ソサノヲとハタレの乱と高野山

ソサノヲとハタレの乱のお話です。

ヤマタノオロチを仕留めたソサノヲは、後に契を結んだイナダヒメとの間に男子をもうけます。
そこでワカヒメのところに行き、「私はめでたく男の子を授かりました。ですからこれで私の心は清らかだということがお分かりになったのではないでしょうか」と伝えましたが、ワカヒメはまだソサノヲの心が清らかではないことを見抜いていて、「まだあなたの心は清らかではない」と伝えます。

このあと、ソサノヲがオロチを斬り殺したことから、それを聞いた全国のオロチが蜂起し、建国以来最大規模の「ハタレの乱」を引き起こしたのです。

大規模な反乱が各地で起こり、その回数は計6回に及びます。

その中において、四国でハタレが集結し、キシヰ国(和歌山県)に攻め込んできました。
有能なアマテルカミの家臣の一人・タケミカツチは、タカノ(高野山)で手際よく捕虜を捉え(その数1900人)、その捕虜を将兵たちとともに縄で縛って連行する際に、誤って縄で捕虜の首を絞めて引き摺り殺してしまい(なんという怪力)、多くの捕虜が命を落としてしまいます。

勇猛・有能なタケミカツチでさえも、失敗をしてしまったのです。
アマテルカミからは、殺さずに懐柔せよと伝えられていたので、タケミカツチは大いに後悔します。

高野山

その後、ハタレの乱で命を落としたタカノ(高野山)には、化け物が出るとの報告があり、イフキドヌシが出向いて宮を建て、慰霊祭を行ったところ鎮まったそうです。
アマテルカミはイフキドヌシに「タカノ神」の称え名を賜りました。

弘法大師空海が寺院建立の地を高野山と決定したのも、どうやらこの話があったからのようです。
まあ、「三鈷杵を唐から投げた」でもかまいませんが(笑)

ハタレの乱鎮圧

さて、その頃ソサノヲはワカヒメに「清らかではない」と告げられてから、出雲で隠遁生活をします。
イフキドヌシが討伐軍を連れて出雲に訪れた時、ソサノヲは蓑笠剣を投げ捨てて涙をためてイフキドヌシに擦り寄ってきました。
よほど後悔していたのでしょう。

そして、これまでの過ちを悔い改めると誓い、討伐軍に協力することになります。

アマテルカミと有能な家臣の働きによって、ようやく大規模な反乱を鎮圧することに成功し、後にソサノヲはアマテルカミからも許しを得て、サホコ(出雲の国)を治めることになりました。

改心したソサノヲは、出雲の地の発展に尽力したことから、アマテルカミより「ヒカワカミ」の称号を与えられます。

・・・いやあ、この一連のソサノヲの話が、私にとっては衝撃でした。
記紀ではただの暴れん坊という印象ですが、ホツマツタヱでは人間臭さがあり、また、まさか不倫の話まで出るとは予想もしていませんでした。

余談ですが、私は年に2回伊勢にお参りをしますが、道中で偶然見つけた尾鷲神社にも必ずお参りをしています。
ここの御祭神が須佐之男様で、初めてお参りをした時、それまで無風だった境内に急に強風が吹き荒れるという不思議体験をしました。
須佐之男様の「手荒い歓迎」かなと思い、ますます親近感が湧きました。

キシヰ国

和歌山の古名をキシヰ国というそうです。
今はその面影はほとんどありません。
「貴志川」など、わずかに残っている程度です。
ちょっと「きしゅう」という発音にも似ていますね。

イサナミの死

今回は、イサナミの死についてです。

記紀では、火の神・カグツチノミコトをお産みになる際に火傷を負って亡くなっています。
ホツマツタヱではどうでしょうか?
はじめてのホツマツタヱ 天の巻によると、

ソサノヲが、育ってきた稲の上からまた種を撒いたおかげで、その年に収穫できるはずのお米が穫れなくなってしまいました。
熊野地方は、山が海岸線まで迫り、地形的に稲作ができる所が限られていたため、人々の生活は楽なものではありませんでした。

