縄文時代と稲作③

約3万年~4万年前、日本ではすでに優れた航海技術があったことが示唆されたわけですが、では、稲作についてはどうなのでしょうか。

お米の成分に含まれているガラス成分である「プラントオパール」というものが、8000年前の遺跡から発掘されました。
ということから、どうも8000年前にはすでに米を食べていたらしいのです。

この頃(6000年~8000年前)は、西日本は熱帯であったことが分かっています。
今の熱帯と温帯の境界は台湾の北部と南部ですが、太古の昔はその境目がずっと北にあったわけです。

稲というのはもともと熱帯性植物です。
そして、熱帯には雨季と乾季があります。
雨季と乾季があると、そこに稲が自生します。
このことから、稲作をしていたのではなく、西日本一帯に稲が自生していて、それを食べていた、ということになります。

ところが、今度は寒冷化が進み、自生していた稲が育たなくなってしまいます。
そこで、稲を「騙す」ために灌漑用水を整え、強制的に「雨季」を作って稲を育てるようになりました。

とはいえ、この頃は狩猟採集生活が主であったため、ドングリ、椎の実、栗などの木の実や、魚や貝などを食べながら、米「も」食べていたというのが、当時の食生活であったようです。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA