秦の始皇帝と徐福、その時代背景を読み解く⑥

焚書坑儒と方士①

焚書坑儒とは

焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)とは、「焚書」と「坑儒」の2つの語から成り立っています。
焚書とは文字通り「書を焚く」書物や燃やしてしまうことです。
これは主に、新しい歴史書を記す時や、占領をした勢力がすることで、その者たちにとって都合の悪い歴史を抹殺するために行われます。

日本でも、敗戦後にGHQによる「War Guilt Information Program」によって、多くの書物が焼かれ、現在は自虐史観による歴史に書き換えられています。
また、徹底した検閲により情報統制され、少しでも反米的であったり、日本が正しいと言おうものなら、その新聞社や雑誌社は発刊停止にさせられるため、そういったことがまったく書けませんでした。

坑儒の「坑」は「穴に埋めて殺す」、「儒」は「儒教」を指します。
つまり、「儒教の人を穴に埋めて殺す」という意味です。

方士

方士(ほうし)とは、占い、医術、錬金術などを行った人です。
徐福もこの「方士」です。
後に「方士」は後の晋の時代に入って「道士」と呼ばれるようになります。
当時はまだまだこうした人々が重宝されていたようで、秦の始皇帝からも絶大な信頼があったようです。

始皇帝の弱点

現実的な思考の持ち主であった秦の始皇帝ですが、唯一の弱点といえるところがありました。

迷信に頼るところがあったことです。

たとえば、神仙を信じ、不老不死になることを望んだり、「六」とう数字を非常に重んじたりました。
たとえば、乗り物の輿の高さは六尺とし、この六尺で「歩(ぶ)」としました。
そして六尺で「一間」としました。
そして六十間で「一丁」、三十六丁で一里というように、何でも六を使いました。

ここに目をつけたのが方士たちでした。

秦の始皇帝と徐福、その時代背景を読み解く⑦へ続きます。

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