イサナミは、ソサノヲの所業をすべて自分の責任だと深く心に刻み、稲作の減収を償う決意をされます。

イサナミは、山焼きをして傾斜地には桑を植えて養蚕を興し、平地は水利を整えて水田や農地を増やす事業を進めます。

しかし、ここで不運が起きます。

山焼きをしていたイサナミに、風向きが変わった炎が襲いました。
火に囲まれ、逃げ場を失ったイサナミは、お亡くなりになりました。

イサナミの亡骸はアリマ(三重県熊野市有馬町花の窟神社)にお納めし、その後この地の人々は、毎年桑の花が咲く春と、稲穂が色づく秋に、イサナミを偲んでお祭りをしています。

・・・火傷を負ったということは記紀とホツマツタヱの共通事項ですが、ホツマツタヱでは現実的にイサナミの死について描かれています。

岩戸隠れ

話は少し戻ります。

はじめてのホツマツタヱ 天の巻には、このような内容で書かれています(役割分担のくだりは複雑なため、省略しています)

ソサノヲの暴挙に、とうとうアマテルカミは岩戸に閉じこもってしまいます。
太陽のように当たり前だった存在の人物が姿を隠したことは、まさに太陽が沈んだように感じられました。

この事態を知ったワカヒメの夫・オモイカネは、アマテルカミを岩戸からお出ましになるための祈りを行うことにしました。

そこで役割分担を決めました。場を清める者、会場を設定する者、歌う者、踊る者・・・こうして、歌と踊りでアマテルカミの気を引こうとします。
そして、集まった者全員が、その歌と踊りに酔いしれました。

その歌声は、岩室にいるアマテルカミにもかすかに聞こえてきました。
アマテルカミも次第に心が和んで「歌をもっと聞きたい、近くで踊りを見たい」と思い、少し隙間を作って岩を開けた瞬間に、タチカラヲが岩戸を開き、アマテルカミの手を取って外へとお連れしました。

ツワモノヌシが岩室の入り口にしめ縄を張り「もう岩室にはお戻りにならないでください」と申し上げました。

・・・随分と省略しましたが、「会場設定」のくだりや、アマテルカミの岩室の中での心境など、少し違いはあれど、この話は記紀と大筋で一致しています。

ヤマタノオロチ退治

ワカヒメとの「誓約」を終えると、ソサノヲはネの国に向かいます。

さて、ソサノヲに恋心を抱いたハヤコの執念は相当なもので、ソサノヲの婚約者を次々に殺害していきます。

このハヤコに、水田による農業の改革で、その恩恵に預かれなかった人々が同調して集まってきました。
この「悪党」のことを「オロチ」と言います。

ネの国に着いたソサノヲは、出雲の村長を訪れた時に「ヒカワの八重谷にオロチがいて私の娘七人が奪われて殺されてしまいました」という話を聞きます。
そして、最後の娘イナダヒメも奪われようとしていると聞きます。

こうしてソサノヲは、オロチ退治を決意します。

ソサノヲはその晩、姫の格好をして酒を用意し、オロチの館で待ち受けます。
そして、オロチが酒を飲んで寝たところを斬り殺しました。
さらに、この騒動の「首謀者」、ハヤコも斬り殺します。

この時に使った剣を「ムラクモの剣」と言います。

・・・記紀では「ヤマタノオロチ」を斬った時に、その尻尾から剣は発見しますが、ホツマツタヱでは始めからソサノヲが使っていたんですね。
また、「オロチ」が悪党のことを指すことに、合点がいきます。
神話は神話として読めばいいと思いますが、個人的にはこうした現実味のある話の方が好きですね。

天照大神と須佐之男命の誓約(うけい)

イサナギ・イサナミの第一子を覚えているでしょうか?
ヒルコヒメこと、ワカヒメです。
ワカヒメは歌に秀でていたことから、後に「五七五七七」の歌を「ワカ」と呼ばれるようになりました。

