イサナギ・イザナミの子② 

イサナギ・イサナミは、諸国に水田開発を行い、同時に重労働であった農作業に牛と馬を用いることを広めます。
また、方言などで意思疎通が困難であったことから、国語を「アワウタ」とともに広めるなど、多くの功績を残しました。

あかはなま いきひにみうく
ふぬむえけ へねめおこほの
もとろそよ をてれせゑつる
すゆんちり しいたらさやわ

余談ですが、この歌を歌う(というか音読する)と、気持ちと体が整ってくるそうですよ。

師・トヨケカミとの出会いからアマカミへ

さて、アマテルカミは、私的に甘やかしてはいけないということで、第5代タカミムスビ・トヨケカミに預けられ、ここで「アマナルミチ」を学び、アマカミとしての資質を磨いていくことになります。

そうして8代目アマカミとなったアマテルカミは、この時代に起こったハタレの乱を通して、国の基本方針を見直し、次世代につながる政治をしようと改革をします。

当時から、1年は365日であることがわかっていたそうですが、暦は月のものを使っていたそうです。
そこで、「閏月(うるうづき)」を入れ、1年を13ヶ月としたそうです。
また、道州制の導入、量刑の制定、男女の役割制度の確立(男性は外で働き、女性は家事を行う)などを取り決めました。

また、この時代に「ミクサタカラ」、いわゆる「三種の神器」が揃います。

ツキヨミ・ソサノヲの誕生

イサナギ・イサナミは、アマテルカミをお産みになった後も諸国を巡幸され、宮崎県宮崎市阿波岐原町あたりでツキヨミをさらにソサの国(紀伊半島南端部)の熊野市産田神社辺りでソサノヲをお産みになります。

ソサノヲは、記紀に見られる通り、幼少の頃から暴れん坊だったそうです。
此処から先は、話が長くなるので、今日はここまでです。

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