日本に文字は存在していた?

現在、「漢字伝来以前に日本には文字はなく、漢字から平仮名、カタカナが作られた」とされていて、それが通説になっています。
しかし、あくまでも素人考えですが、本当にそうなのか検証してみたいと思います。
信じるか信じないかはおまかせします。

日本の歴史

吉野ヶ里遺跡

日本では多くの遺跡が発見されています。

真相は定かではありませんが、鳥取県出雲市の砂原遺跡は約12万年前、岩手県遠野市の金取遺跡は約8万年前とされています。
仮にこれらが「行き過ぎ」だったとしても、縄文時代が約1万5千年前ということが通説になっていることは、誰もが疑わないでしょう。

そしてその通説が仮に間違いであっても、三内丸山遺跡は4200年~5900年前とされています。

時代が下って、我が国日本の設立が神武天皇即位の時ですから、その時から数えて今年で2680年です。
神武天皇の実在性が疑問視されていますが、それはひとまず置いておいて、2680年です。

その間、本当に文字はなかったのか?

日本最古の漢字の伝来は471年とされています。
しかし、この時を以て漢字が日本にすぐに広まったとは考えられません。
広がるまでには相当な時間を要したはずです。

これだけ日本で古い文明が見つかっているのに、そして古い歴史があるのに、本当にそれまで文字がまったくなかったのでしょうか?

あれだけ大きな古墳を作るほどの文明のある国家が、文字なくして発展できたのでしょうか?

長い長い歴史の中で、文字に起こそうという発想が生まれなかったのでしょうか?
それだけ、日本の民族は稚拙だったのでしょうか?

ちなみに、「四大文明」と私達は小学校で習いましたが、これが最近覆りつつあるそうですね。

神代文字とその存在の真偽

漢字がチャイナから伝わるずっと以前から、古来日本には「神代文字(かみよもじ・じんだいもじ)」と呼ばれる文字があったという説があり、現にその文字まで公開されています。

神代文字とは、日本各地で見つかった文字の総称で、様々な字体が発見されています。

これらすべてが、「漢字伝来以前の文字」とすることは危険です。
漢字伝来後に、秘密を守るために仲間内だけで通じる文字を意図的に作ったこともあるでしょう。

ひとくくりに見つかった文字すべてを「神代文字」と呼ぶのはいかがなものかと思います。
中には捏造もあるでしょう。
しかし、逆にこれらすべてを「捏造」とすることもできないのではないでしょうか?

自分が見ていないから「存在しない」と言うならば、電波や風は存在しないことになります。
話題にあがるということは、何かしらの根拠があると考える方が自然ではないでしょうか?
「火のないところに煙は立たない」と言われるように、霊魂や死後の世界の存在の有無についても、「見た」「体験した」という人がいるからそういった話が出るわけで「非科学的だ」と言って、すべてがすべて「捏造」「存在しない」とするのは考えものです。

神武天皇の存在の有無についてもよく取り沙汰されていますが、「ない」ことを証明すればいいのですから、否定する事は簡単です。

見つからなければ「ない」で片付けられます。
2680年前の事実です。
「ある」という証拠を探す方が難しいですよね。

そういった否定論者たちは、なぜ「あったこと」を証明しようという考えにならないのでしょうか?
あったことが証明出来れば、日本の歴史が世界一長く続いていることが証明され、日本の地位も上がり、国民ももっと我が国のことを誇らしく思うようになると思うんですがね。
もちろん、これをもって「日本が上だ」などという稚拙な考えではありませんよ、念の為。

キリスト教徒に「キリストの父親は人間だ」などと言おうものなら、殺されるかもしれません。
どう考えたって、神と人間の間から子供が生まれるわけはないのに、キリスト教徒はそれを信じています。
それでいいではないですか。
あえて否定する必要もありませんよね?
神道という古来の信仰がある日本で、神道の頂点である天皇の歴史を否定する人の意図が分かりません。
それを否定して一体どうなるんですかね?