さて、ソサノヲはアマテルカミからネの国へ追放されます。

ネの国に行く途中、姉のワカヒメの所を訪ねます。

ワカヒメは、ソサノヲの暴れん坊ぶりに、自分の国を奪われるのではないかと思っていました。
当時ワカヒメは、オモイカネと結婚し、琵琶湖近くのヤスカワ(滋賀県野洲郡中主町あたり)に住んでいました。

ソサノヲがワカヒメに「私は国を奪いに来たのではありません」というと、ワカヒメは「それならば、そのことをどのようの証明するのか」と尋ねました。

「もし、私がネの国に行った後に女の子を授かるようなら、私の心はまだ汚いものだと思ってください。でも、男の子を授かったならば私の心が清らかになったと思ってください」

と言い残し、ソサノヲはネの国に向かいます。

・・・あれ?

この話、天照大神と須佐之男の話ですよね。
しかしホツマツタヱでは、ソサノヲとの誓約を交わしたのは、イサナギ・イサナミの長女・ワカヒメだったのです。

記紀では女神の天照大神が男装をしたと思わせる記述で語られています。
そのあと、「神産み合戦」をします。

一方ホツマツタヱでは、ワカヒメが「戦闘態勢」を整える記述があります。
そして、「神産み合戦」ではなく、「私の子が女の子ならば、男の子ならば・・・」と、サラッとしています。

このように、記紀ではどうしても話のつじつまが合わない所が出てきて、読者を混乱に陥れてしまうところがあります。
記紀こそ編纂者の解釈が間違っていて(あるいは意図的に別解釈をして)、つじつま合わせのために書き加えられた可能性があるのではないでしょうか?

それよりも、誓約で登場するのは天照大神ではなく、ワカヒメですから。
根本的に違いますよね。

「天照大神が女性でなければ、須佐之男命との間に御子神が生まれないではないか」という反論が来そうですが、ではそういう方に逆にお聞きします。

黄泉の国から戻られたイザナギが、単身で天照大神以下月読、須佐之男といった十四柱もの神々を産んだという記紀の記述に対して、どう説明されますか?

ホツマツタヱを読み進めていく度に、天照大神(アマテルカミ)が男性だということが当たり前になってきます。
それでないと辻褄が合いませんしね。

神話は神話で楽しんで読めばいいと思います。
ただし、それを「正史」として解釈・研究をすることとは別問題です。

アマテルカミが男性だということは、いずれ明らかにされていくことを期待します。
女系天皇容認論者を黙らせるためにも、この証明は必要だと私は考えています。

ソサノヲ追放

青年になったソサノヲは、父・イサナギからネの国に行くように言われます。
ネの国とは現在の新潟県、富山県、石川県、福井県、京都府の日本海側を指すそうです。

ネの国は国政が乱れていたので、ソサノヲはその改善を命じられたのです。

その中でソサノヲは、サホコ(出雲)で自分の居場所を見つけ、ある女性と結婚しようとしますが、アマテルカミの了解も得ないままであまりにも急すぎたために破談になってしまします。
この一件から、ソサノヲはアマテルカミに恨みを持つことになります。

一方で、アマテルカミの后・モチコはアマテルカミとの間に授かった子が、アマカミの地位に就けないことを恨みに思っていました(アマテルカミの后は12人いて、そのうちの正后・セオリツヒメ(ホノコ)の子が継承すると決まっていました)

さらに、モチコの妹・ハヤコも、アマテルカミの元に嫁いでいましたが、あろことか、ソサノヲに恋心を抱いてしまいます。

こうして、ソサノヲ、モチコ、ハヤコは、アマテルカミを殺害し、ソサノヲをアマカミにしようという計画を立てます。
しかし、この計画を、セオリツヒメの妹でもあり、アマテルカミの后の一人でもあるハナコに知られてしまいます。

ソサノヲは、ハナコに告げ口をされた仕返しに、ハナコが機織り(はたおり)をしていた家の屋根に穴を開けて馬を投げ入れます。
驚いたハナコは、逃げた際に機織り機の一部が突き刺さってしまい、命を落としてしまいます。

