゆう」

那智から入る場合は、那智山バス停の駐車場(混雑時は有料になる場合あり)、または那智駅(無料)に駐車し、路線バスで那智山バス停まで向かうことも可能ですが、小口で一泊することをお勧めします。
時刻表

終点の小口から那智に戻るには、神丸→新宮駅(または新宮高校前)→那智駅で乗り換えが必要なので日帰りはやめておいたほうが無難です。

小口からの日帰りは、バスの便数が限られていますので、何か起こって乗り遅れれば悲惨な状態になります。

大雲取越、小雲取越を2日かけて歩くのが通例です。

以上、ご参考になれば幸いです。

熊野古道 モデルコース

熊野古道のモデルコースは、主に中辺路に集中しています。

まずは中辺路のモデルコースをご紹介いたします。

1泊2日

1日目 紀伊田辺駅~本宮へ移動
2日目 発心門王子~本宮大社

大阪からであれば、紀伊田辺にお昼前に到着し、そこから路線バスを使って本宮エリアで宿泊、翌日発心門王子~本宮大社を歩いて路線バスで紀伊田辺駅に戻る行程です。

大阪からのアクセスは、
新大阪8:58発、紀伊田辺駅着11:23の便
新大阪10:13発、紀伊田辺駅12:34着の便
が便利です。
JRおでかけネット

紀伊田辺駅から本宮エリアへのバスは
11:35と12:50発の便があります。
紀伊田辺駅、白浜→熊野本宮大社

本宮までは2時間ほどかかりますので、12:50の便に乗ればちょうどチェックインの時間くらいに到着します。
11:23に紀伊田辺駅に到着し、駅周辺でランチを食べて12:50の便に乗れば一番いいと思います。

和歌山地域通訳案内士会では、ガイドの自家用車で本宮までの道中をご案内するプランがあります。

ただ単にバスに乗って移動をするより、道中の滝尻王子や継桜王子などに立ち寄りながら本宮に向かいますので、より密度の濃い熊野体験ができます。

2泊3日 ①

1日目 鮎川王子~滝尻王子
2日目 発心門王子~本宮大社

1日目は紀伊田辺駅からバスに乗って「鮎川新橋」で降車すれば、鮎川王子跡があります。
その向かいの橋(鮎川新橋)を渡ってウォーキングスタート。
2016年に世界遺産に追加登録された北郡越(ほくそぎごえ)を含んだ、変化に富んだコースです(先出のバス時刻表参照)

2泊3日 ②

1日目 牛馬童子口~継桜王子
2日目 発心門王子~本宮大社

1日目は、中辺路のシンボル・牛馬童子像、展望台から見下ろす近露(ちかつゆ)の景色や、樹齢800年と言われる野中の一方杉などを見ることができます。
こちらへのアクセスも、紀伊田辺駅から出発し、「牛馬童子口」バス停で降車です。

宿泊は
民宿つぎざくら
GUEST HOUSE MUI
熊野古道 古民家宿 HAGI
農家民宿さーどぷれいす熊野古道
熊野古道 いろり庵
などが便利です。

3泊4日 ①

1日目 滝尻王子~高原
2日目 高原~近露王子
3日目 発心門王子~本宮大社

1日目の滝尻王子~高原は、始めに1kmの急坂を上ります。
ゆっくり歩けば大丈夫ですが、喘息を持たれている方は注意が必要です。

2日目の高原~近露王子は、本格的な熊野古道を味わえるコースです。
距離は約9kmですが、結構こちらも起伏がありますので、無理をせずに歩いてください。

1日目の宿は
霧の里 高原
けやき
すずしろ
民宿 古道の杜 あんちゃん
あかつき
星空の宿
里山暮らしを遊ぶ宿 のこのこ
Guest House Kiyohime
お宿 日々樹

2日目の宿は
民宿ちかつゆ
熊野古道ちかつゆ 櫻の園
熊野古道の宿 近露そら
ゲストハウス あがえ
ゲストハウス 豊舟
などがあります。

3泊4日 ②

1日目 滝尻王子~高原
2日目 高原~近露王子
3日目 道湯川橋~本宮大社(健脚向け)

3日目のコースは、峠越え2つを含み、距離は約17kmの健脚向けです。

4泊5日 ①

1日目 滝尻王子~高原
2日目 高原~近露王子
3日目 発心門王子~本宮大社
4日目 川舟下り~速玉大社→大門坂~那智の滝

4日目は少し過密になりますが、1日で十分回ることができます。
お泊りは那智勝浦エリアの宿がオススメです。

4泊5日 ②

ガッツリ歩きたい方はこちらです。

1日目 滝尻王子~高原
2日目 高原~近露王子(または継桜王子)
3日目 道湯川橋~本宮大社
4日目 川舟下り~速玉大社→大門坂~那智の滝

5泊6日 ①

1日目 滝尻王子~高原
2日目 高原~近露王子
3日目 発心門王子~本宮大社
4日目 川舟下り~速玉大社~神倉神社
5日目 大門坂~那智の滝

4日目に神倉神社を加えたプラン。
無理なくゆっくりと楽しみたい方向けです。

5泊6日 ②

1日目 滝尻王子~高原
2日目 高原~近露王子
3日目 道湯川橋~本宮大社
4日目 小雲取越
5日目 大雲取越

中辺路最大の難所・大雲取越を含んだ健脚向けです。
3日目は、体力と脚力に自信のある方なら、近露~本宮大社(約25km)を歩くことも可能です(この場合は遅くとも7時半には出発しましょう)