神武天皇否定論は、日本を貶めようとしている人間の戯言に過ぎないと思います。

神代文字にも同じことが言えるのではないでしょうか?

神代文字についてはこちらもご参照ください。
古代文献と神代文字

「読む」「書く」は大和言葉

日本語は、大和言葉、漢語、外来語から成ります。

・・・漢語も外来語ですが。

現在の日本語は、漢語と外来語の単語がかなり入っていますが、大和言葉ももちろん健在です。
その中で、「読む」「書く」は大和言葉です。

もし、漢字伝来以前に文字がなかったとしたら、これらの単語の存在をどう説明するのでしょうか?

漢字伝来後に生まれたというのは、かなり無理があります。

カタカナの不思議

さて、平仮名は漢字を崩したもの、カタカナは漢字の部首から取って出来たものと習いました。
子供の頃は、逐一「この文字はこの文字からできた」と詳しく教わりませんでしたが、よくよく一字ずつ見てみると、結構おかしなところがあります。

「ス」「シ」「マ」「ユ」「ラ」「ル」「ワ」「ヱ」「ヲ」などは、かなりこじつけっぽいです。
「え?なんでそうなるの?」と思えます。

「ケ」なんか「いっそもう一本書こうぜ」と思えます。

カタカナの由来

また、平仮名の「あ」は「安」から出来ているのに、なんでカタカナは「阿」からなのか、平仮名の「い」は「以」から出来ているのに、なんでカタカナは「伊」からなのでしょう?

カタカナは表音文字です。
「止」の音読みは「シ」です。なんで「止まる」という大和言葉の「ト」なのでしょう?

また、なぜそもそも平仮名とカタカナを作らなければならなかったのでしょうか?
平仮名、カタカナ合わせて100字近くに上ります。

ひらがな・カタカナの起源については、こちらをご参照ください。
ひらがな・カタカナの起源
ひらがな・カタカナの起源②

ウエツフミの存在

こちらも真相のほどは定かではありませんが、その筋の方には有名な、豊国文字(とよくにもじ)という神代文字で書かれた「ウエツフミ」という古文書が存在します。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1118026
これを見ると、カタカナとまったく同じ文字が含まれていることが分かります。

文字は各地域で生まれた?

ここからはまったくの推論です。

たくさんの違った文字が発見された理由を考えたならば、おそらく当時まだ地域間の往来が盛んではなく集落ごとで生活していたため、その地域独自の文字が生まれたと考えられないでしょうか?

仏教の伝来と漢字

時代が下って、6世紀にチャイナから仏教が日本に伝来すると、その経典はもちろん漢字で書かれていました。
人々は、その経典を理解するために漢字(漢語)の習得が必要でした。
また、チャイナの学問を修めるには、漢語を勉強しなければなりませんでした。

これは、明治時代に日本の高等教育の教科書が英語で書かれたものしかなく、それを理解するために生徒たちが英語を勉強しなければならなかったことと似ています。
明治時代の日本人は、現在の日本人より英語が理解できていたし、話せていたのです。

仏教が一般庶民に広がりを見せるのは、おそらく伝来からずっと後のことでしょう。
それまでは、上流階級のいわるゆるエリートたちが、経典を理解するため漢語の勉強をしていたと思われます。

当時はまだ、各地に「神代文字」があったかもしれません。
しかし、各地に違った文字があるということは、仏教を広めることはもとより、他においても文書による意思の疎通が非常に難しかったものと想像できます。

そこで、表意文字である漢字を世に広めて共通の意思疎通ができるようにしようと、上流階級(国?)が働きかけたのではないか、あるいは、仏教を世に広めると同時に次第に広がっていったのではないかと考えています。

その当時は、「日本に文字がなかった」などと後世に伝えようとする人なんてもちろんいません。
「文字があったことが当たり前だった」からです。
当たり前のことをわざわざ伝える必要がないから、「文字がなかった」という証拠もないわけです。

「神代文字」を否定している人は、伊勢の神宮などで発見されている奉納文などをどう説明するのでしょうか?
当時の人々は、捏造した文字を奉納するほど、信仰心が適当だったのでしょうか?

