菅原道真と遣唐使廃止

以前にもこの内容の記事を書きましたが、今回は小名木善行さんのお話を元に、改めて菅原道真と遣唐使廃止についてご紹介したいと思います。

以前の記事については、こちらをご参照ください。

唐との関係

遣唐使廃止の経緯

菅原道真公は、当時全盛だった藤原氏の中で一生懸命勉強をして頑張り、天皇の信頼を得て出世をしました。

当時の藤原氏は、唐との交易で大変な財をなしていました。
いわゆる「チャイナ利権」です。

今に例えると、チャイナに工場をつくったり、日本の工場にチャイニーズをたくさん雇って人件費を浮かせたりして、その差額で大儲けをする、つまり、日本の大手スーパーでありとあらゆるものを大量に売って大儲けする、といった感じです。

当時の藤原氏の政権というのは、今に例えると、民主党政権時代に当時の大企業の兄が総理大臣だったということです。
その結果どういうことが日本で起こったか?

まず、約束というものが守られなくなります。

地位と権力があれば、裁判だろうが何だろうが自在に操ることができるようになります。

残酷極まりない事件が次から次へと起こるようになりました。
しかも犯人は一切逮捕されません。

そのような情勢の中、菅原道真は「唐の国と付き合う必要はない」と、遣唐使の廃止を決定します。

これは民衆にとって何が大切だったかがお分かりになっていたからです。

今で例えると、

チャイナで安く物を作って日本で売りまくる

→日本国内の産業を奪う

→日本国内の雇用も奪う

→一部の企業のトップの人たちだけが莫大に儲かる

という流れになり、人々はますます苦しい生活を強いられるようになります。

ある地方都市では、大企業の工場がチャイナに引っ越しをしました。

その工場が跡地になりました。

その跡地に、某大手スーパーが大型スーパーを出店しました。

地元では雇用が生まれたと大喜びしました。

しかし、工場があった方が雇用はありました。

しかもその工場はその都市に登記していたために、税金は地元に納められていました。

ところが、大手スーパーは地元に登記をしていなかったので、その都市の税収は落ち込んだままでした。

さらに、大型スーパーの出店が元で、地元の商店街がバタバタと潰れてシャッター通りになってしまいました。

はたして、この流れがいい流れと言えるでしょうか。

ということで、菅原道真は藤原氏が牛耳っていた唐との交易による収入システムを廃止するために遣唐使を取りやめにし、藤原氏の「一人勝ち状態」をやめさせたのでした。

こうなると、面白くないのは藤原氏です。

これがきっかけで左遷させられてしまいます。

渡航失敗の最大の理由

渡航者が命を落とすことが多かったからやめた、ということが学校で教えられていますが、これは、「航海上の危険」の意味を取り違えています。

当時の遣唐使の成功率は25%でした。

4艘の船のうち、行きで半分が無くなり、帰りの2艘のうち1艘が無くなる・・・結果、4艘出て帰って来られる船は1艘だけ、というものでした。

遣唐使の船には、日本国内の優秀な若者-男性だけではなく、唐の国で舞や仏教を学びたいという女性も多く乗っていました。

その命が4分の3も失われていたのです。

そもそも、それだけリスクが高い航海であれば、なぜ朝鮮半島から陸路を通って行かなかったのか?という疑問が湧いてきます。

遣唐使には、嵐のない時期をわざわざ選んで行っていたにも関わらずです。

これは、海を渡るよりも、朝鮮半島を歩いて行った方が、よりリスクが高かったことを示唆しています。

朝鮮半島の海賊に襲われていたからです。

朝鮮半島の海賊たちが船を襲った時、そこに乗っていた女性はどうなったか、もう想像がつくでしょう。

これは、終戦直後に日本の女性たちが朝鮮半島でどのようなことをされたのかということと同じことです。

1000年前も1000年後も一つも変わっていません。

実際、海賊に襲われて宮古島まで流れ着いて助かったという記録も残っています。

よって、船が沈んだのは嵐ではないのです。

襲われたのです。

そこまでのリスクを犯して命からがら唐から無事に品物を持って帰って来られれば、その品はかなりの高値がつきます。

よって儲かります。

しかし、多くの若者の命や安全を危険にさらしてまでもしなければならないことなのか、ということなのです。

この時、すでに唐は争いばかり起こっていて学ぶべきものは一つもありませんでした。

現にその後すぐに(道真公の建議から13年後)唐は滅亡してしまいます。

その後菅原道真は左遷させられて亡くなります。

そしてタイミング良く?京都で疫病が流行し、藤原氏がバタバタ死んでいきました。

それを見た民衆はどう思ったか?
「これまで一生懸命勉強をして出世して民衆のために働き、危険な唐への派遣も取りやめてくれた、その道真公の祟りだ、それ見たことか」となり、その御霊を鎮めるためにつくられたのが天満宮だということはみなさんも周知の通りです。

菅原道真公は常に民衆に寄り添うために尽力し、巨大な利権に立ち向かったすばらしいお方です。

保身のために言いたいことが言えない今の政治家には、道真公の姿を見習ってもらいたいものです。

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