他のルート

現在は中辺路中心となっていますが、当時の巡礼気分を味わいたい方には、紀伊路と組み合わせるプランもいいかと思います。

日本人であれば、まとまった日数を取ることは難しいと思いますので、分割して歩かれるといいと思います。

紀伊路であれば、下記を先ほどの中辺路と組み合わせれば、さらに熊野古道を楽しむことができます。
紀伊路は基本的に駅から駅まで歩くことができますので、アクセスは中辺路よりも断然便利です。

1日目 藤白坂(海南駅~加茂郷駅)
2日目 紀伊宮原駅~湯浅
3日目 切目駅~南部駅

また、大辺路にも長井坂や八郎峠など、魅力的なコースがあります。
ただ、アクセスが悪いので、ガイドや和歌山地域通訳案内士会が車両でお送りする形にてご対応させていただきます。

詳しいお問い合わせは、和歌山地域通訳案内士会まで。

アクセスについては、こちらもご参照ください。
熊野古道 大阪からのアクセス

 

熊野古道 大阪からのアクセス

熊野古道といっても、どのコースを歩くかによってアクセスも違ってきます。

今回は、コース別のアクセスについてご紹介します。

オススメコースを北から順に行ってみましょう。

藤白坂(海南駅~加茂郷駅)

藤白坂は、「熊野の入口」とされていた海南市に位置する熊野古道です。
国の史跡に指定されている藤白神社(藤白王子)や、鈴木家が日本に広まったきっかけになった鈴木屋敷などがあり、紀伊路では珍しく古道らしさを残した美しいコースです。

新大阪から特急くろしおに乗車し、海南駅で降車してください。
または快速に乗車して和歌山駅で乗り換え、海南駅で降車。

終点ですが、健脚の方は紀伊宮原駅まで歩くことが可能です。

健脚度にもよりますが、紀伊宮原駅までは7時間くらい見ておいたほうがいいでしょう。

橘本土橋(きつもとどばし)からは、加茂郷駅まで歩くか、タクシーを呼んで加茂郷駅まで行くかになります。
タクシーはこちら(有交タクシー)
073-471-3333
加茂郷駅に1台常駐していますので、タクシーがあれば10分程度、出払っていてタクシーがない場合は海南駅から配車をしてくれます(20分程度で来ます)

加茂郷駅まで歩けば約1時間、タクシーを呼べば約10分で1500円くらいです。

加茂郷駅は普通電車しか止まりませんので、海南駅で特急に乗り換えか、和歌山駅で紀州路快速に乗り換える必要があります。
普通電車は1時間に2本は運行されています。
加茂郷時刻表

紀伊宮原駅~湯浅

醤油発祥のまち、湯浅へ至るコース。
途中には糸我峠があり、そこからは眺めのいい景色を見ることができます。
また、古道からは外れますが、雲雀山を通って糸我峠に至るルートも、健脚の方にはオススメです。
湯浅に着いたら、重伝建地区の湯浅のまち歩きを楽しむのもいいですね。

紀伊宮原駅までは、和歌山駅から約35分です。

湯浅駅では特急が止まります。

滝尻~高原(たかはら)

ここからは中辺路ルートです。

紀伊路はJRの駅から駅に歩けるので、さほど難易度は高くないですが、中辺路はバスの利用も入ってくるため、少々複雑になります。

このルートは、紀伊田辺駅で降車したあと、発心門王子行き、または道の駅奥熊野本宮行き、あるいは新宮行きのバスに乗車し、「滝尻」で降りればすぐ滝尻王子ですので、さほど注意すべき点はありません。
紀伊田辺駅から滝尻方面バス時刻表

ただし、高原で終了した場合、高原にはバス停がありませんので、お帰りになる場合は30分かけて栗栖川バス停まで歩いて下りなければなりません。
栗栖川~紀伊田辺駅バス時刻表

高原で宿を取って、翌日続きを歩くのが一番便利ですが、もし当日に高原から歩きたいのであれば、栗栖川でバスを降りて高原まで歩いて上るか、紀伊田辺駅からタクシーを利用するしかありません。

近露~本宮大社

この辺りになると、大阪から公共交通機関を使っての日帰りは難しくなります。

外国のお客様は、だいたい近露で宿を取り、翌日はバスに乗って道湯川橋まで移動し、そこから古道に入って本宮に至るコースを取ることがほとんどです。

近露から本宮大社まで、一気に歩くのであれば、25km、8~10時間を見ておかないといけませんので、ご自身の体力や日没時間と相談して、無理のない計画を立てましょう。

