
今日は76回目の終戦記念日ですね。
たった76年前に終わった戦争。
日本は必死でアメリカに和平交渉を働きかけていたにも関わらず、アメリカは無視を決め込み、原爆を投下。罪のない大勢の一般庶民が犠牲になりました。
「太平洋戦争は、日本が早く降伏しなかったからだ」と言われ、私たちも学校ではそう習ってきました。
しかし、その理由がまったく違うということが分かったのは大人になり、ネットが普及し始めてからでした。
終戦の認識も違えば、開戦の認識も違います。
私たちは学校で「真珠湾攻撃のだまし討ちから始まった」と習いました。
しかし、真相はまったく違います。
小名木善行さんの動画から、順を追って見てみましょう。
ポーランド侵攻
小名木さんによると、「第二次世界大戦」が始まったのは1945年12月からではなく、1938年9月、ナチスドイツがポーランドに侵攻したのが始まりでだそうです。
ポーランドに侵攻したナチスドイツは、あっという間にポーランドを占領してしまいました。
なぜ、そう安々とポーランドは侵攻を許したのか?
答えは「ポーランドの多くの国民がそう望んでいたから」です。
第一次世界大戦では、「戦争特需」で非常に景気が良かったのですが、そのうち供給過剰となり物が売れなくなり物価が下がり、世界大恐慌が起こります。
その煽りをまともに受けたのがヨーロッパであり、その中でもナチスドイツの状態は深刻なものでした。
第一次世界大戦で破れたナチスドイツは、戦勝国に多額の賠償金を払い、国内ではハイパーインフレが起こり、失業率は国民の約半分になります。
この状況下で「ナチス党」が生まれ、ヒトラーが総統に就きます。
ヒトラーは、「失業率ゼロ宣言」をし、ハイウェイをつくったり、軍事産業を活性化させたりして公共事業をバンバン始めます。
軍事産業というのは、その周辺の業種にも大きな影響を与えます。
軍事産業を活性化させることにより、塗装、鉄鋼、火薬、造船などの業界が活性化します。
そこからさらに船内の家具、調度品など、その周辺の分野にも影響を与えます。
こうして、不況にあえいでいたヨーロッパの中で、ドイツが好景気に沸き始めました。
一方、ポーランドはいまだに景気が回復せず、国民は好景気に沸くドイツに「元を正せば同じ民族なんだから、彼らに政治をやってもらおう」という動きが始まりました。
ポーランド侵攻の裏には、こういった背景があったのです。
当時の日本の状況
当時ナチスドイツと同盟関係にあった日本ですが、ナチスドイツのポーランド侵攻の1938年から1941年12月まで、戦争をしないように努力をしていました。
当時満州国がありましたが、その満州国の特産品が大豆でした。
しかし、満州は土地柄大豆が育ちにくい環境であったため、土壌改良でリンが必要でしたが、この輸入をアメリカに頼っていました。
このリンを、アメリカが禁輸措置を取ります。
満州は「大豆経済」と言われていたほど、国民の生活を大豆のに頼っていたため、リンが入って来なくなるとその経済は壊滅状態になります。
さらに、日本に対しては石油の禁輸をします。
こうなれば、大豆の50%を満州からの輸入に頼っていた日本は生活ができなくなり、世界最強をほこる日本海軍の軍艦、戦闘機が使えなくなり、国を守る術がなくなってしまいます。
ドイツのオランダ占領と日本の油田確保
この時期、ナチスドイツはオランダを滅ばします。
そのオランダが植民地としてインドネシアに油田を持っていました。
その油田を警護はオランダ軍がしていました。
オランダが滅んだのですから、そのオランダが持っていたインドネシアの油田はドイツのものであり、理屈から言えばこの時点でオランダ軍が「不法占拠」している状態です。
石油の確保にあえいでいた日本は、ドイツから油田を借りる許可を得ました。
そして、1941年12月8日、真珠湾攻撃の日と同じ日にパレンバンに落下傘部隊を派遣してこの油田を制圧しました。
義和団事件
1900年、北京の外国人特区(11ヵ国が駐留)において義和団事件が起こります。
義和団事件とは、当時のチャイナである清が、民衆の間で結成された「義和団」を支持し、20万の人員を送り込み、そこに住んでいる外国人を皆殺しにしようとした事件です。
この時に、柴五郎大佐や安藤大尉などが奮闘し、義和団を蹴散らします。
その後、事後処理として「北京議定書」で清の治安維持のために各国の軍隊を常駐させるという取り決めが行われました。
そのうちの一国が日本でした。
スペイン風邪
ここでまた別の「事件」起こります。
スペイン風邪です。
このスペイン風邪が原因で、北京に駐留していた各国の軍隊が一斉に引き上げます。
残ったには日本だけでした。
この頃(1918年~1920年頃)に、大きな問題が起こっていました。
チャイナの共産化問題
ここで、衰退していく清に代わって、蒋介石を中心として新たな国・中華民国を建国する動きが起こります。
しかし、民主主義の中華民国を建国しようとする蒋介石と、共産主義の国家にしようとする動きで対立が起こってしまいます。
もし、チャイナが共産化すれば、スペイン風邪で出ていった国々の利権がなくなってしまいます。
そこで、フランスやソ連が蒋介石に莫大な資金と武器の援助を行います。
というか、蒋介石が各国の高官を、清王朝の宝物と女をエサに買収をするのですが。
アメリカの加担
そんな中、これをアメリカも黙って見ているわけにはいきませんでした。
奇しくも、蒋介石の妻・宋美齢は、アメリカにいたこともあって英語がペラペラでした。
宋はアメリカに渡り、物と女で政府高官を買収します。
この時、「日本の侵略に加担しないアメリカ委員会」というリーフレットを発行します。
普通ならなんてことないリーフレットかもしれませんが、文書を寄せている面々が錚々たるメンバーでした。
フランクリン・ルーズベルト大統領、コーデル・ハル国務長官、スタンリー・ホーエンテック外交担当国務省補佐官、ヘレン・ケラーなどが名を連ねていました。
その内容ですが、「日本はチャイナを侵略している。この日本を見過ごすことは、アメリカは日本のチャイナ侵略に加担している」というものだったのです。
・・・ちょっと待ってください。
スペイン風邪で日本を置いて出ていった分際で、何を言っているの?