他にも、すでに成長していた稲に上から種を撒いて稲の成長を阻害したり、神衣を織る斎服殿を汚したりもしています。

こうした一連の事件を引き起こした罪で、ソサノヲは髪を切られ、爪を抜かれて死刑になるところを、セオリツヒメの助命のお言葉により、命拾いをします。

助命されたソサノヲは、今度は「追放」という形で、ネの国に向かうことになるのです。

ソサノヲ追放の真意

古事記では、馬を投げ入れて亡くなった女性を「機織り女(はたおりめ)」としか書いていません。
ソサノヲは単にいたずらをしたのではなく、その背景には、アマテルを殺害し自分がアマカミになろうとする計画を告げ口した、セオリツヒメの妹であり、同時にアマテルカミの后の一人でもあったハナコへの仕返しでした。

「ホツマツタヱは偽書だ」と言っている人がいるようですが、私が思うに、たとえホツマツタヱが偽書であったとしても、本当に話がよくできていますし、その内容には説得力があります。
もちろん、ホツマツタヱが一番正しいとは言いません。

記紀とホツマツタヱ、どちらが話の筋が通っているかはあなたの判断にお任せしますが、私は読めば読むほど、記紀で語られていたことに対する疑問が次々に解けていき、知らない間にその世界に引き込まれてしまっています。

次は記紀に登場する天照大神と須佐之男命の誓約の話です。

ソサノヲとクマノ宮

イサナギ・イサナミの三男として生まれたソサノヲは、幼少の頃から我が強く、気に入らないことがあれば駄々をこね、大声で叫び、泣きわめいていました。

ホツマツタヱには、ソサノヲが生まれた時のことを、このように書いているそうです。

ソサ国に生む
ソサノヲは 常に雄たけび
泣きいさち 国民くじく
イサナミは 世のクマなすも
わが汚えと 民の汚えくま
身に受けて 守らんための
クマノ宮

その性格は成長しても治まらず、イサナミは、自分の汚れがソサノヲに宿ってしまったのだと思います。

そして、世の隈を一身に受けて民を守ることを決意され「クマノ宮」にお住まいになり、ソサノヲの悪行の償いを始めます。

ソサ国とは紀伊半島南端部の古名。
ソサノヲはそこで生まれたので「ソサノヲ」と名付けられました。

本宮大社の主祭神、家津御子神(けつみこ)ですが、古代史ホツマツタヱの旅 第2巻によると、「け」とは汚気(おけ)のことで、「つ」は上下をつなぐ助詞であり、「汚気から生まれた御子」つまりソサノヲのことをいうそうです。

また、本宮大社の創建年代は一応「不詳」となっており、最古の文献では崇神天皇65年(紀元前33年)とされていますので、一応今年(西暦2020年)で、創建2052年となっていますが、仮にこの「クマノ宮」が本宮大社だとすると、創建年代はもっと古くなります。

アマテルの時代が紀元前1000年頃とされていますので、3000年はくだらないことになります。

イサナギ・イザナミの子② 

イサナギ・イサナミは、諸国に水田開発を行い、同時に重労働であった農作業に牛と馬を用いることを広めます。
また、方言などで意思疎通が困難であったことから、国語を「アワウタ」とともに広めるなど、多くの功績を残しました。

あかはなま いきひにみうく
ふぬむえけ へねめおこほの
もとろそよ をてれせゑつる
すゆんちり しいたらさやわ

余談ですが、この歌を歌う(というか音読する)と、気持ちと体が整ってくるそうですよ。

師・トヨケカミとの出会いからアマカミへ

さて、アマテルカミは、私的に甘やかしてはいけないということで、第5代タカミムスビ・トヨケカミに預けられ、ここで「アマナルミチ」を学び、アマカミとしての資質を磨いていくことになります。

そうして8代目アマカミとなったアマテルカミは、この時代に起こったハタレの乱を通して、国の基本方針を見直し、次世代につながる政治をしようと改革をします。

当時から、1年は365日であることがわかっていたそうですが、暦は月のものを使っていたそうです。
そこで、「閏月(うるうづき)」を入れ、1年を13ヶ月としたそうです。
また、道州制の導入、量刑の制定、男女の役割制度の確立(男性は外で働き、女性は家事を行う)などを取り決めました。

また、この時代に「ミクサタカラ」、いわゆる「三種の神器」が揃います。

ツキヨミ・ソサノヲの誕生

イサナギ・イサナミは、アマテルカミをお産みになった後も諸国を巡幸され、宮崎県宮崎市阿波岐原町あたりでツキヨミをさらにソサの国(紀伊半島南端部)の熊野市産田神社辺りでソサノヲをお産みになります。

ソサノヲは、記紀に見られる通り、幼少の頃から暴れん坊だったそうです。
此処から先は、話が長くなるので、今日はここまでです。

千木について考える

千木

千木(ちぎ)とは、神社でよく見られる屋根の上にある✕型のものです。
現在見られるほとんどの千木は、昔の住居の建築様式が形式化したものであり、元来は屋根を補強する役割がありました。
伊勢の神宮で見られる千木は、✕の下の部分が屋根の中を貫通しています。

ちなみに、1枚目の写真のように、✕の下の部分が屋根の中を貫通していない千木を「置千木(おきちぎ)」といいます。

明治時代までは千木のない社殿もあったそうですが、明治以降にお寺と区別をするため「これは神社ですよ」という意味で屋根に設置するようになったと、ある宮司さんから聞いたことがあります。

内削ぎと外削ぎ

内削ぎとは、千木の先端を水平に切ったもので、外削ぎは垂直に切ったのもです。

内削ぎ
外削ぎ

一般的に、「内削ぎは女神を表し、外削ぎは男神を表す」とされていますが、必ずしもそうとは限りません。

大体の神社はこの考え方で当てはまりますが、世の中には必ず「例外」というものがあります。

本宮大社のスサノオノミコトが祀られている証誠殿(しょうじょうでん)の千木は、男神にも関わらず水平です。
また、速玉大神と夫須美大神が祀られている相殿(中御前と西御前)は、垂直です。

「女神が水平、男神が垂直」という解釈であれば、証誠殿は垂直、中御前と西御前の相殿は、一つが垂直でもう一つが水平ということになります。

色々とその謂われについて聞いたことがありますが、どうも釈然としません。

ホツマツタヱ中の千木の意味

ホツマツタヱには、このような記述があるそうです。

外削ぎは外を軽くし、内(即ち家臣として朝廷)を重視する心(精神)を表し、内削ぎは、内側(即ち朝廷の方)を削っても、国民に恵を与えようとする心(精神)を表している。

どこにも「男神女神」という言葉は見当たりません。
そんなことよりももっと重要な、建国以来の「トの教え」の精神が込められていたようです。
この教えは、代々ずっと引き継がれ、記紀のなかでは、初代クニトコタチからずっと後の仁徳天皇のお話が有名ですよね。

伊勢の神宮の千木の精神

外削ぎの精神は、縦横で言えば「縦」、柔硬で言えば「硬」、父母で言えば「父」を表し、物事の筋を通して白黒はっきりつけて治めていくことも意味しているそうです。

内削ぎは反対に「横、柔、母」を表しているそうです。
柔だけではわがまま放題になってしまうし、硬だけでは人々の気が病んでしまうので、柔硬両方の働きかけが必要だということを外宮と内宮の千木は表しているそうです。

・・・個人的に、どうも後付けの理屈に聞こえます。

伊勢の神宮(以下「神宮」)は、ご正宮、別宮、摂社、末社、所管社125社からなる神社の総称です。

神宮では、「内宮に所属しているお社は内削ぎ、外宮に所属しているお社は外削ぎ」と決まっているだけで、「内削ぎは女性、外削ぎは男性」という決まりはありません。

例えばツキヨミノミコトを祀っているお社は内宮・外宮両方にありますが、内宮所属の「月読宮」は内削ぎ、外宮所属の「月夜見宮」は外削ぎです。

先ほどの「明治以降に千木を設置し始めた」という話に戻ります。
「アマテラス様は女性で神宮の千木は内削ぎだから」という理由で、各地の神社が「真似」をし始めたから、日本全国に「内削ぎは女性」という神社が多くなったという話をある宮司さんから聞いたことがあります。

鰹木(かつおぎ)の話

ちなみに、屋根に乗っている丸太ですが(鰹木といいます)あれは元々屋根の重しです。
「偶数が女性で奇数が男性」という決まりはありません。
もちろんその意味で明治以降に設置している神社もあると思いますが、神宮では「内宮所属のお社は偶数、外宮所属のお社は奇数」という決まりがあるだけです。

アマテルカミとトヨケカミ②

ちなみに、ホツマツタヱでは、アマテルカミ(天照大神)も、トヨケカミ(豊受大神)も男性として描かれています。

以前の記事にも書きましたが、トヨケカミはアマテルカミの師であり、祖父でもありました。

なので、ホツマツタヱが正しいとするならば、そもそも「内削ぎが女性で外削ぎが男性」という理屈は破綻しています。

外宮が勧請されたのは、「自分ひとりでは、食事が安らかにできないので、丹波国の御饌(みけつ)の神、トユケオオカミを呼んで欲しい」と、天照大神からのお告げがあったということになっています。

これは自分の勝手な想像ですが、アマテルカミが伊勢の地に遷座したあと、師を招いてこの世の行く末について師匠と相談をしながら、この世の平和を実現したかったのではないか?と思っています。

「食事が安らかにできない」という言葉を額面通り受け取ると豊受大神は「食事を司る神」となってしまいますが、そうではなく、世の平和を願って師を招かれたのではないでしょうか?

世の中が平和であれば、安らかに食事ができますもんね。

大門坂の夫婦杉はどちらが男性でどちらが女性?(陰陽の考え方と男女平等)

お客様からの質問

熊野古道のコースの中で大門坂~那智大社・青岸渡寺~那智の滝があります。
全部歩いても約2.5km、約2時間30分程度のコースですが、見どころがたくさんある人気コースです(大門坂は、夏は湿気が多く本当に暑いですが)
その「オープニング」で、樹齢800年と言われている杉の大木が古道を挟むようにして出迎えてくれます。

「夫婦杉」と呼ばれているこの杉は、源の頼朝の寄進とされています。
・・・まあ、神倉神社の石段と同じく真相のほどはさておき、その姿は見るものを圧倒します。

ほとんどのお客様も関心を示され、たまにこういった質問をを受けることがあります。

「これはどっちが男性でどっちが女性?」

以前、語り部さんの研修を受けた時に、教えていただいたことが役に立ちました。

向かって右が男性、左が女性です。
那智大社を背にして左側が男性、右側が女性です。

平安時代、官位は男性にしか与えられておらず、さらにその序列が左→右だったそうです(左大臣、右大臣のことですね)
なので、官位のある男性が左になった・・・と聞きました。

今そんなことをすると、「女性差別だ!」と騒がれて大変なことになりますが、当時はそれが当たり前の世の中だったのでしょう。

陰と陽の考え方

これは私の考えですが、陰陽と照らし合わせても同じ結果になります。
陰陽は英語でyin and yang、陰陽の原理をyin and yang principleと言いますが、外国のお客様には陰陽に基づいた説明の方がしっくりくるようです。

余談ですが、「陰陽」を一言で表すと、どうでしょうか?
端的に言えますか?

私は、陰陽とは、「二つの違う性質のものが合わさることにより、一つの役割を果たすもの」と解釈しています。

太陽と月、天と地、昼と夜、火と水、右と左、男と女・・・などなど。
それぞれまったく違うものですが、どちらが欠けてもこの世界は成り立ちません。
これは、役割が違うということであって、「どちらが上」ということではありません。

先程挙げたものを陰と陽に分けると、こうなります。

陰=月、地、夜、水、右、女
陽=太陽、天、昼、火、左、男

今はあまり耳にしなくなりましたが、昔はよく「母なる大地」という言葉を聞きました。
これもおそらく、陰陽の考えが元で出来た言葉だったのでしょう。

そして、右、左の語源ですが、元々は「水極り(みぎり・右)」「火(日)足り(ひだり・左)」だそうです。
右=水=陰、左=火(日)=陽と分けられます。

陰は女性、陽は男性を表すので、右=女性、左=男性となるわけです。

ですので、外国のお客様に説明する時は、「陰陽の原理に従って決められている」とまず説明し、「陰陽の原理では、右が女性、左が男性と決められている」と簡単に説明しています。
まさか、「水極り、火足り」などとは言いませんよ、念の為。