近露で宿を取って道湯川橋から歩く場合、朝7:23のバスに乗車する必要があります。

道湯川橋までは約10分です。

あるいは、9:07のバスに乗車し、小広峠で降車、道湯川橋まで歩いて古道に入るという方法もあります。
小広峠からは国道311号線を5分ほど歩きますので、車には十分気をつけてください。

道湯川橋から本宮大社までは約17kmあります。
途中には2つの峠越えがありますので、体力に自信のない方は、朝早くに出発することをお勧めします。

発心門王子で終了する方法もありますが、バスがあまり来ないので時間を合わせるのが難しいです。
発心門王子~紀伊田辺駅バス時刻表
タクシーも呼べなくはないですが、本宮には1台しか常駐しておらず、その1台が出払っていれば新宮からの配車になりますので1時間程度かかります。

赤木越

赤木越は、本宮を周回するコースの一部で、大日越と発心門王子~本宮大社につながっています。

湯の峰温泉、または発心門王子のいずれかからでも出発はできますが、赤木越だけを歩くのであれば、発心門王子から出発し、湯の峰温泉で終了することになります。

湯の峰温泉に宿泊されているのであれば、8:00または8:56発、発心門王子行きがありますので、それに乗車します。
車で来られている方でも、湯の峰温泉駐車場(無料)に駐車しておけますので、そこから同じバスに乗ることができます。
奈良交通(バスナンバー302)の11時台のバスに乗車し、一旦本宮大社前で乗り換えて午後から歩くことも可能です(平日と土日祝・年末では時刻が違いますのでご注意ください)
赤木越バス時刻表

大日越

大日越は、本宮と湯の峰温泉を結ぶルートで、距離は約2km。

本宮から出発しても、湯の峰温泉から出発しても、どちらでも構いません。

もし、午後に本宮に到着され、翌日すぐに別のコースに行く場合や、すぐにお帰りになる予定の場合は、この日に大日越の古道歩きに、本宮のお参りを前後に入れることもできます。

バスは本宮大社前、湯の峰温泉のいずれからも出ていますので、ご自身のスケジュールに合わせてどちらからスタートをするのか決めるといいかと思います。
大日越バス時刻表

小雲取越・大雲取越

この2つのルートは、2日かけて歩くのが通例です。

外国の方は小雲取越→大雲取越の順、日本人は大雲取越→小雲取越の順に歩くことが多いです。

小雲取越→大雲取越の場合は、請川、または下地橋(しもじばし)でバスを降りれば、小雲取越の入口付近です。
小雲取越バス時刻表

宿泊は小口(こぐち)エリアになりますが、宿が限られているため、小口に泊まれない場合は新宮市高田に宿泊する場合もあります。
高田グリーンランド

大雲取越→小雲取越の場合は、那智勝浦からのスタートになります。

紀伊勝浦駅からバスまたはタクシーに乗車をして、那智大社から歩き始めます。
バスの場合は那智大社の参道を歩いて行かなければなりません(約15分)
タクシーの場合は、青岸渡寺の防災道路を通行できますので、大雲取越の入口付近まで送ってもらえます。
大雲取越バス時刻表

那智大社付近では美滝山荘で宿泊すれば、参道を歩くことにはなりますが、紀伊勝浦駅からの移動の手間は省けます。

紀伊勝浦駅から那智山バス停までは約30分かかります。

大雲取越は中辺路最大の難所ですので、時間には余裕をもって計画を立ててください。

大雲取越単独で歩く場合

あまりこういったケースはないかもしれませんが、大雲取越だけを歩く場合のアクセスもご紹介いたします。

本宮方面からであれば、本宮大社前からバスは出ていますが、湯の峰温泉や川湯温泉は通りませんのでこの便はあまり使えません。
湯の峰温泉や川湯温泉からであれば、6:35本宮大社前発の便であれば乗車可能です。
ただし、神丸(かんまる)で乗り換えに約40分待たなくてはなりませんので、かなり不便です。
現実的にはタクシーを予約しておりて直接小口を目指す形になります。

新宮方面からであれば、新宮駅発7:10の便に乗車すれば、小口に8:06着です。
時刻表

熊野古道は何県にある?

北郡越(ほくそぎごえ)

熊野古道について、素朴な疑問にお答えいたします。

今回は、熊野古道は何県にあるのか?という疑問です。

よく見かける記事では、まず「そもそも論」から入って結論は後・・・というものが多いですが、私は結論からいきます(笑)

