英語化は愚民化(お勧め書籍)

今日は、施 光恒(せ てるひさ)氏の著書、英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書)をご紹介しようと思います。

この本が出版されたのが2015年、「クール・ジャパンムーブメント」で「英語特区」構想が打ち出された直後でしたが、私はようやく今年この本の存在に気づき、読んでみました。

非常に納得する部分が多く、現代の英語化に警鐘を鳴らす重要な意見であり、「私達に今できることは何か?」ということを考えさせられた一冊です。

著者の施氏は「グローバル化」について、真っ向から異論を唱えていますが、ハッキリ言って、私も賛成です。

「それが英語に携わっている人間の言うことか」という声が聞こえて来そうですが、英語を扱う人間だからこそ、様々な外国の方々と触れる機会を与えられ、改めて日本語の素晴らしさを知ることができ、「日本語を守ろう」とも思うようになったからです。

ではさっそく行きましょう。

普遍から土着へ(中世ヨーロッパ)

ちょっと耳慣れない言葉ですが、この本では中世ヨーロッパと明治時代の日本を例に挙げ、どのように発展して成功して来たかを説明しています。

中世ヨーロッパでは、公式文書、大学の講義、聖書に至るまですべて当時のヨーロッパの共通言語であるラテン語で行われており、ラテン語が出来る人が「エリート」とされていたため、その他多くの土着語しか話せない各国の民衆は、こういった世界からは隔離されていたそうです。

聖書について学ぶことは出来たましたが、カトリック教会の「翻訳」を通してでしか学べませんでした(聖書は元々ヘブライ語やギリシャ語で書かれていたが、ラテン語の聖書を使うことが正しいとされていた)

「免罪符」の登場など、いかにラテン語が理解できない民衆でも「これはおかしいのではないか」という機運が高まり、世界史で習った宗教改革が行われます。
その宗教改革の中に「聖書の翻訳」があったそうです。

ルターはドイツ語に、ティンダルは英語に、オリヴァエタンはフランス語にと、それぞれの言語に翻訳されていきます。
民衆は大喜びですが、気に入らないのは、今まで好き勝手?やってきた教会です。
ルターは教会から破門され、ティンダルに至っては処刑(!)されています。

・・・翻訳で処刑ですよ。

しかし、彼らの献身的な(本当に骨の折れる)翻訳をした彼らのおかげで、聖書についての正しい解釈ができるようになり、民衆も聖書について、母語で議論ができるようになりました。

土着語には、悲しいかな抽象的で知的な語彙がなく、民衆にも分かるように翻訳するということがいかに大変だっか、想像に難くありません。
ルターやティンダルは、新しい語彙を作ったり、文法を整備したり、苦悩を重ねたといいます。

聖書の翻訳は、民衆が抱いていたコンプレックスをなくし、母語に対する自信を生む結果になりました。

土着から普遍へ(明治時代)

明治時代にも、似たような事が起こります。
恐らく聞いたことがある方もいると思いますが、西洋の進んだ知を学ぶに当たっては、当時の日本ではまだ日本語で表せる語彙がなく、高等教育は英語で行われていました。

当時はそういった環境だったので、すぐれた英語能力をもった学習者がたくさんおり、英語話者が絶賛するほどの人もいたそうです。

しかし、高等な学問を英語でしか学べない環境ではなく、万人が母語で学べる環境を整えようと、先人たちはあらゆる分野において翻訳を始めたおかげで、私達はいま、ほとんどすべての学問を母語で習得できるようになっています。

社会、銀行、経済・・・今では当たり前に使っている言葉が生み出され、中国などに「逆輸入」されることとなります。

現代の日本人が英語を話せないのは、英語を学ばなくても学問ができる環境にあるからだと言えます。

日本語廃止論

「西洋に負けない国にするには、日本語を廃止して英語を公用語にするべき」という考えもあったそうです。
日本語廃止論を唱えた森有礼は、イェール大学の教授、ウィリアム・D・ホイットニーからの「援護射撃」もらおうとしましたが、逆に「まずは母語を豊かにせよ」と諭され、失敗に終わります。

