発心門王子~本宮大社④

三軒茶屋跡

昔、この辺りには茶屋が三軒あったことから名付けられました。
場所は九鬼ヶ口関所の横の少し開けたところだったようです。
よく、今の休憩所があるところに建てられていたといっている人がいるようですがそれは違います。
あの建物は、当時あった三軒の茶屋にちなんだ造りにしているということだけです。
なので、屋根が3つあるような造りになっています。

昔は人々の往来が多いのでここを「中辺路銀座」と呼ばれていたそうで、三軒の茶屋があっても十分営むことができたそうです。

茶屋にはお茶やお菓子の他に、藁草履なども置いていたそうです。

九鬼ヶ口関所

現在の関所はもちろんレプリカです。
場所もここではなく、もう少し小辺路よりにあったようです。
旅人はここで通行手形を見せなければならず、当時の金額で十文を払わなければなりませんでした。
十文とは、現在の金額に換算しておよそ180円~200円だったそうです。
ただ、昔の貨幣の価値は解釈に揺れがあるため、あくまでも目安ですが。

通行手形には、出身地、名前、年齢、家族構成、旅の目的などが書かれ、この者が泊まるところに困っていれば一晩泊めてやって欲しいとか、万一行き倒れになっていたなら、その土地の風習に従って葬ってやって欲しいなどという内容が記載されていました。
通行手形はその旅人の出身地の村の庄屋さんやお寺で発行してもらっていました。
こういったところは、今でいう役場の機能をしており、特に江戸時代には寺請制度の施行により、お寺で戸籍の管理などもしていたため、現在の役場の住民課と同じ機能を持っていたようです。

道標

九鬼ヶ口関所のちょうど向いに、道標が立っています。
「右 かうや 十九里半 左 きみい寺 三十一里半」と書かれています。
また、別の側面には、小辺路から来た時に本宮の方向を示す「左 本宮」とも書かれています。
一里が約4kmとされていますので、ここから高野山までは約78km、紀三井寺までは約126kmということになります。
いつ建てられたのかは分かりませんが、おそらく西国巡礼が盛んになった江戸時代のものと思われます。

西国巡礼の一番札所が那智の青岸渡寺、二番が紀三井寺、三番が粉河寺なので、一番と二番の距離が恐ろしく離れています。
当時の庶民の中には伊勢に参り、ついで三山をお参りし、さらにそのまま西国巡礼に転向するというツワモノもいたそうなので、まさに命がけの巡礼だったのでしょうね。

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