古代史・ホツマツタヱ
ホツマツタヱとは、日本国の歴史書であり、古事記・日本書紀(以下、記紀)の元となったと言われています。
ホツマツタヱは、四国宇和島の小笠原家から、全巻が桐の箱に入った状態で発見されたそうです。
この書からは、この国の成り立ちや桃の節句や端午の節句などの年中行事が日本から発信されているそうで、縄文時代の生活の様子などが読み取れるそうです。
今回は何回かに渡って、ホツマツタヱについて自分が勉強したことをアウトプットしていきます。
「記紀で伝えられていたことが、実はこうだった」という発見があると思います。
クニトコタチ

クニトコタチがこの国を作る。
紀元前4000年くらいに日本に実在していた人物であり、最初の天皇となったお方。
この頃は「天皇」とは言わず「アマカミ」といった。
イザナギ、イザナミは、7代目のアマカミであり、アマテラス(アマテルカミ)はその8代目に当たる。
クニトコタチの意思を継いだ歴代アマカミは、その地位に甘んずることなく一生懸命国の発展に励んだ。
トの教えと勾玉
クニトコタチは8人の御子を持つ。
クニトコタチはその子らに、
「これからは、あなた達の時代です。あなた達の力でこの国を素晴らしい国にして欲しい。まず先に行うことは民を豊かにすることです。民の安定した生活こそが、この国の平和と安全をもたらすのです。自分の身を惜しんではなりません。私が教えた、木の実の栽培方法と、住居の建て方は、必ず役に立ちます。この教えを持ってそれぞれが、創意工夫してこの国の発展に尽くしてもらいたい」
と言った。
そして8人の子たちは、日本全国に草木の種と、竪穴式住居の建築方法を携えて日本に散らばっていった。
あるお方は海を渡って中国にまで及んだ。
クニトコタチが子供たちに授けた教えを「トの教え」と言い、それが最初の神器となる。
後世において、「トの教え」は形で表されるようになる。
それが「勾玉」の形。
クニトコタチは、森や洞窟に住んでいた人々を集め、栗の木をたくさん植えて集団生活を始めた。
当時の主食は栗やクルミといった木の実であった。
栗の木の利用

現在の栗は品種改良されて背が低くなっていますが、昔の栗の木は大変高く、神殿の建築材料などにも使われていたそうです。
ちなみに、三内丸山遺跡には、栗の木で作られた大きな神殿に跡が発見されているそうです。
三内丸山遺跡は紀元前3500年くらい前。
ホツマツタヱでは、記紀では神様となっているお方が、全員実在した人物として描かれています。
そこには、人間臭いお話もあり、こちらのほうが現実味があるのでは?と私は思っています。
今日はここまでです。
インプット量が少なくて申し訳ございません。