さきほどの「水極り」「火足り」の水と火が合わさって「火水(かみ)」となり、両手をあわせる所作は神を表すとされているそうです。ご参考に。

雛飾りと結婚式

雛人形も、今は国際儀礼に従ってお内裏様とお雛様の位置が入れ替わっていますが、もともとは写真のようにお内裏様は向かって右、お雛様は向かって左に置かれていました。
つまり、那智大社を背にして左が男性、右が女性の夫婦杉と同じ立ち位置です。

結婚式は神前で「男女の役割を全うします」と神様にお誓いする儀式です。
しかし、結婚式も男女の立ち位置が入れ替わってしまっています。
「たかが立ち位置」ですが、これは見た目以上に重要な間違いらしいです。
もし、結婚式の写真があるなら確かめてみてください。
おそらく男女の立ち位置が入れ替わっています。

男勝りな女性、草食男子と呼ばれる男性が出てきてもおかしくありません。

現代の男女の考え方

家事・育児は立派な仕事です。

しかし、現代の男女の考え方は、陰陽の考え方と照らし合わせて見ると、無理があります。
男尊女卑というものはあってはならないことであり、差別されることは絶対に許されません。
しかし、現代の男女の考え方というのは、「女性が男性と同等の権利を得るべき」という部分では賛成ですが、それと役割の違いから来る「棲み分け」は別問題であると考えています。

「男が働きに出て、女が家庭を守るという考えは古臭い」という意見が大半を占めるようになりました。

洗濯機や掃除機、炊飯器などの出現により、世の中が便利になり、女性が家庭で働く時間が短くなったのをきっかけに「では、少しでも空いた時間で働いてお金にしたほうがいい」となり、女性がどんどん社会に出るようになりました。

しかし、いくら便利になって家庭での仕事の時間が少なくなったとはいえ、まったくなくなったわけではありません。
また、社会に出れば当然それなりの責任がかかってきますので、簡単に早く帰ったり、きっちり休日を取ることも難しくなってきます。

そうなれば仕事が優先になり、家庭での仕事がおろそかになりがちになります。
そして、「私も働いているのだから、あなたもちょっとは家庭のことを手伝ってよ!」という考えになります。
しかし、旦那さんは旦那さんで仕事を持っています。
旦那さんも立場は同じです。
務めているからには、仕事を適当にはできません。
でも、家事や育児もしなければならない。
こうなると、二人とも仕事の責任を抱えながら、家庭での仕事もしなければいけなくなります。

そもそも、仕事をガッツリしながら家事・育児なんて、出来っこありません。
それこそ、「家事・育児という仕事をなめていませんか?」と言いたくなります。

男女の存在、そもそもの意義

では、結局、この考え方でだれが幸せになったのでしょうか?
夫婦それぞれで仕事での責任は増え、家事・育児もおろそかになる。

「餅は餅屋」という言葉があります。
もともと、女性は子供を育て、家庭を守るということが「役割」として与えられています。

考えてもみてください。

そもそもの話ですが、もし、男女がともに働きに出ながら家庭で育児をし、共同で家庭を守っていかなくてはならないと神様が決めたとするならば、「男女」なんて性別は必要なく、神様は与えなかったでしょう。

細胞分裂するなり、体内で自動受精をしたり、幼少期にオスだったのが、成熟すればメスになるという生物と同じように作られていたはずです。
さらに、男も育児をしなくてはならないのであれば、乳が出ていなければいけませんし、出産もできる体でなければいけません。

勘違いされないように言っておかなければなりませんが、もちろん男も子供の面倒は見ないといけません。
特に男の子なら遊びにも体力が必要ですので、こういったところはお父さんの出番でしょう。また、子供の教育についてもお父さんとお母さんの力が必要です。
なので、子供のことを放っておいて奥さんにすべてを任せろと言っているわけではありません。

オリンピックを男女混合で!

