
今回は、大元の神についてです。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教など(元は同じですが)、他に神の存在を認めない宗教における神とは、人知を超えた絶対的存在であり、天地創造の神です。
また、真言密教においても最高の存在は大日如来であり、宇宙そのものという考えです。
では、神道にはそういった存在はないのでしょうか?
(ここでは、ホツマツタヱに書かれている内容も、「日本古来の信仰」ということで、「神道」と括らせていただきます)
古事記、日本書紀、ホツマツタヱで見ていきます。
古事記
まず最初に成った神は、アメノミナカヌシと書かれています。
によると、この「アメノミナカヌシ」は宇宙そのものだとされています。
そして古事記では、この神は独神であり、男女の区別がない神とされています(まあ、神話ですからね)
古事記では、天地が創造される過程を示す記述は、無いに等しいです。
日本書紀
日本書紀にはこの点に関する記述がたくさん書かれており、「一書ではこう言っている」が6つもあり、それぞれの内容が微妙に違います(違うから載せたんでしょうけどね)
その「一書ではこう言っている」の前の段落で、「代表」のような記述があり、それによると
やがてその澄んで明らかなものは、のぼりたなびいて天となり、重く濁ったものが固まるのには時間がかかった。
だからまず天が出来上がって、大地はその後に出来た。
そしてその後から、その中に神がお生まれになった。
天地が開けた始めに(中略)ある物が生じた。形は葦のようだったが、まもなくそれが神となった。
クニトコタチと申し上げる。
と書かれています。
日本書紀ではおおむね、クニトコタチが最初の神だとされていますが、天地が出来た後から生まれた神であることから、どうやら「宇宙そのもの」でも「天地創造の神」でもないようです。
また、天地が造られた過程が描かれていますが、「勝手に出来た」ような書き方であり、天地を造った神の存在はありません。
ホツマツタヱ
ホツマツタヱでは、いきなり「神が伝えてきたことによると」から始まります。
南方熊楠も言っていましたが、昔の人は「第六感」が発達していて(というか、元々備わっていた)、神々(または霊)と交信をすることが出来たそうです。
いきなりインパクトがありますね。
話がそれました。
それによると、
アメノミオヤカミが息を大きく吐くと、「ウビ」が動いて渦(うず)を巻き始めた。
渦の中心は柱となり、やがて軽いものは陽極に、重いものは陰極に集まり、それが天(ここではおそらく宇宙)や太陽、地球と月が生まれた。
という内容の記述があります。
「唯一いらっしゃった神」によって天地(宇宙)を創造する過程が描かれていますので、アメノミオヤカミが、キリスト教などの「神」にあたる存在だと考えられます。
古事記における「アメノミナカヌシ」は、ホツマツタヱでは地球が出来た後に人類の祖として誕生し、その子孫からクニトコタチが生まれるという流れになっています(クニトコタチは初代アマカミ)
また、古事記のアメノミナカヌシは、天地ができてから成った神であることから、アメノミオヤカミとも、キリスト教などの「神」とも違います。
とにかく、「アメノミオヤカミ」というお名前は、私も聞き馴染みがありませんでした(記紀にももちろん登場しませんし)
しかし、縄文時代の人々も、やはりこの天地を造った「何か」がいらっしゃって、人間はその中で生かされているということがわかっていたのでしょうね。
そう考えると、キリスト教であろうと、神道(縄文時代の人々の信仰)であろうと、「信仰している神は同じであり、それぞれが違う角度から、違う方法で崇めているだけ」ということになりますね。
それが今、現代の日本人の信仰に中に存在していないことが残念です。
