ひらがな・カタカナの起源

カタカナの起源

昨日の谷山先生の講座で、少し横道にそれた?お話が面白かったのでご紹介をします。
もちろん、何の脈絡もないところからこういったお話が出たわけではありません。

「2ヶ月」と書いて「にかげつ」と読むことは日本人なら誰でも知っています。
本来であれば「2ヵ月」と表記するのが正しいのですが、ではなぜ「ヶ」を「か」と読むのでしょうか?

これは、どういう経緯でカタカナが生まれたのかを知ることによって解決します。

カタカナの場合、漢字からその音にあたる一部を抜き出す「省筆(しょうひつ)」から生まれたと言われています。

上記の「か」には漢字では「加」「箇」などがあり、「加」なら偏にあたる「カ」の部分、「箇」なら竹冠の「ヶ」を取ったというもの。

では、なぜこのようなことが起こったのかというと、仏教の伝来との関係が深いそうです。
仏教が日本に伝来した時、お経はすべて当然のことながら漢字で書かれていました。
若い見習いの僧がお経の読み方を学ぶ時、画数の多い漢字を覚えるのに時間がかかる上にお経のスピードについていくことが困難だったため、教える立場にある位の高い僧が漢字の一部を取って「この漢字はこう読む」と決めて教えたそうです。

そうなれば、同じ音でも違う漢字がたくさんあるため、それぞれの寺で独特のいわゆる「カタカナ」が生まれたそうで、たとえば東大寺でしか通じないカタカナなど、お寺単位でしか通じないカタカナが存在していたそうです。

時代は下って明治の世になると、1900年に政府がそれまでたくさんあったこのような「カタカナ」を統一するという政策が取られ、現在のカタカナに落ち着いたそうです。

先ほどの話に戻ると、「加」も「箇」も同じ「か」だったものが、「カ」が「通用体」として採用され、「ヶ」は「変体仮名」として葬られた?そうです。
しかし、その名残がいまだに残っているために、「ヶ」を「か」と読むこともあるのだそうです。
同じように、他の文字にもたくさんの「変体仮名」があったそうですが、すべて一つに統一されました。

では、なぜ明治時代になってからこのようなことが起こったかといういうと、断定はできないそうですが日露戦争が関係していたのではないかと言われているそうです。

当時はすでに「ロシアとの戦争やむなし」の機運が高まっていた時であったものの、通信技術などは当然発達しておらず、作戦などは伝令が文書で伝達する方法が取られていました。

そこで、その地方でしか使われていない文字で書けば、当然他の地方の人はその作戦が何を意味しているのか、理解することができません。
そういった混乱を避けるためではなかったろうかと言われているそうです。

いずれにせよ、漢字の省筆によって生まれた文字がカタカナというお話でした。

明日に続きます。


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