伏拝王子
京都城南宮を出立して幾多の峠を越えてきた熊野詣の人々が、ここで初めてその目的地・大斎原を見ることができました。
人々は、その光景に感動し、思わず伏して拝んだことから伏拝王子と呼ばれるようになりました。
和泉式部
平安時代の歌人・和泉式部のお話が有名です。
式部がこの地に到着した際、月の障りになってしまいます。
当時、生理中の女性は「赤不浄」と呼ばれ、神社の聖域に入ることを許されなかったそうです。
このようになってしまった式部は、その気持を歌に詠みます。
晴れやらぬ 身の浮雲のたなびきて 月のさはりと なるぞ悲しき
ところがその夜、熊野権現が夢に現れ
もろともに 塵にまじわる神なれば 月の障りも なにか苦しき
(もともと熊野の神は塵に混じって生まれた神だから、何の遠慮もいらない)
と返歌をします。
これにより、式部は晴れて熊野にお参りすることが出来た・・・というお話です。
伏拝王子跡には、和泉式部供養塔というものがあります。
ただこれ、滝尻王子、大門王子、大坂本王子などにあるただの(と言っては失礼ですが)笠塔婆です。
そして、この王子について書物での初見が1722年「熊野道中記」であり、それより以前にあったとされる説では、600年ほど前の成立ではないかとされています。
今から600年前と言えば室町時代。
和泉式部の生没は不詳ですが、987年頃の生まれだそうなので、どう考えても時代考証が合わないのです。
なのでこの話は、後付けの作り話とされているようです。
これは、熊野の信仰を世に広めた一遍上人の弟子たち、熊野比丘尼、山伏などが和泉式部を引き合いに出し、日本中を回って熊野の信仰を広めたのではないかと言われています。
風雅和歌集には和泉式部が詠んだとされる歌と、熊野権現の返歌が載っているそうです。
風雅和歌集の成立が1349年。
和泉式部が活躍していた時代が1000年代。
ここでも時代に開きがありすぎることから、実際に和泉式部が詠んだものかどうかも不明なのだそうです。
夢を壊すような話ばかりになってしまいましたが、お話はお話としてお客様に楽しんでいただけたらそれでいいと思います。
実際外国人のお客様を案内する時は、ここまで言うことはありません。
説明は和泉式部の物語で終わります。
