【紀伊路】山中渓~伊太祈曽④

前回まではこちらをご参照ください。
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽①
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽②
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽③

地図では赤丸の場所にあたります。

旧庄屋跡

説明看板より

この古い屋敷は、江戸時代中期の建物(築後約270年。一部補強改修)で、当時の庄屋の屋敷である。

広い土間、数多くの部屋、太い梁の木組、土蔵、煉瓦づくりのアーチ型の裏門、広い庭園など泉州屈指の屋敷である。

庄屋は村の統率者で、組頭、百姓代と共に村方(むらかた)の三役で、その最上位である。

郡代、代官の命を受けて村の統治にあたり、村の雑事から年貢の割当てなど責任のある仕事にあたった。一般に関西では庄屋といい、関東では名主と呼ばれていた。

築270年とは驚きです。
昔の日本建築の技術の高さをうかがい知ることができます。

ほこらさん

説明看板より

古老の話では、昔このあたりに尼寺がありここの墓の三基は尼僧の墓である。
他の一基はこの辺一帯は湿地で蛇が多く住んでいたので蛇塚であるといわれている。

新道ができるまでは、土壁の西に南向きに建てられていたもので、土壁の南の小道は八王子神社(下之宮)への参道であった。

村の人たちは親しみをこめて「ほこらさん」とよんでいる。
古くからお参りすると、健康で頭が良くなると言われていて、いまでも花や線香が立てられ、お参りが絶えない。

おそらく、立派なもの三基が尼僧のものでしょうね。
お参りするのを忘れました(笑)

ここから再び山中渓駅に戻ってきました。
先に進みます。

山中関所跡

説明看板より

この地は、熊野街道(熊野古道)の山中関所跡地で東西から山がせまり、間に川が流れ、関所としては最も良い場所である。

南北朝時代に岸の和田氏の一族、橋本正高氏がここに関所を設けて関銭を課した。

応永2年(1395年)長慶天皇が河内の観心寺に法華堂の造営のために、この山中に関所を料所とされたとの記述がある。

この関所で課せられた関銭を前記の法華堂の造営のためにつかったものとおもわれる。

村の人は、ここを「ほけんとう」と今でも呼んでいるが「ほっけどう」が「ほけんとう」にかわったものであろうと云われている。

なお、この関所は、江戸時代に入って廃止された。

写真の石碑には

奉納大来妙典 永禄十二年 六十六部 浄泉 供養所 九月吉日 敬白

と刻まれています。
関所跡と関係があるのかどうかはわかりません。

六十六部とは、今で言うところの都道府県のことで、その霊場に法華経の写経を納めて回る行脚僧がいました。
66ヶ国すべてを回った記念に「六十六部廻国塔」を建てることがあります。
大辺路富田坂に入る手前の富田集落にも廻国塔があります。
この碑が廻国塔かどうかはわかりませんが。

【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑤へ続く

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