イサナギ・イサナミの子

ワカヒメの誕生

ワカヒメは、イサナギ・イサナミの長女として、筑波山でお生まれになります。
生まれた時の名は「ヒルコヒメ」といい、太陽が一番高い時に生まれたことから名付けられました。

しかし、ヒルコヒメは、両親が「アメノフシ(天の節)」という、当時の厄年の時に生まれた子だったので、捨て子にされてしまいます(この時代から厄年があったことは驚きですが)
この時代、厄年に生まれた子は、他人の手で育ててもらう風習があったそうです。

また、アメノフシに生まれた子は、父の体の病と、母の心の病を受け継ぎやすいと考えられていました。

その育ての親が、イサナギ・イサナミの重臣であるカナサキでした。

カナサキは、彼女を育てるため、兵庫県西宮にある廣田神社と西宮神社辺りの地を用意しました。
ちなみに、廣田神社の「廣田」の語源は「拾った」、すなわち、捨てられたヒルコヒメを拾ったというところから付けられているとか。

儀式

ヒルコヒメが1歳の時には、食べ始めの儀式、3歳からは、元旦に初日の出を拝み、3月3日にはひな祭りを行い、5月5日にはあやめとちまきで乗馬のお祭りをし、7月7日には星祭り、9月9日には菊の花と栗で天地に感謝する歌を詠んだそうです。

五節句は中国が起源で、仏教の伝来とともに日本に入って来たとされていますが、それよりずっと以前から日本で行われていたことを、ホツマツタヱには記載されています。

イナゴ退治

やがてヒルコヒメは成人し、アマテルカミが築いた伊雑宮(三重県志摩市)にお住まいになります。

しかし、キシヰ(和歌山)から、稲がイナゴの被害で全滅しそうだという知らせを受けます。
そこで、ホノコ(セオリツヒメ・アマテルカミのお后)とお供30人と共に和歌山に赴き、全員で虫よけの歌を西に向かって360回繰り返しながら大きな声で歌うと、イナゴは西に向かって飛び始め、そのすべてが海中に沈んだそうです。

日前宮と國懸神宮、玉津島神社

玉津島神社

稲の全滅を防いでくれたお礼として、人々はホノコに宮を献上することにしました。
その名をアヒノマエミヤをいい、現在の日前宮だそうです。
それ以前にあった宮は、アヒノミヤといい、後にクニカケミヤと改名し、現在の國懸神宮となりました。

また、人々はワカヒメにもタマツミヤという宮を献上しました。
これが現在の玉津島神社です。

ワカヒメの本領発揮?

ワカヒメは、育ての親であるカナサキが歌に秀でていたことから、和歌が大変得意でした。
ワカヒメがタマツミヤに滞在している時、伊雑宮から使い・アチヒコ(オモイカネ)が来ました。
ワカヒメは、アチヒコに一目惚れをして歌を贈ります。

キシヰコゾ ツマオミキワニ コトノネノ
トコニワキミオ マツゾコヰシキ

これは「マワリ歌」といって、上から読んでも下から読んでも同じ文字の並びになっています。
これを受け取ったアチヒコはカナサキに相談します。
すると、カナサキから「マワリ歌はアメツチ(天地)にもその効力が及ぶ。私が見る限り、娘(ワカヒメ)の歌は完全無欠に見える。とてもこの歌には断りの思いを返すことはできない」と言われます。

こうしてアチヒコとワカヒメは結ばれることとなりました。

だれか意中の人がいれば、マワリ歌を作って贈ってみてはどうでしょうか?(笑)

アマテルカミの誕生

五十鈴川

記紀では、天照大神は、黄泉の国から帰ってきたイザナギの左目を洗って出来たとされています。
しかし、ホツマツタヱによれば、イサナミは亡くなっておらず、イサナギとともに第三子をもうける儀式をした末にお生まれになっています。

その儀式とは、お二人とも富士山の山麓の池で、イサナギは左目を洗い太陽に祈り、イサナミは右目を洗い月に祈るというものだったそうです。
この儀式を1000日間、毎日欠かさず繰り返した末に、イサナミはアマテルカミを身ごもります。

さらに、東北では、トヨケカミが世継ぎの社を建てて、二人の子の誕生を、8000回も祈りました。

その甲斐あって、めでたくアマテルカミがお生まれになります。

あくまでも、古事記は神話であり、もちろんすべてが事実だとは思っていませんが、天照大神が生まれた経緯には大きな疑問がありました。
しかし、ホツマツタヱでは、この疑問がスッキリします。
天照大神は、こうした儀式を通した祈りによって生まれたのです。

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