こう考えると、「日本には漢字伝来以前に文字はなかった」という説が、いかに滑稽かが分かると思います。

まとめ

色々と持論を展開してきましたが、結論としては

・日本の長い歴史から考えて、漢字伝来まで一切文字がなかったことが不自然
・地域間の往来がさほどなかったため、各地域で独自の文字が生まれた
・仏教とチャイナの学問の伝来が、漢字を日本に広めた
・それまであった各地域の文字が、仏教の広がりとともに共通語として漢字に置き換わっていった

「なかった」と結論づけることは簡単ですが、今一度、神代の文字の実在性が証明されればと思います。
今後の研究結果が期待されます。

検察庁法改正法案の真相 マスコミを鵜呑みにしてはいけない

今日はちょっと話題の質を変えて、「検察庁改正法案の真相 マスコミを鵜呑みにしてはいけない」というお話をします。

ツイッターから始まったこの騒動ですが、初めてテレビで見た時は「とんでもない法案が、どさくさに紛れて通ろうとしている」と、私も思いました。

しかし、よくよくその真相を聞いてみると、
①ツイッターのトレンドは作られたもの
②明らかな論点のすり替え
であることが分かりました。

トレンドは作られたもの

ツイッターでよく使うトレンドの裏技?で、グループで1人あたり大量にツイートする方法があるそうです。
例えば、100人のグループがいて、それぞれ1000回ツイートをすれば10万です。
グループが大きければ大きいほど、その威力が増します。

ただし、ツイッター側もこういった行動を監視していて、一人が何百回も同じ内容をツイートしているようなものを見つけるとBAN(スパム扱い)となるそうです。

今回の「検察庁法改正案に講義します」というこのツイートも、BANとなっています。
つまり、やらせです。

しかし、「トレンドになった」という事実だけを切り取ってマスコミが一斉に報道を始めたため、事態がさらに大きくなってしまいました。

そもそもの問題は?

この問題の根っこは、

「国家公務員の定年を60歳から65歳までにする」
「併せて、検察庁法で定年が63歳となっているものも65歳までに引き上げる」

ということです。

検事総長のみ定年が65歳になってるので、すべて同じ定年にしようというものです。
黒川氏の人事と、この法案の問題は別です。
黒川氏の「続投」は、1月の閣議決定ですでに決まっていました。

国家公務員の定年延長問題は、公務員の労働組合から、10年くらい前からずっと突き上げられていた問題であり、もちろん野党議員も、「早くしろ」と突き上げられていたわけです。

ではなぜ、このタイミングで「騒ぎ」が起こったのでしょうか?

騒ぐだけ騒いで、最後は法案通過を狙う野党議員

10年くらい前からあったこの問題、野党議員も「保身」のため、どうしても通して欲しい法案なのです。
しかし、国家公務員に関係あるのは自分たちの定年延長。
検察庁は関係ありません。
野党はそこをついているわけです。

野党議員が目くじらを立てて騒いでいますが、裏で法案を通そうとしているのは、立憲民主党です。
いかにも「国民のため」のように騒ぐだけ騒いで、最終的には法案が与党によって可決されたというパフォーマンスをしているだけです。

これで仮に、検察庁法の改正だけ見送りになれば、野党側の「思うツボ」です。
安倍内閣の支持率も下げることができるという大きな「オマケ」つきです。

野党はとんだ茶番をしているということです。

法律の条文を変えようとしているのに、「法律を捻じ曲げるのはけしからん!」というのは筋違いです。

マスコミのニュースを鵜呑みにしない

私はまず、ニュースで一見「とんでもない」と思えるような内容も、まず「なぜそうなったのか」と、自分なりに考えてみます。
テレビは一方的に情報を流すため、視聴者に考える時間を与えてくれません。
そのまま見ていると、それが真実かどうかも判断できないまま、そのまま受け止めてしまいます。