熊野古道は和歌山県、大阪府、奈良県、三重県の4県にまたがっています。

大阪の窪津を起点とし、山中渓を経て和歌山県に入ります。

和歌山県では、田辺市でさらに中辺路と大辺路に分かれ、中辺路は紀伊半島を横切る形で、大辺路は紀伊半島の海岸線を通ります。

中辺路を通ればまず本宮大社に、大辺路を通れば那智大社に到着します。

一方、真言密教の聖地・高野山に端を発し、奈良県を通って熊野本宮大社に至るルート、小辺路があります。

出発と終点は和歌山県ですが、小辺路の大部分は実は奈良県を通っています。

小辺路は1000m級の峠越えを3回しなければならない、熊野古道の中では厳しいルートです。

次に、伊勢の神宮から三重県の主に海岸線を通る伊勢路があります。

伊勢路は三重県熊野市有馬で、本宮大社に向かうルートと、速玉大社に向かうルートに分かれます。

本宮大社に向かう道を「本宮道」と呼びますが、これまでの海を眺めながらの景色とは一変し、山中を歩くようになります。

そしてもう一つ、奈良の吉野から、熊野本宮大社に至る道、大峰奥駈道があります。

この道は修験者の修行の道であり、そもそも熊野古道を拓いたのはこの修験者であったとされています。

この大峰奥駈道が最も厳しいルートです(私はまだ歩いたことがありませんが・・・何か気が乗らないんですよね)

奈良の吉野は桜で有名ですが、これは修験道の開祖・役行者が最初に蔵王権現を感得した時に桜でそれを彫ったということにちなんで、桜が修験道のご神木となったためです。

以後、信者が桜を次々に植え、現在のような桜の名所になったそうです。

ちなみに、本宮大社の旧社地・大斎原(おおゆのはら)から、山中に大峰奥駈道を見ることができますが、一番分かりやすいのは桜の開花時季です。

ここにもたくさんの桜が植えられています。

このころになると、山がピンクに染まるので一目でわかります。

そもそも、「熊野古道」という呼称も昭和になってからのもので、以前は「熊野道」とか「熊野街道」などと呼ばれていました。

大辺路などでよく見かける道標地蔵には「右 くまのみち 左 やまみち」などと刻まれています。

考えてみれば、当時の人にとっては「古道」ではなく「現役の道」なわけで、「古道」という発想は生まれなくて当然と言われれば納得します。

また、大阪では「熊野古道」よりも「小栗街道」と言ったほうがピンと来る方が多いようです。

小栗とは小栗判官のことで、照手姫と結婚をしたまではよかったのですが、それを照手姫の父に無断でしたことにより父の怒りを買い、毒殺されてしまった人物のことです。

しかし、小栗判官は閻魔大王によって餓鬼阿弥となりこの世に生き返らされ、本宮の湯の峰温泉で見事に復活し、照手姫とも再開し、めでたし、めでたしというお話(かいつまみすぎ)によるものです。

その小栗判官が引き車に引かれて通った道が熊野古道とリンクしている部分があり、それを「小栗街道」と呼んでいます。

小栗判官と照手姫の物語や、小栗街道については、またの機会に詳しくお話をしようと思います。

ということで、熊野古道は和歌山県、大阪府、奈良県、三重県にありますというお話でした。

雲雀山~糸我峠~湯浅・広村

最近は紀伊路にハマっていて、どこか歩くとなれば紀伊路を歩いています。

今回は、紀伊宮原駅~湯浅駅までを歩いてきました。

旅行業を立ち上げるために、HP用の写真を色々と準備しています。
今回の目的も、それがメインでした。

これまで、糸我峠は4回歩いたことがあるのですが、全部曇りか雨で、晴れた日の写真がなかったのでどうしても晴れた日の糸我峠の写真を撮りたくてこの日を選びました。

9月とはいえ、この日は湿気が多く相当暑かったです。

日本最古と言われる糸我稲荷神社を過ぎると、ほどなく雲雀山の入口があります。

看板を見ると、どうやら糸我峠につながっているようです。
以前から気になっていたこともあったので、今回は行ってみることにしました。

最初は梅とみかんの畑の中を通りますが、その後は非常にいい道で景色も良く、気持ちよく歩くことができました。

ただ、急坂の部分があるので、やや健脚向きかもしれません。

道中もいい眺めのところがあるのですが、特に山頂からの眺望がすばらしかったです。

山頂からはほどなくコンクリートの道(農道)になりますが、尾根伝いにあるく感じなのでアップダウンもあまりなく、また、木陰の中を歩くので非常に快適でした。

糸我峠で、湯浅町観光協会の方が紀伊路のPR動画の撮影をしていました。

湯浅ではかどや食堂で生しらす丼を食べ、広川町の濱口梧陵記念館と、梧陵さんがつくった広村堤防に行ってきました。

濱口梧陵さんといえば、稲村の火が有名ですが、梧陵さんの功績はむしろその後に取り組んだ復興の方を評価されています。

村人が広村を離れないように、私財を投げうって堤防を築く工事を開始し、村人を雇って賃金を払い、橋を架け、寄付金を工面・・・

村が復興したのを見届けてからは、より多くの見聞を広めるためにアメリカに渡り、その生涯を閉じます。

梧陵さんの生き様は、心を打たれるものがあります。

私の憧れの人です。

過去の紀伊路の記事は、こちらをご参照ください。
【紀伊路】紀伊宮原駅~湯浅駅①

Kumano Kodo (1), a day trip from Osaka 

Many people may say, “I don’t want to walk too strenuously, but I want to enjoy the atmosphere of the Kumano Kodo”.