このリーフレットが6万部発行され、瞬く間に全米を席巻してしまいます。
超大物ばかりが書いているものです。
その影響力たるや凄まじかったでしょう。
これをきっかけに、アメリカは本格的にチャイナの援助を始めます。
「標的」のすり替え
話はすこし戻って、中華民国の建国を巡って民主主義を推し進める派と共産主義を推し進める派に別れて対立していましたが、共産主義がほぼ壊滅状態になります。
そこで1936年に、民主主義派と共産主義派、蒋介石と毛沢東が手を握ります。
共産主義が壊滅状態になったからには、各国からの「美味しい援助」がなくなるので、それを得るために今度は「標的」を日本に変えてしまいます。
お互い敵同士だったのに、お金のために手を結んだのです。
こうしてまんまと再び「美味しい援助」にありつけたのです。
アメリカは莫大な武器と資金の援助を行い、1941年には100機の戦闘機、トラック300台、5000万ドルの軍事物資、500機のB17爆撃機などを援助し、259名のアメリカ空軍のパイロットや米軍の軍事顧問団と整備士を送り込み、「フライングタイガー」という名で日本の軍事施設の攻撃を始めます。
この「パイロット」ですが、アメリカの空軍が派兵をすると「戦争」になりますので、「退役軍人」という名目で送り込んでいます。
姑息にもほどがありますが、これはもう、事実上の「戦争」です。
このフライングタイガーによる軍事行動は、1941年の真珠湾攻撃より前の、春先から夏にかけて行われていたものです。
やむなく反撃をすれば「チャイナを侵略した!」と騒いでいたというのが当時の状況です。
私たち日本人の先人たちは、一所懸命、バカ正直に「任務」を遂行していただけなのです。
諸悪の根源は学校教育
このように、真珠湾攻撃にいたるまでには複雑な「伏線」があり、単に日本軍が真珠湾を攻撃して開戦したものではないということがお分かりいただけたかと思います。
しかしながら、こういったことを学べるのはネットか本しかありません。
そのネットも、今や検閲がひどくなり、真実、あるいは世の中の流れに逆らうようなことを言おうものなら削除されるという事態が相次いでいます。
テレビでは(特にNHKでは)毎年のように終戦記念日にちなんで特番を組んで放送していますが、すべて「日本は愚かだった」という内容に終始しており、メディアが流す情報からは真実は見えて来ないというのが現状です。
メディアもひどいですが、それに輪をかけてひどいのが教育の現場です。
GHQによって徹底的に自虐史観を植え付けられた教育現場では、完全に日本が悪者にされてします。
私の父親の世代も、いまの政治家も、現在学校に通っている子供たちも、すべて自虐史観の元に育ってきました。
私が小中学校の先生は、「日本が悪い」ということだけにとどまらず、日本を馬鹿にするような発言をよくしていました。
例えば、動画にもありますが、各国の軍人が並んでいる写真で日本人が一番小さいのを見て「日本人が一番小さい」と言って笑いながら説明していました。
「日本人はトーストにバターを塗る時は薄~く塗ってケチ臭く食べるが、欧米人は厚切りのバターを乗せて豪快に食べる」と言っていたことを覚えています。
諸悪の根源は学校にあります。
こうした日本を蔑む先生らを、教育の現場から駆逐することから始めなければなりません。
この学校教育を変えなければ、日本はいつまでたっても隣国に頭を下げなければならないし、自国に誇りを持てないことになります。
我々の世代はもちろん、子供、孫の世代まで、この教育が続く限りずっとです。
もちろん、戦争に「良い悪い」はありません。
戦争が起こってしまったことは、当事者全員が反省するべきものでしょう。
しかし、日本やイラクのように、悪者に仕立て上げられて戦争をせざるを得ない状況に追いやられた国もあるのです。
ユダヤ人を大量に虐殺したドイツはまだ謝っていますか?
ベトナムで住民を殺し、略奪し、強姦し「ライダイハン」と呼ばれる混血児を多く出した韓国はベトナムに謝っていますか?
日本は、戦後76年たって今もなお、GHQが植え付けた自虐史観の路線を踏襲しています。
日本人は馬鹿ではありません。
この76年で随分とアメリカに骨抜きにされてしまいましたが、真実に気づき、自国に誇りを持つ人がまだいることがせめてもの救いでしょうか。
そしていずれはそうした人が増え、この悪しき流れに終止符が打たれることを願ってやみません。
我が国のために散っていかれた英霊の方々、罪もなく殺されてしまった多くの一般市民の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
今回勉強させていただいた動画はこちらです。