現代の「男女平等」は、オリンピックの陸上で、「男女混合で100mを競わなければならない!」とか「柔道を男女混合で!」言っているようなものです(最近はリレーでやっていますが)

だれでも分かることですが、男性のほうが、基本的に女性より体力も力もあります(基本的にですよ)
スポーツの世界記録で、女性の記録が男性の記録を上回っているものがありますか?

男女を一緒にすることが女性差別になるからではないでしょうか。

もし、男女が一緒に競技をすれば、部分的に女性が男性に勝つこともあるでしょうが、絶対的に優勝は男性です。
だから男女を分けたわけで、かるた取りとか、クイズとか、そういったものは男女混合で争っています。
男女で平等に戦えるからです。

「男女平等」の履き違い

出生率が年々下がってきています。
子供を養うだけの収入がないという理由もあるでしょうが、本当に全員がそうでしょうか?

もっと大きな原因は、女性が社会進出することによって晩婚化が進んでいるということでしょう。
働く女性が増えて子供を預けるところが不足していることはすでに起こっている問題です。
女性が家庭を守っているならば起こり得なかった問題です。
少なくとも、私達第2次ベビーブームの世代であっても、そういった問題は起こっていませんでした。

働く女性が増えるに従って、ますますこのような問題が出てきます。
これでは、たとえが良くないかもしれませんが、「虫歯が出来たからそこだけを治す」ということと似ています。
日頃の虫歯予防という根本原因を直さなければ、またいずれ虫歯になります。
男女平等の根本的な考えが間違っていれば、同じ問題がいつまでたっても起こります。

「男は外で仕事、女は家庭」はあながち間違いではないと、私は思っています。
そうなるためには、企業も旦那さんの稼ぎだけで一家を養うことができる給料を支払うようにならなければいけません。

私はなにも、女性を差別しているわけではありませんし、すべての女性が社会に出てはいけないと言っているわけではありません。
女性が必要な職場もたくさんありますし、特に現代では、若い頃は社会での経験も必要でしょう。
シングルマザーであれば、働かなければいけない事情は重々承知しています

そういった特定の人たちのことを言っているのではなく、一般論として、陰陽の役割の違いを間違えれば、かならず無理が生じてくるということを私は言いたいのです。

天と地をひっくり返すことはできないのです。
しかし、どちらもなくてはならない存在なのです。

見ていてください。
このままいけば、間違いなく保育所不足の問題と家庭環境の問題は悪循環に陥ります。
保育所が少なくなったのは、少子化が原因ではないでしょうか?
そうだとすれば、その少子化の原因は?

今しなければいけないこと

政府が今しなければならないことは、保育所を増やすことではありません。
きちんと旦那さんの給料だけで一家が養えるだけの給料が出せるような企業を増やすための経済復興だと思います。

また、間違った男女平等思想が蔓延しないよう、陰陽に基づいた男女教育ということも必要になるでしょう。
「誰のおかげで飯が食えているんだ」というアホな考えを持つ人がいなくなるようにしなければいけません。
これは「奥さんの支えがあってこそ、あなたも仕事に集中できているんですよ」ということであり、もし、旦那さんだけの給料で一家を支えるようになれれば、「それは二人で頑張って稼いだお金ですよ」ということを分かってもらうためです。

天は地があってこそ成り立ちます。
一年中夜がなく昼だけならば、人間も生き物もこの世界で生きていけなくなるでしょう。
男性としての役割、女性としての役割をそれぞれ全うして初めて、家庭が成り立つと思います。
家庭は国家の最小単位です。
よい家庭なくして良い国家はありえません。
それぞれの存在を尊重しあい、お互いの役割を全うすることこそ、今必要とされていることではないでしょうか。

p.s.
もし、結婚式の写真で男女の左右が入れ替わっていても、「これからは男性として、女性としての役割を全うします」という気持ちを持つことが大切であり、その気持を持てば大丈夫だそうです。
撮り直しなんてできませんしね(笑)