Some people may think that Kumano, in particular, is “quite difficult even to reach” due to accessibility issues.

In this issue, I would like to introduce “recommended Kumano Kodo” that can be reached in a day trip from Osaka.

Fujishirozaka

This time, let me introduce you to Fujishirozaka on the Kumano Kodo Route.

Fujishirozaka is located on the Kiiji route and can be reached by train from Osaka in about an hour.

Although the Kiiji route has not yet been registered as a World Heritage site, there are already several places that have been registered as national historic sites.
Considering the order in which they are registered as World Heritage sites, additional sites may be added to the list in the future.

On this route, the Fujishiro Shrine and the Suzuki residence are such sites.

The first half of the route has many interesting sights such as the remains of the Suzuki residence, the Fujishiro Shrine, the tomb of Crown Prince Arima, and the bamboo grove on Fujishirozaka, while the second half of the route changes dramatically and takes you through tangerine fields.

The Garden of Suzuki residence
Fujishirozaka
Tangerine fields

If you make it all the way up Fujishiro-zaka, a “reward” will be waiting for you.

Although slightly off the course, Fukusho-ji Temple is also recommended.
Fukusho-ji Temple is a Shingon Buddhist temple, which is rare in this area, and is said to be the place where Kukai crossed the Fujishirozaka slope and practiced asceticism just before going to Tang China.

In addition, under the devotion of Yorinobu Tokugawa, the first lord of the Kishu domain, Gumonjido was built.

Gumonjido is a hall where the Shingon esoteric Buddhism practice called Kokuzo Gumonji Dharma is performed.
Both the main hall and the Gumonjido are nationally important cultural properties.

On the premises of the temple is the “Urami no Taki Waterfall,” which is said to have been named by Lord Yorinobu.
As the name suggests, the waterfall can be seen from the back (however, there are times when there is no water. Whether you can see the waterfall or not depends on your luck!).

As you will see when you go there, it is a place with a unique and relaxing atmosphere.

Fujishirozaka may be a little tough, but it is packed with sights, scenery, and more than enough to give you a taste of the atmosphere of the Kumano Kodo.

Please come and visit once.

Access

Departure: Kainan Station

End: Fukusho-ji Temple (or Kutsumoto-dobashi)

Distance: approx. 5 km

Approximate time required: 3-4 hours

From Fukusho-ji Temple, take a taxi to Kainan Station or Kamogo Station.
For taxies, call Ariko Wakayama 073-471-3333.
Taxis are available without reservations on the day of the ride.
If there is a vehicle waiting at Kamogo Station, it will take about 10 minutes. If the vehicle is out of service, it will pick you up from Kainan Station in 20 minutes.
It is possible to walk to Kamogo Station, but it takes about 1 hour.

Guide Requests

It is a waste to just walk!
Walking with a guide will make your walk even more enjoyable.

Please contact the Wakayama Local Guide Association for a guide for an English-speaking guide.

大阪から日帰りの熊野古道① 

「あまりガッツリは歩きたくないけど、熊野古道の雰囲気を楽しみたい」という方は多いのではないでしょうか?

特に熊野はアクセスの問題で「到達するまでも結構大変」と思われている方もいらっしゃると思います。

今回は「大阪から日帰りで行けるオススメの熊野古道」をご紹介いたします。

藤白坂

今回は熊野古道藤白坂です。

藤白坂は紀伊路ルートにあり、大阪からでも電車で1時間ほどで来ることができます。

紀伊路はまだ世界遺産に登録されてはいませんが、すでに何ヵ所か国の史跡に登録されているところがあります。
世界遺産登録への順序を考えると、将来追加登録がされるかもしれません。

このルート上では藤白神社・鈴木屋敷がそれにあたります。

前半は鈴木屋敷跡、藤白神社、有間皇子の墓、藤白坂の竹林など見どころが多く、後半は様相が一変し、ミカンの畑の中を歩きます。

鈴木屋敷
藤白坂

藤白坂を上り切れば「ご褒美」が待っていますよ。

少しコースからは外れますが、福勝寺もお勧めです。
福勝寺はこの辺りでは珍しい真言宗のお寺で、空海が唐に渡る直前藤白坂を越えてきて修行をされた場所と伝えられています。

また、初代紀州藩主・徳川頼信公の帰依により、求聞持堂(ぐもんじどう)を建立します。

本堂・求聞持堂ともの国の重要文化財です。

境内には頼信公が命名したとされる「裏見の滝」があります。
読んで字のごとく、裏から滝を見ることができます(ただし、水がない時もあります)

行ってもらえればわかりますが、独特の雰囲気があり落ち着く場所です。

藤白坂は少しキツいかもしれませんが、見どころ満載で景色もよく、熊野古道の雰囲気を味わうには十分すぎるものがたくさん詰まっています。

ぜひ一度お越しください。

アクセス

出発:海南駅

終了:福勝寺(または橘本土橋・きつもとどばし)