アナウンサーは、あがってきた原稿を読むだけです。
「ネットはフェイクニュースが多い」とよく言われますが、実名と顔をさらす人物が発する見解は、真実が多いと私は思います。
これは、本を出版する時とよく似ています。

自分が言ったことに責任があるからです。
仮に間違っていれば、もう見てくれませんし、本を買ってはくれません。

テレビで見たニュースなどは、まずはなぜそのようなことが起こったのか、考え、疑ってかかることをオススメします。

しめ縄の意味

今回は「しめ縄の意味」についてお話しようと思います。

お客様をご案内していると、よく聞かれるのが、しめ縄の意味です。

ガイドをしていて思うことは、日本人にとって当たり前で、考えもしていなかったことについての質問が多いということです。
目に止まった不思議なものについて疑問を持つことは、私達が海外に行った時も同じですよね。
ただ、あまりにも当たり前過ぎて、考えることすらしません。
逆にいうと、下見などをする際は、「日本の当たり前」に目を向けてみれば、だいたいの質問を予測することができます。

結界

みなさんご存知のように、しめ縄は神域と俗世間とを分ける結界とされています。
起源については、同じようなことがネットに書かれていますので省略しますが、日本の神話がその起源だとされていますよね。

また、しめ縄には、封じるという意味もあるそうです。
大国主命が国を譲った際、例えば腕は〇〇、足は△△など、それぞれの部分に名前をたくさんつけられて、自分が誰かわからなくなるようにされ、再び力をつけられないようにしめ縄で結界を張って封じられた・・・という内容の話を聞いた(読んだ?)ことがあります。

あのでっかいしめ縄には、そういった意味が込められていると聞いた(読んだ?)ことがあります。

確かに、大国主命には、大穴牟遅神、大己貴命、葦原色許男、宇都志国玉神など、たくさんのお名前があります。
これは、「一人の神ではなかった」とされる説もあるようですが、仮に大国主命が一人だったとして、色んな人から違う名前で呼ばれれば、「私は誰?」「本当の名前は?」となりますよね。

話はそれますが、出雲大社の参拝作法は、柏手を4回打ちますが、あれにも「封じ込め」の意味があるとか。

それはさておき、この「別名を与えられて自分が誰か分からなくなる」という話、「千と千尋の神隠し」ですよね。

しめ縄から垂れ下がっている紙の意味は?

しめ縄については「結界です」と説明すれば納得はしてくれますが、では、あの白い紙についてはどうでしょうか?

あの紙は「紙垂(しで)」と呼ばれるもので、神の降臨を表すとか、雷を表すとかいう意味があるそうです。
「四手」とも書くようですが、いずれにせよ、当て字でしょうね。

でも、「結界」「神の降臨」「雷」と説明されても、「では何で雷なんだ?」という、新たな疑問が湧いてきます。
それを解決してくれるのが、しめ縄、〆の子、紙垂をセットで説明する次の説です。

雷と豊作

宮沢賢治が花巻農学校で教えていた時に説明していた説と、古来の日本の稲作文化を考えた時、これからお話する説が、一番納得がいくように思えます。

しめ縄の縄の部分が雲、〆の子(縄から垂れ下がっている藁の飾り)は雨、紙垂は雷を表しているそうです(これは宮沢賢治の説ではありません)

ここからが宮沢賢治の説明ですが、雷が落ちたところは、お米がよく育つと言われています。
宮沢賢治はその理由として、自身が教鞭と取っていた花巻農学校で

①雷が害虫を殺す
②雷が空気中の窒素を分解して、雨と一緒に徐々に地中に染み込ませる

と教えていたそうです。

稲作文化

日本は、弥生時代から稲作が始まったとされていますが、古来より、日本は稲作文化で今日までの繁栄を築いてきました。
米の豊作は、当時の人々にとって、非常に重要であったことは想像に難くありません。

また、昔は神社にお参りした際、お賽銭の代わりに米を供えたり、撒いたりしていたという話を聞いたことがあります。
米は日本人にとって欠かせないものであり、その年に穫れたお米をお供えすることで、神に感謝を捧げていたのでしょう。

