【紀伊路】山中渓~伊太祈曽②

いよいよ出発です。
今回は地図の赤丸の中のお話です。

おそらく、よほどのことがない限りこのコースは歩かないだろうと思いますので、備忘録も兼ねて詳しく数回に分けて記事にしようと思います。

自宅を出発して、田辺辺りで地図を忘れたことに気づき、逆戻り(笑)
紀伊路に限らずどこでもそうですが、初めて歩くところは絶対に地図が必要です。

ましてや入り組んだ街の中を歩くような今回については、殊更必要です。

・・・地図を持っていっても迷いましたから(笑)

山中渓の駅に到着しましたが、地図では一旦逆方向に歩き、紀州街道をぐるっと一周回ってもう一度山中渓駅に戻り、そこからスタートという形で示していましたので、正直にその通りに歩いてみました。

山中渓駅

さすがは往時に宿場町として栄えただけのことはあり、旅籠跡などの説明看板が充実していて、これを全部読みながら歩くとかなりの時間を消費していまいますので、写真だけ撮って後から確認することにしました。

山中渓の駅を出て左に出て、本来ならば桜並木の方から歩くかと思いますが、「紀州街道」という道標が目に入ったおかげて、それに吸い込まれるように入り「逆走」しました。

ゴミ箱が・・・

道祖神(賽之神)

説明板より。

この板状の石を屋根にした小社は、賽之神(さえのかみ)をかねた道祖神である。

山中の南の入口に鎮座され、南からの邪神、疫病の入りくるのをさえぎり、また「蟻の熊野詣の時代から数多くの旅人の道中の安全を守ってこられた。

江戸時代紀州藩では、毎年十二月二十日に犯罪者や病人を、境橋(当地区の南、和歌山県との県境)より和泉の国に追放した。

当地では、「はての二十日のろばらい」といって戸を締め切り悪疫の退散を願った。

当時山中では被害が少なかったのは、賽の神のおかげであったといわれている。

そういえば、和歌山県と奈良県の県境にある果無山脈(はてなしさんみゃく)の「果無」の由来も、はての日(12月20日)に「ひとつだたら」という妖怪が出るので、「はての日にはひとつだたらを避けるために、人がいなくなる」から来たというものがあります。

昔、「はての日」とは特別な意味合いがあったのかもしれません。

山中宿本陣跡

写真はありませんが、この一角に本陣跡があります。

1619年、紀州藩主・徳川頼宣公が紀州藩主となり、参勤交代の折に休憩や昼食に利用されたそうです。
頼宣公が来られるような時は、3000人が炊飯、補給、清掃等の仕事にあたったそうです。

旅籠「とうふや」跡

案内板より

紀州街道山中宿のこの付近には、当時二十余軒の旅籠が軒を連ねていたが、時代とともに次第にその姿を消し、最後まで残っていたこの地の「とうふや」も昭和の終わり頃、その姿を消した。

座敷は上中下の三段になり明り取りの天窓、内庭の七つの「へっつい」(かまど)、六枚に仕切られた腰高障子、また旅に必要な牛馬舎などは裏庭に残されていた。

この歴史の古い建物がなくなったのはいかにも残念である。
「とうふや」というのは豆腐とは関係なく旅籠の屋号である。

【紀伊路】山中渓~伊太祈曽③へ続く

【紀伊路】山中渓~伊太祈曽①

以前に布施屋から海南駅までは歩いたことがありましたが、山中渓から布施屋の間を歩いたことがなかったので行ってきました。

歩いてみた正直な感想は、「一度歩けばもういいかな?」でした。

初めてということもあり、新鮮味はありましたが、とにかく道が分かりにくい(笑)

道を間違えて進んでは戻るというのを幾度となく繰り返したので、終了予定時刻を大幅に上回って終了しました。

一応、和歌山県が発行する地図上ではこの区間の距離は23.5kmになっていますが、かなり余計に歩いています(笑)

道に埋め込んでいる導き石がとにかく分かりにくい。

中にはそれがないところもあり、たまに導いてくれませんでした(笑)

やはり歩いている目線で標識がある方が絶対に見落とす確率は下がります。
普通の道を歩く時に下ばかり見て歩かないですよね?

今日はそこそこ疲れましたので、詳しいことは明日にします。

おやすみなさい。

【紀伊路】山中渓~伊太祈曽②へ続く

【紀伊路】紀伊宮原駅~紀伊内原駅

午後から雨の予報でしたが歩いてきました。
前回は紀伊宮原駅まで歩いたので、今回はここから湯浅駅、鹿ヶ瀬峠を越えて紀伊内原駅までの23.9kmを歩きました。

朝8:30に紀伊宮原駅を出発。
この時点でまだ薄曇り。
しかし、出発から1時間20分、逆川王子あたりから雨が降り出しました。
しばらくすると止みましたが、午後の大峠からは本降りの雨に。
傘だけでは追いつかず、久しぶりに上下カッパを着て歩きました。

今日のコースは、紀伊路の最大の難所・鹿ヶ瀬峠があります。
約2km登りますが、舗装されている道なので、個人的にはそんなにしんどくはなかったです。
結局、東の馬留王子から大峠(鹿ヶ瀬峠の頂上)まで、約30分で登りました。
大峠からは未舗装の道を約1km下ります。
この1kmの中には、熊野古道最長と言われる石畳、503mが含まれています。

・・・熊野古道最長の石畳って、大門坂(約650m)じゃね?

ま、いっか。

はっきり言って、湯浅駅から鹿ヶ瀬峠までの舗装道と、鹿ヶ瀬峠を越えたあとの舗装道は単独で歩くと本当につまらないです。
ここはやはり、語り部さんと一緒に歩くほうが、楽しさは何倍にもなりますね。

コースのほとんどが舗装道なので、ここを歩く時は膝を傷めないように注意してください。

なにはともあれ、15:00に目的地の紀伊内原駅に到着。
本日の所要時間は、6時間30分でした。

紀伊路を歩く時は、慣れていないと、地図とよくにらめっこをしながら歩かなければなりません。
そうしないと道を間違えます。
これは大辺路にも言えることです。
今日は地図を見ながら歩いていると、入らなければならない道を通り過ぎていました(笑)
今日は何度もそういったことが起こりました。
以前歩いたことはありましたが、まったく記憶に残っていないところもありましたので、やはり何度も歩いてコースを熟知しておかなければならないと思いました。

ということで、次回は湯浅駅から御坊駅まで歩きます。

もう一度鹿ヶ瀬峠です。

変態の域です(笑)


紀伊路・藤白坂~拝の峠

以前、藤白坂から加茂郷駅を何度か歩きましたが、橘本王子で古道から外れ、加茂郷駅までの道のりが退屈だったので、いっそ紀伊宮原駅まで歩いてはどうかと思い、行ってきました。

結論から言うと「万人向けではない」と思いました。

距離が約14kmあり、峠越えが藤白坂と拝の峠の2箇所あります。
これまでお客様をお連れした経験から、この道を歩けばお客様がどのような反応をするか、だいたい想像ができます。
今日歩いてみて、気軽に歩けるようなコースではないと思いました。
おそらく、普段からトレッキングをしている人なら全然余裕なルートですが、おそらく、ガイドをつけるようなお客様であれば、途中で根を上げるかもしれませんね。

上りも急坂ですし、下りも急なところがあり、ほとんどが舗装されていますので足へのダメージも考えられます。

しかし、道中には五体王子の藤白王子(神社)をはじめ、塔下王子、橘本王子、所坂王子、一壺王子、蕪坂塔下王子、山口王子とあり、それぞれ見どころもある上に、景色のいいところが数箇所あり、また、晩秋から冬にかけてはミカンが鈴なりの中を歩きますので、健脚の方なら楽しんで歩けるかもしれません。

藤白坂の道中より
藤白坂
藤白坂を越えたところ
拝の峠手前からの景色
蕪坂塔下王子を過ぎたところ
すでに温州は終わっていましたが、はっさくが残っていました

ただ、何度も言うようにほとんどが舗装された道ですので、山道のトレッキング目的の方には向かないかもしれません。

あと、歩く人を困らせていた「謎解き」のような看板ですが、看板が追加されたので幾分わかりやすくなっていました。
もうね、これを見た瞬間思わず笑ってしまいました。
いったいどの道を進んでいいのか分からない(笑)
だって、本当の道はあと一本あり、それが看板に書かれてないのですから。

ミカンの原種とされる橘。
実が小さくて可愛いです。

藤白神社の「円座石(わろうだいし)」
大酒家が酒を断つためにこの石に酒を飲ませて祈願すれば酒嫌いになる言われており、今では深酒を心配して健康を祈る家族の姿が時折見られるそうです。
謂われも面白いですが、それ以上にやっぱり「だ」になるところが和歌山らしくて面白いですよね(笑)

今日は午後から雨が降り、気温が低く寒かったです。
5時間で歩き終えました。
紀北の電車は本数が多いので便利です。