距離:約5km

所要時間の目安:約3~4時間

福勝寺からはタクシーで海南駅、または加茂郷駅(かもごうえき)まで。
タクシーは有交和歌山 073-471-3333
当日予約なしでも利用可能です。
加茂郷駅に待機している車両があれば約10分、もし出払っている場合は海南駅から20分で迎えに来てくれます。
加茂郷駅まで歩くことも可能ですが、約1時間かかります。

コースマップはこちら
海南駅~紀伊宮原駅
※地図上にある紀伊宮原駅まで一気に歩けなくはないですが、健脚向けです。

こちらをご参考にされてください。
紀伊路・藤白坂~拝の峠

 ガイドのご用命

ただ歩くだけではもったいない!
ガイドと歩けば、さらに楽しいウォーキングになりますよ。

ガイドのご用命は紀伊路語り部の会様、外国語のご用命は和歌山地域通訳案内士会まで。

紀伊路語り部の会
和歌山地域通訳案内士会 

【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑧

【紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅①
【熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅②
【熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅③
熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅④
【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑤
【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑥

【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑦

岩内王子

岩内王子跡は、岩内コミュニティ館の敷地内にひっそりと佇んでいます。

正面 無格社 焼芝王子神社旧跡

裏面 明治四十一年十月二十二日
   村社熊野神社ニ合祀ス

焼芝王子(岩内王子)は、もともと日高川を渡った近く(字 王子周辺)に鎮座していたと考えられています。岩内の地は、日高川を挟んで西の小松原宿とともに重要な位置を占めていました。
王子は元和元年(1615年)の大洪水で滅没し、字 田端(現在地より南方)に移動、明治時代に熊野神社に合祀されました。

舞妃蓮

天皇・皇后両陛下ゆかりの蓮

アメリカ黃花蓮明仁殿下(当時)1960(昭和35)年、ご成婚間もない継宮明仁殿下がご訪米された際、日系アメリカ人の小川一郎氏がミシシッピー川中流域で採集されたアメリカ黃花蓮の果実を殿下に献上した。
殿下は帰国後、その果実を蓮の第一人者である大賀一郎氏に託したのである。
翌年、博士は、その発芽育成に取りかかり、1962(昭和37)年にできた蓮根を教え子の阪本祐二氏に(1925-1979 当時日高高等学校教諭)に分根。
黃花蓮は殿下に因み、大賀博士により「王子蓮」と名付けられた。

「舞妃蓮」の誕生

阪本氏は思い描いていた色調豊かな蓮を作り出すべく、1966(昭和41)年、王子蓮と大賀蓮の交雑を試みた。
試行錯誤の末、交雑は成功し、1968(昭和43)年6月21日三つの鉢のうち、第1の鉢で最初の花が開いたのである。
阪本氏はその様子を「黄色地にほのかに大賀蓮の紅がかかり、色調は穏やかな今までにない色をなして咲いた。しかも両親より花径は大きく、35cmにもなる大輪種で豊かなものであった」と雑誌「京都園芸」に記している。

この年、阪本氏は、王子蓮との所縁から東宮御所に献上すべく、第3鉢を運送業者に依頼し東宮御所まで運んだ。
果たして蓮は6月28日に東宮御所で開花し、両殿下と礼宮様にご覧いただいたのである。また、2輪目の開花時には昭和天皇・香淳皇后にもご覧頂いている。

色合いの特徴のほか、これまでの蓮になかった2日目の花が閉じる際の捻れの様子から「舞うがごとき」特徴を目につけた阪本氏は、美智子妃殿下(当時)の優美なお姿を重ねて「舞妃蓮」と名付けた。

「舞妃蓮」が皇居に1996(平成8)年、明仁天皇陛下「舞妃蓮を皇居に導入したい」との依頼が阪本家にあり、翌年春に分根。
1999(平成11)年には皇居花陰亭で開花したとの報告が阪本家に届いている。

その後皇居で大切に育てられ、2010(平成22)年に出版された「御所のお庭」(扶桑社)には「皇后陛下に捧げられた女神の花」として掲載された。

御坊生まれの舞妃蓮「中山の蓮池」

御坊生まれの蓮ながらこれまで定植されなかったことから2008(平成20)年、阪本家からここ「中山の蓮池」に移植され、「御坊生まれの舞妃蓮」として新たに出発したのである。

舞妃蓮誕生までの経緯が詳しく書かれています。
大賀蓮は、上記文中でも登場する蓮の権威・大賀一郎氏によって発見された蓮で「2000年蓮」とも呼ばれています。
現在は日本各地に分根され、紀南地方では上富田町岡の田中神社、白浜町富田、熊野古道沿いの発心門地域などで見ることができます。
大賀蓮発見の経緯についはこちらをご覧ください。
大賀ハス

西御坊駅

日本一短いローカル私鉄・紀州鉄道の最終駅。ここから御坊駅までは2.7km。
駅も西御坊→市役所前→紀伊御坊→学門→御坊でおしまい。
しかし、独特の揺れがなんとも心地良いです。