藁で出来たしめ縄は、「来季の豊作」という意味でお供えされていたものが、時代が下るにつれて神聖化し、結界を意味するようになったのだと、私は思っています。

小難しい説明は抜き

お客様に説明する時は「窒素が云々」とは言いませんが、だいたい以下のような説明をしてます。

①縄は雲、〆の子は雨、紙垂は雷を表す
②雨と稲作は重要な関係にある
③お賽銭の習慣が始まるまでは、昔の人々はお米を供えていた
④人々は、藁で出来た縄を、豊作の願いを込めて供え始めた
⑤時代が下ってそれが神聖化し、結界を意味するようになった

外国のお客様は当然、日本国内を旅して回ります。
そして、熊野だけではなく、他の地域でもガイドを雇う場合が多いです。

ある日、しめ縄の意味を聞かれて上記の内容で説明すると、「今まで色んなガイドに聞いたけれど、その意味を答えてくれたのはYoshiが初めて」と、納得してもらえました。

まあ、「これが正しい」とは言い切れませんので、「一説として」という断りは入れてはいますが。
正しい、間違っているを抜きにして、あらゆる質問にお客様にいかに納得してもらえるかが、「名ガイド」に必要な一つの能力だと思います。

常にアンテナを張り巡らせる

冒頭の話に戻りますが、下見などをされる際は、特に目に飛び込んでくるものについて、外国人目線でものを見る癖をつけておくと、質問されそうなところが予測できるようになってきます。

経験としては、神社にある提灯、絵馬、幟(のぼり)、お墓の卒塔婆、お寺の千社札などはよく聞かれます。
予めご自身で答えを用意しておくといいと思います。

頑張ってください。

非英語圏の不利。高校から英語は選択科目にすべし

今回は、「非英語圏の不利。高校から英語は選択科目にすべし」という、ちょっと過激なタイトルですが、このことについてお話しようと思います。

英語教育早期化に疑問

私が子供の頃、英語の義務教育は中学に入ってからでした。
今は小学3年から英語に触れ始めるそうですね。

日本語もおぼつかない子供たちが、果たして新しい言語を習得できるのか?そして、日本語の習得にも影響が出ないか心配です。

英語勉強の分だけ、英語圏の人より勉強に充てる時間が短くなる

グローバル化、ボーダレス化などと言われていますが、決してそれらがいい効果をもたらすとは限りません。

そして何より、英語勉強に割かなければならない時間があるということは、その必要のない英語圏の人間と比べれば、それだけ不利になっているということを自覚していただきたいです。

彼らは「国語」だけ習っておけば事がたりますよね。
彼らは、私達よりもずっと多くの時間を使って、さらなる専門分野を習得できます。
英語圏の人間に優秀な人材が多い原因の一つであることは間違いないと思います。

英語の社内公用語化は愚の骨頂

楽天の三木谷氏が、安倍政権と絡んで英語教育を推進しているそうですが、本当に止めていただきたいです。

「世界企業は英語を話す。『英語公用語化』で、日本は復活する」などと言っているそうでね。
その理論の裏付けとして、シンガポールの成功を引き合いに出していますが、シンガポールは多国籍国家であり、マレー語、マンダリン、タミル語、英語を話す人がいるという理由があり、共通語を作らなければお互いの意思疎通ができません。
世界の共通言語が英語であったため、シンガポールでは英語が事実上の公用語になりましたが、リー・クワン・ユー氏のこの選択は、私は正しかったと思います。
もちろん、リー氏の「世界から優秀な人材を集めるため」というビジネス的な理由もありますが、単一民族・単一言語の日本において、果たして「英語を公用語化すれば日本は復活する」と安直に考えるのはいかがなのものか、甚だ疑問です。
シンガポールと日本は違います。