福沢諭吉も日本語廃止論について痛烈に批判しています。

また、馬場辰猪は「言語様式がまったく異なる英語を、日本人が学ぶことは骨が折れ、時間の浪費につながる。なすべきこと、学ぶべきことが多い若者の時間が、無駄に費やされることになる」と説いています。

「英語化」は社会の格差を生む

施氏は、現代の英語化、グローバル化、ボーダレス化は「普遍から土着」ではなく「土着から普遍」に逆行するものであり、
「政治や経済に積極的に参加できる人は能力や時間を有する特権的な人々に限られてしまう」
「英語が使えるか使えないかによって経済的な格差が生じ、格差社会化が進む」
「格差社会化の進展に伴って日本人という国民の一体感も失われていく」
と警鐘を鳴らしています。

また、英語化することによって日本語でものを考えるということがなくなり、日本人らしさも失われるとも説いています。

言語と経済は別

言語と経済は別であるということも、書かれています。
たとえばGDPの上位5カ国はアメリカ、中国、日本、ドイツ、フランスであり、どの国も自国の言語をしっかり守り、発展させてきた国であり、他方、英語を公用語の一つに加え、日本よりも英語が堪能な人が多いフィリピンやマレーシア、ケニアなどの経済力はそれほどではありません。

逆にインドでは、大学の教育を英語ではなく、インドの言葉で行うべきだという議論が高まりつつあるそうです。

英語支配の序列構造

津田幸男氏の「英語支配の序列構造」についても説明がされています。

1.特権表現階級

英語を母語とする国々。アメリカ、イギリス、オーストラリアなど。

2.中流表現階級

英語を第二公用語としている国々。フィリピン、マレーシア、ケニア、インド、プエルトリコなど、ほとんどの中等教育を英語で行っている国々で、日常においても英語が必要とされている人々。
これらの国々の専門的職業は英語となっているため、英語母語話者に近い。

3.労働者表現階級

英語を外国語として学んでいる国。日本、ドイツ、フランス、タイ、中国、韓国など。
「労働者階級」と名付けた理由について、「生涯英語を学ばなければならないから、つまり『英語学習』という労働を生涯強いられる」から。
「英語能力の低さに、常に「特権表現階級」と「中間表現階級」に抑圧される運命にある」と津田氏は述べている。
外交、ビジネス、学術などの各分野において、上位の階級のものに主導権を握られ、劣位に甘んじなければならない。

4.沈黙階級

英語と接触することがほとんどない国々。イスラム諸国や北朝鮮など。

施氏は、日本がいくら頑張ってもせいぜい「中間表現階級」の下部に仲間入りする程度と述べており、「結局、日本が進めているグローバル化とは、アメリカのような国になりたいと強く望んで、その実、フィリピンやインドのように発展途上国に堕ちてしまうことだ」という趣旨の、京都大学大学院教授の藤井聡氏と評論家の中野剛志氏の対談の内容について同意しています。

日本人に出来ること

英語話者と対等に議論して、勝てる見込みがない中、では、日本人として今後どうすることが最善なのか、ということについても、施氏は提案しています。

「日本語、日本文化の価値を世界に主張し広める努力をし、日本語の世界標準語化を狙ってはどうか」とまず述べています。

しかし、
「押し付けがましいことを嫌う日本人は、英語圏の国のようなことはできない。ならば、明治時代の先人たちが苦労して日本の近代化に貢献してきたように、今度はそのノウハウを、まだ整備されていない国々に支援をし、各国が、それぞれの母語で自国の発展ができるように手助けをする。それが国際貢献ではないか」と提案しています。

私はこれを読んで、まさにその通りだと納得してしまいました。

施氏は、最後に「英語が下手でも安心していられる国を作ろう」「日本人が目指すべきは、日本人の英語強化ではない。目指すべきは、非英語圏の人々が、安心して日本人と同じように英語が下手いられる世界の実現である」と締めくくっています。

他にもここではご紹介しきれない興味深いこともありましたが、施氏の言わんとすることをご理解いただければ幸いです。

ご興味のある方は、ぜひ一度読んでみてください。

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