堀河屋野村

建物がすでにいい味を醸し出しています

紀州鉄道西御坊駅の近くには、醤油の老舗・堀河屋野村があります。
私達が訪れた時は閉店していましたので中を見ることはできませんでしたが、本物の醤油を昔ながらの伝統を守りながらつくっています。

以前、外国のお客様が醤油を作っているところを見たいと言われ、こちらを紹介したところ大変気に入ってくれたとのことでした(私がガイドに行ったわけではありませんので)

一度足を伸ばしてみても面白いと思います。

堀河屋野村

【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑥

過去の記事はこちら
【紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅①
【熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅②
【熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅③
熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅④
熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑤

湯川子安神社

所在地 御坊市湯川町小松原89番地

祭神 木花咲耶姫命由緒安産の神、子授けの神、母性保護の神、育児の神

沿革 
湯川氏が当地を支配していたとき、邸の一隅に明神社を祀っていたが、天正年間に静岡県大宮に鎮座の元官幣大社浅間神社より、その分霊を亀山城内の明神社と共に勧請し城主湯川直春公が息女の安産をご祈願され、無事ご安産なされました。

その後天正13年(1585年)豊臣の兵火にかかり全焼した後、現在の地に再興して子安神社と創建せされ多数の参拝の方々がご加護を賜って居ります。

明治になって再び火災で全焼し、明治15年(1883年)再興がし、昭和10年(1935年)9月本殿を修復し拝殿を新築した。

お参りの皆様方は、祭神木花咲耶姫命様に、お産が軽くありますように、また、立派な赤ちゃんが授かりますようにと、心をこめてお祈りください。

明治42年神社合祀令により13社合祀す

祭神の木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)様は、記紀神話に登場する神様のお一人で、瓊々杵命(ニニギノミコト)のお妃様です。
木花咲耶姫が一夜にして瓊々杵命の子を身ごもったことから、瓊々杵命は妻を疑います。
信じてもらいたかった木花咲耶姫は、「わたしの孕んだ子がもし天神の子でなかったら、必ず焼失せよ。もし天神の子なら、損なわれることはないでしょう」と言って産屋に火を放って3人の子を無事に産みました。

このお話から、安産の神、子授けの神と言われるようになったのでしょう。

木花咲耶姫姫様のお父様は大山祇命(おおやまずみのみこと)です。
大山祇命には、磐長姫命(いわながひめのみこと))と、妹の木花咲耶姫命がいました。
大山祇命は、娘二人を瓊々杵命の元に嫁に出すのですが、容姿端麗な木花咲耶姫にくらべて、磐長姫は醜く、瓊々杵命は木花咲耶姫だけを娶り、磐長姫を大山祇命の元へ帰してしまいました。

これを知った大山祇命は大変恥じ、「磐長姫をお送りしたのは、天津神の命が常に石のように変わらず動きませんように、木花咲耶姫をお送りしたのは、木の花が咲くように栄えますようにとの願いをかけたからです。木花咲耶姫一人が残ったのであれば、天津神の命はもろくはかないものになるでしょう」といいました。

これ依頼、天皇の命が限りあるのものとなり、寿命が短くなったといいます。

さて、木花咲耶姫が産んだ3人の子は、古事記・日本書紀はもちろん、日本書紀の中でも大きく呼び名や当てられた漢字が違います。
その理由はよく分かりませんが、日本書紀一書(第二)から引用します。

火を着けて焼いて初めて炎を出た時に生まれたのが火酢芹命(ホスセリノミコト)、次に炎お盛んな時に生まれたのが火明命(ホアカリノミコト)、次に生まれた子が彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)でした。

この3番目に生まれた彦火火出見命の子孫が鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)で、そのご子息が神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコノミコト)またの名を神武天皇と言います。

和歌山県内で木花咲耶姫様をお祀りしている神社は?

和歌山県内で、木花咲耶姫様を主祭神として祀られているお社は結構少ないです。

串本町田原の木葉神社が有名ですが、あとは那智勝浦町内の椙吉神社、そしてこの湯川神社くらいでしょうか。

配祭神も含めて祀られているお社はこちらをご参考にされてください。
木花咲耶姫様が祀られている神社(和歌山県内)

上記は、和歌山県神社庁に登録されているお社なので、地元の小さいお社などを含めるともっと多いかもしれません。
「子安神社」と呼ばれているお社は、まず、木花咲耶姫をお祀りしていると思ってもいいと思います。
ちなみに、あまり知られていないかもしれませんが、伊勢の内宮の境内にも「子安神社」がありますよ。こちらは、お父様の大山祇命が祀られているお社もあります。
大山祇神社・子安神社

山の神の話

浅間神社は有名なのでご存知の方も多いでしょうが、もちろんこちらの御祭神は、木花咲耶姫様です。
木花咲耶姫は富士山の神とも言われています。
また、よく熊野古道でも話題に挙がる「山の神」の話ですが、この神様も木花咲耶姫様だそうです。