ユニクロも、社内の公用語は英語なんですよね?
社員の目標は、TOEIC700点以上だとか。
はっきり言って、TOEIC700点やそこらで、どうやってビジネス英語を使うんでしょうか?
やるだけ無駄です。
そして、使わなければ忘れてしまいます。
まさに時間の無駄です。
では、ユニクロの店員さんに英語で話せば対応してくれるんですね?
一回やってみようか?(笑)

「グローバル化」「ボーダレス化」のために、社員が必要のない英語を勉強させられては、彼らが可哀そうというものです。
おそらく、こういった企業に入社する人材というのは、その企業のファンでしょう。
そしてその企業で、世間の役に立ちたいと思って入社したはずです。

英語を社内公用語化したところで、英語を使わなければいけない状況がどうやって発生するのか、また、全社員にその可能性があるのか、甚だ疑問です。
稚拙な英語の表現だけでやり取りするのであれば議論も深まりませんし、意思の疎通も完璧にはできません。
英語能力に個人差もありますのでなおさらです。
母語である日本語での意思疎通でも難しいというのに、英語で一体どうやって社員同士の意思疎通ができるのでしょうか?

彼らには趣味もあるでしょう。
他に勉強したいこともあるでしょう。
もっと専門性を身につけたい人もいるでしょう。
「英語公用語化」は、そういった人の芽を摘み取ってしまっています。

高校からは英語を選択科目に

これは、義務教育ではない高校でも同じです。
すでに義務教育ではないのだから、全員が英語を勉強しなくてもいいでしょう。

日本の英語教育の方法にも問題がありますが、それはちょっと置いといて、仮に中学までの英語を使えるようになれれば、あとはその積み上げ、あるいは応用なので、中学英語さえ学べば十分意思疎通くらいはできるようになっています。

日本史を選択科目にするくらいなら、英語を選択科目にして、将来英語を使う仕事に就きたいと思う人だけ高校以上で学べばいい。
小学校から英語を学ぶ代わりに、高校で英語を選択制にすることで、多くの人にとって不要とされる英語勉強の時間を割かなくても済むようになります。

・・・まあ、日本の「日本史」はGHQによって作られたもので、日本の自虐史観がたっぷり詰め込まれていますから学ばない方がいいですがね。

話はそれましたが、左官屋になりたい、漁師になりたい、農家になりたい、パン屋になりたい。
そういった人に高校英語以上の高等な英語教育が必要でしょうか?

英語を学ぶ時間を他の科目に充てる方が、もっと日本人の学力が上がり、優秀な人材が生まれると思うのは、私だけでしょうか?

日本語を守り、広めるという発想

日本をはじめ、アメリカ、ドイツ、中国、フランスなど、今日の経済発展を遂げた国はいずれも、母語を守ってきた国々です。

発展途上国では、大学で教育を受ける場合、母語に翻訳されている教科書がないため、大学以上の学問はすべて英語でしなければなりません。
そのため、英語ができない人はもれなく、エリート入りから外れてしまっています。
そしてそれが、貧富の差を生みだしています。

フィリピンやケニアは、いずれもすぐれた英語話者がいるにも関わらず、いまだに貧しい国です。
英語が出来る人と出来ない人で格差が生じているために、このようなことが起きているといっても過言ではありません。
日本が英語化を推し進めることによって、フィリピンやケニアと同じことが日本でも必ず起きます。

また日本は、他の発展途上国において「英語が出来なくても豊かになれる国の象徴」とされています。
もし仮に日本が日本語を捨てて英語化しようものなら、その国々の人たちの希望もなくしてしまいます。

フランスでは、広告での英語の使用が禁止されています。
どうして日本語を世界に広めようという考えにならないのか、古来からの母語を守ろうとしないのか、そういった考えを持った人が、一人でも多くいることを願って止みません。

終身において、母語での教育が受けられる環境に

しかし、日本人は、自分たちの価値観などを押し付けることは苦手です。
日本がアジア諸国を統治していた時代は、日本語による教育が行われていましたが、これはさきほどお話したことと同様、その現地の母語に翻訳された教科書がなかったからです。

今、私達日本人にできることは、英語で勉強をしなくてはいけない、恵まれない環境にいる人たちに、ずっと母語で学ぶことができる環境を整えてあげることだと考えています。

それには、私達はこれからどうすればいいのか、考えていきたいと思っています。

同じ考えの方がいらっしゃたら、ぜひ力をお貸しください。

ひふみって何?

