古事記と日本書紀③

前回までの記事はこちら。
古事記と日本書紀①
古事記と日本書紀②

大日本帝国憲法の第一条には「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と書かれてます。
この「 統治ス 」は「すめらいしらす」と読みます。
では、この「すめらう」や「しらす」はどこから来たのかというと、我が国の古事記・日本書紀の研究からなのです。

日本書紀は持統天皇の時代まで書かれてますが、古事記は聖徳太子が登場して国の形を一つにまとめるところの推古天皇までです。

ここで興味深いのは、日本書紀が持統天皇の時代まで書かれていることで、天智天皇、天武天皇の時代まで、ご皇族であっても、ある程度武力を用いて国の統治を固めていく、あるいは国の体制を築いていくということがやや数多く行われていたとう歴史があります。

天皇が国家最高の存在として、直接武力を率いて悪者を退治するという歴史があります。

日本書紀の最終・41代持統天皇の時に、「これではいけない」と否定をしています。

力による統治ではなく、最終的に教育を文化によって国造りをすることを説いています。
教養と文化があれば、争いを避けることができるということです。

たとえば、皇位継承候補がたくさんいれば普通は争いが起こります。
そこで、武力による皇位継承もありえるが、皇位継承権というのは、生まれてくる順番によって、母親の血筋によって、自動的に決まってしまうのだと決めてしまいます。
だれが最も天照大神様から続く霊統を一番強く受け継いでいるのかということが明確に決まっています。

なので「議論の余地なし」ということになり、結果争いが起こらなくなります。

また、これまでは豪族同士による争いも頻繁にありましたが、豪族というものは大きな括りの「日本」の中の「一行政単位」であり、何よりも大切なのは天皇の宝物である一般の民衆だということを教育によって普及し、それを我が国の文化にしてしまうことによって、国内における無用な争いというものが一切起こらない国造りにしていこうではないかというのが、日本書紀が書かれた目的となっています。

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