前回まではこちらをご参照ください。
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽①
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽②
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽③
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽④
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑤
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑥
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑦
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑧
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑨
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑩

布施屋駅に入り損ねて再び戻り、少し休憩をしました。
以前歩いた時は改装前でしたが、今回は改装が終わっていましたので非常にキレイでした。
ただし、トイレがあったかどうか、記憶が定かではありません。
改装されてなくなったのかもしれませんが、見当たりませんでした。
川端王子

説明板より
その後、両人は和佐・平緒王子に参らずに、奈くち(菜口)王子社に参拝するのですが、川端王子は中世の参詣記には登場しません。
したがって、中世には、この王子社はなかったものと考えられます。
しかし、江戸時代初頭の頃には、二社の和佐王子社があったそうです。
一社は坂本(和佐王子)で、他の一社は元は熊野古道沿いの川端にあったのが、現在地に移されたといわれます。
この王子社が、川端王子と呼ばれるようになったようです。
明治時代に高積神社に合祀されて、建物は取り壊されましたが、地元の人たちがこの小祠を建て、今に残されているのです。
和歌山に入ると、定家のように随行していた人は、一旦「離団」し、日前宮に立ち寄り奉幣をするのがしきたりだったようです。
この時、定家は馬二頭と御幣を奉納しています。
そこで定家は日前宮の宮司の身なりを「浄衣、折烏帽子は甚だ凡なり」と、その粗末さに腹を立てています。
挙句の果てに「遥拝は、御幣をとりて拝舞」しなければならないと言われ、御幣を持って舞を踊らされています。
その御幣を受け取った社司は、黄色い衣冠をつけた神官を中門の中に入れて長い祝詞をあげ始めました。
それが終わると、今度は還祝(かえり)をあげ始めます。
そして、またもや御幣を両手に持たされ、踊らされました。
やっとの思いで日前宮を後にした定家でしたが、今度は路上で待ち受けていた満願寺の僧たちから「日前宮への御幣使は必ずこの寺に立ち寄り、御踊経(ごようきょう)の供物を上げていく」と言われ、寺に連れ込まれてしまいます。
仕方なく定家がお布施を包んで差し出すと、「これでは少ない」と言われる始末。
この僧たちの態度を見た定家は「すこぶる比興(ひきょう)なり」と怒りを顕にしています。
そして、僧たちがご祈祷にかかるのを尻目に、定家は癇癪を起こして寺を飛び出しています。
こういった定家の話、人間臭くて面白くないですか?
今回のお話は、こちらを参考にさせていただきました。
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑫に続きます。





