今日は話題をまったく変えて「ひふみ」についてお話します。
信じるか信じないかは、あなた次第です(なにかの番組みたいやな)

みなさんは「ひふみ」についてどれくらいご存知でしょうか?
今は数を数える場面でも「ひふみよ・・・」と言われることがなくなりましたね。

しかし、まだ「ひとつ」「ふたつ」「みっつ」とは数える方も多いと思いますが、その中にはきちんと「ひふみ」は入っています。

では、その「ひふみ」を最後まで言える人は、どれくらいいるでしょうか?

「ひふみ」は祝詞

現在、神社でよくあげられている祝詞は「天津祝詞(あまつのりと)」と呼ばれるものです。

「たかまのはらにかむづまります~かむろぎかむろみのみこともちて・・・かしこみ~かしこみ~もうす~」

というやつです。

祝詞にはたくさんの種類があり、天津祝詞をはじめ、大祓詞(おおはらえのことば)、十種神宝祓詞(とくさかんだからのはらえことば)など台詞の決まっているものや、神前結婚式などで宮司さんが「作詞」するものまであります。

ひふみは、そうした祝詞のなかの一つです。

意味は私にはわかりませんが、この祝詞には強い言霊の力が込められているそうです。

ということで、私は毎日神棚にこの「ひふみ」の祝詞に加え、「いろは」の祝詞もあげています(ちなみに「いろは」も祝詞です。空海が作ったと言われていますが、神が「いろは」に意味を持たせるように、空海に作成を命じたんだとか)

それはさておき、一旦ひふみ祝詞をあげ始めたなら、毎日続けなければならないそうですが、自分の時間がある時にあげることから始め、徐々に毎日あげるように習慣付ける方法でもいいそうです。

ひふみ よいむなや こともちろらね
しきる ゆいつわむ そをたはくめか
うおえ にさりへて のますあせえほれけん

「お」が「を」なのか「え」が「ゑ」なのかは微妙なところですが・・・

一音一音丁寧に伸ばし、神様に届ける気持ちであげるといいそうです。
祝詞には、神の言霊が強いとされる大和言葉が使われていますので、興味のある方は是非始めてみてください。

祝詞をあげ始めて何か変わったか?と言われれば、はっきり言って微妙ですが、毎日形だけでも祈り続けることによって、徐々に何か大きなものに守られているという感覚が働くようになります。

結果的に感謝することが普通になり、それによって幸運が回ってくるのだと思います。

ひふみの浄化

突然ですが、地球も人間や他の動物と同じ「生命体」です。

人間なら病気になれば熱が出たり、せき、くしゃみ、鼻水などを出して病原菌を体から追い出そうとする作用が働きます。

地球も同じだそうです。

地球が病む(汚染される)と、洪水が起こったり火山の噴火が起きたり、台風が起きたりして病を治そうと働くそうです。

「ひふみの浄化」という言葉を聞いたことがあります。

「ひふみ」はそれぞれ「火」「風」「水」とされ、まず火で焼き払い、風で消して、最後に水で流す・・・という「治療」を地球が起こすそうです。
病の症状が重ければ重いほど、この作用は強くなるそうですが、これは人間も同じですよね。

これを聞いたとき、私は「なるほど」と妙に納得してしまいました。

しかし、現在は燃やすと逆に化学物質のせいで汚染が進むので、その順番も狂ってきているようです。
火山の爆発も起こっていますが、それよりも洪水がやたらと多いのも、このためなんでしょうね。

現在のコロナウィルスも、人が広めてしまったのものであることは間違いないと思いますが、こうした人の過ちでさえも、言葉は悪いですが「地球の浄化作用」が働いているのかもしれません。