古代文献と神代文字

五十音の起源

今回は、古事記、日本書紀の原書とされている古代文献から、神代文字についてお話させていただきます。

今回は小名木善行さんのYou Tube動画を参考にさせていただき、私見を交えながらお話させていただきます。

小名木善行さんのお話によると、五十音の起源はフトマニなのだそうです。
フトマニとは「太占」と漢字で表されますが、ようは占いのことです。
熊野詣でも、陰陽師などはこのフトマニで占っていたと聞いたことがあります。
占いの方法は、鹿の骨や亀の甲羅を焼いて、そこで割れたひびによって吉凶を占うというものです。

そのひびの割れ方にたくさんのパターンがありました。
真っ直ぐ一直線に縦に入るもの、真横に入るもの、斜めに入るもの、縦と横に入るもの、ギザギザに入るもの、大きな穴が一つ開くもの、小さな穴が一つ開くもの、大きな穴が複数に開くもの・・・などのパターンがあり、それをいちいち「真っ直ぐ一直線に割れる」とか「縦と横に割れてその真ん中に穴がある」とか言っていると日が暮れてしまう(笑)ので、一つの音で表したものを50(または48)表したものが五十音だそうです。

古事記・日本書紀にはそれぞれ引用された書物の名前が記載されています。
臣連伴造国造百八十部并公民等本記、天皇記、国記、帝紀、旧辞などです。

臣連伴造国造百八十部并公民等本記、天皇記、国記は聖徳太子と蘇我馬子の監修で西暦にして620年に編纂されたものです。

日本書紀はその100年後に完成していますので、当時のことを覚えている人がいたということです。
私たちの時代でいえば、大正時代のお話です。
そうなれば、ひいおじいちゃんあたりの時代になります。
私よりすこし上の世代であればおじいちゃんの時代の話です。
ということは、嘘を書くわけにはいかないので、これらの書物があったということは事実でしょう。

古事記は帝記、旧記をもとにして書かれています。
帝紀とは「みかどの記録」、旧辞は「古いことば=口伝、伝承」ということだそうです。

それらの文献は焼失してしまい、すでにこの世には存在していないそうです。
ですので、これらの書物がどのような文字で書かれていたのかも分かりません。

古典三書

日本には「古典三書」と呼ばれている書物があります。

古事記、日本書紀、大成経です。

古事記、日本書紀はみなさんもご存知でしょうが、大成経って初耳でした。
大成経は聖徳太子が書かれた書物なのだそうです。
原書は存在していないそうですが、、写本が出回っており、中には解説本もあるようです。
小名木さんはすでに古事記と日本書紀については原文を翻訳されていますが、次には大成経の原文翻訳に取り組みたいとおっしゃっています。

古典四書

それとは別に、「古典四書」というものがあります。
ウエツフミ、ホツマツタヱのウタヒ、ミカサフミ、カタカムナがそれにあたりますが、ホツマツタヱはすでにこのブログでも内容をご紹介しましたのでご存知の方もいらっしゃると思います。

神代文字

これらの書物は漢字で書かれておらず、「神代文字(じんだいもじ、かみよもじ)」で記されています。
神代文字には2種類あり、ひとつは亀の甲羅などに入ったひびをそのまま文字にしたもので「アビル草文字」と呼ばれるものがそれにあたります。
残念ながらこの文字の再現はここでは難しいのでお伝えできませんが、「た」なら「た」にあたるひび、「へ」ならへ、「る」ならるにあたるひびがあり、その組み合わせで出来たものが漢字なのだそうです。

そして、もう一つは「一字一音一義」による文字、つまりそれぞれの文字に意味があり、それがフトマニ(占い)の意味を成すという文字です。

カタカムナは神代文字

先述の古典四書のひとつ、カタカムナですが、これがカタカナの起源になったという話です。
ひらがなの起源は漢字を崩したものという明確な根拠がありますが、一方カタカナについてはその根拠が曖昧です。

私は以前からカタカナの起源については懐疑的でした。
学校でその根拠について聞いてはいるでしょうが、かなり強引な感じが否めません。
それはこちらの記事をご参考にしていただけたらと思います。

日本に文字は存在していた?

小名木さんはここで面白い「根拠」について話しています。

「ア」は漢字の「阿」のこざと偏である「阝」からできたとされています。
一方、「へ」ですが、これは「部」のおおざと「阝」を横にしてできたものとされています。
明らかに形が同じであるにも関わらず、なぜ違う文字ができるのか?
また、明らかに「それはないやろ!」というものが「マ」です。
この「マ」は「末」からきているというのですが、どのようにして「末」から「マ」なったのか、説明ができますか?

「カタカナは漢字の一部を取り出してできた」と言われていますが、「マ」「ケ」「ス」などについてはその説明ができません。
かなり強引です。

白い人 ≠ 白人

7300年前にアカホヤの大噴火があった時、日本に住んでいた人々が新天地を求めて世界中に散らばり、日本の文化や文字を携えて広めていった・・・という話があります。
特に中南米では「白い人がやってきて我々に文明を伝えてくれた」という伝説があります。
ここでいう「白い人」というのは白人ではなく、日本人だという説です。
先日オリンピックを見ていて、いわゆる「白人」と呼ばれている人と、我々日本人の肌の色を比較してみても、そんなに差はないなと思っていました。

いわゆる「黄色人種」と呼ばれている人々、特に東南アジアの人々の肌の色と比べても、明らかに日本人は色白です。
有色人種の中で日本人というのは特別色白なのです。
なので「白い人」を欧米の白人と勘違いをしたがために、彼らの文明は滅ばされたのです。

紀元前3500年にシュメール文明という文明がありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB
シュメール人たちは自分たちのことを「ウミサンキタ」と呼んでいたということが、残された文書から解読されています。
ただ、この「ウミサンキタ」、ヨーロッパの人には何を語源としているのか分からなかったのですが、日本人なら想像はつくと思います。

「ウミサンキタ」は「海さん来た」「海さんからやってきた」となり、「我々は海からやってきた」ということになります。
その海とはどこか?というと、日本だとういうことです。
日本はもともと、地形的な関係から海とのつながりが大きく、縄文時代にはすでに相当な規模の船を建造し、航海する技術を持っていたということが明らかになってきました。
そうした船を使って世界に散らばり、文字をはじめとして文化や伝統なども広めていったのではないか、そういう可能性がまったくないと言えないほど、日本という国は歴史的にも文明的にも深く、優れたものを持っていたのではないでしょうか。

今回ご参考にさせていただいた小名木善行さんの動画はこちらです。

小名木さんのお話はこれだけにとどまらず、日本の歴史全体を通して楽しくお話してくれます。
小名木さんのような人が学校で授業をしてくれたなら、日本史を好きな子供がもっと増えるのにと思います。

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