山仕事に行く人達は、入り口にある小さな祠にやお社にお参りしてから入るところもあるようです。

「山の神は女性の神様なので、女性が祭りや祭りの準備に参加してはならない」
「お供え物は美しい女性を連想させる鯛などではなく、見た目の醜いオコゼを供える」
「祭りやその準備などはすべては男が執り行った」

という話を聞いたことがあると思います。
しかし、これは後付けの作り話でしょうね。

これは私見ですが、祭りを汚さないことと、女性を大切にしていたからではないかと思っています。

男女の性の乱れは今に始まったことではありません。

あの空海も、高野山を女人禁制にしたのは、女性がいると湧き上がる性欲に負けて修行の妨げになるからだったと聞いたことがあります。

上皇・法皇も、熊野に参る前には約1週間の精進潔斎をしますが、この期間中は性交も断ちます。

祭りは神事であり、神聖なものですので、そこに女性が入ると良からぬことを考えて場(あるいは気)が汚れると考えた末に生まれたものではないかと思います。

赤ちゃんを産み、育てることができるのは女性だけです。
山仕事は肉体的な危険が伴いますので、そういったところへ入って万一事故でも起これば子孫を産む人が減るわけで、村の存続にも関わってくることだったと思います。
なので、女性を大切に思い、危険な山に入れないように戒めたのが女人禁制だったのかもしれません。

昔から、日本は女性にも、子供にも平等に大切にされてきました。
和泉式部や紫式部、清少納言が文学作品を書いたのは今から1000年前です。
こんな時代に、女性が文学作品を書いた例などというのは、海外ではありません。
また、ある外国人が来た時には、「子供も非常に大切に扱われている」と驚き、日記か何かに書いています。
子供の人身売買が日常だった外国に比べれば、日本の女性は子供は、格段に平等に扱われていたのです。
もちろん、日本にも人身売買がまったくなかったわけではないようですが。

ここからは信じる人だけでかまいません。
そんな木花咲耶姫様ですが、あるお方を通してメッセージを降ろされています。
こちらにその「神示」を掲載しています。
世の中のことを的確に指摘され、これから人はどう生きていくべきなのかということを伝えています。
興味のある方でかまいませんよ。
木花咲耶姫様の御神示 -令和編-

【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑦に続きます。

【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑤

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【紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅①
【熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅②
【熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅③
熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅④

道成寺までの道中、コース沿いに川が流れていますが、この川にはカメがたくさん泳いでいました。おそらくほとんどすべてがミシシッピアカミミガメです。
ミシシッピアカミミガメは昔の夜店などで「ミドリガメ」として売られていました。
このカメが大きくなると、飼いきれなくなった人が放したことがきっかけで爆発的に増えてしまいました。
今は日本全国に分布が広がっています。
これによって在来種のイシガメの生息域が追いやられ、その数が激減しています。

カメの外来種ではクサガメがいます。
以前は日本でも自然に分布していると考えられていましたが、どうやら人為的に離された可能性が高いということのようです。
「クサガメ」という名前の由来は、本当に臭いからです(笑)

外来種の放流は在来種を駆逐してしまうことがよくあります。

この川も「異常事態」でした。

ちなみに、外国から持ち込まれた種を「外来種」と言いますが、その土地に元来いない種が国内から持ち込まれた例もあります。

これを「国内由来の外来種」、略して「国内外来種」と呼んだりします。
たとえば、北海道にはもともとカブトムシはいませんでしたが、誰かが離したことによって繁殖しています。

外来種が入ることによって懸念されるのは、在来種の駆逐(捕食)、ハイブリッド(混血)、競合などです。

熊野古道沿いでよく見る棕櫚(しゅろ)の木も、在来種と外来種がありその交雑種があるといいます(なかなか見分けが難しいですが)

子供の頃にはセイタカアワダチソウが最盛期を迎え、周りのススキを駆逐し始めました。
これは先出の「競合」にあたります。
しかし、最近はセイタカアワダチソウの勢いが衰え、在来種のススキが勢いを盛り返しています。

外来種については、またの機会に。

海士王子

熊野九十九王子の一つでくわま・クハマ・クリマなどと呼ばれ小松原宿所を控えた要所で御幸記建仁元年以後由緒ある王子社であった。

「九海士の里」のいわれ

神功皇后、三韓征伐の凱旋のときに日高の港で産気を催され、めでたく安産されたのが十五代応神天皇です。

その時、産湯に使われたのが「産湯」、胞衣(えな)を埋めたところが「衣奈(えな)」といって今も地名に残っています。

産後の肥立ちもよく、都へご帰還されるときに「地を開き、民を愛せよ」と九人の兵士を残し、この土地を与えられました。

九人の兵士は漁を業としたのでいつしか「九海士の里」というようになりました。

神功皇后が三韓征伐の時にどんなルートを通ったのかは私は分かりませんが、朝鮮に向かって目的を達成されたあと、凱旋で日本各地を回ったということなんでしょうかね。

産湯は日高町、衣奈は由良町にあります。

【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑥に続きます。