
ところが、戦後に考古学が発展し、日本各地で次から次へと遺跡が発掘され始めます。
そうすると、「我が国は皇国史観である」と言って「お上」から目をつけられるようになります。
そのおかげで考古学がまったく進みませんでした。
そうした中、昭和26年に磨製石器が発掘されます。
世界では約8000年前から磨製石器が使われ始めたとされる中で、日本のそれは約3万年前から使われていたことが分かりました。
その後も日本各地で磨製石器が発見され、沼津と長野で発見された石器は、伊豆半島の突端から海上約67kmにある神津島でしか採れない石で作られたものでした。
そしてそれが約4万年前のものだったのです。
神津島まではもちろん、泳いで行くこともできませんし、潮流が速いので丸木舟で渡ることもできません。
ましてや、万一丸木舟で渡れたとしても、帰りに石を積んで帰って来ることなんてできません。
とすると、アウトリガー付きの帆掛け船でなければ、島に渡って石を積んでくることなど不可能と考えるべきです。
ということで、約3万年~4万年前にはすでに日本ではそれだけの航海技術を持っていたということになります。
また、海で海藻や魚を採って生活を営んでいたと考えられるようにもなりました。
