速玉大神について考える

今日は熊野三山の御祭神の一柱、熊野速玉大神について考えたいと思います。

熊野で異名を持つ神々

熊野三山で祀られているそれぞれの主祭神は、一般の呼び名とは違うことはみなさんもご存知のことだと思います。
熊野では家津御子神はスサノオ、熊野夫須美大神はイザナミ、熊野速玉大神はイザナギとされています。

先輩ガイドから聞いた話では、「それぞれの土地で神様の呼び名が違うことがあるように、熊野三山でのこれらの呼び名は、熊野での呼び方」ということでした。
いわゆる、「神様の方言」のような感じでしょうか。
しかし、どういう経緯でそのような名前になったのかという説明がありませんでした。

以前の記事「ソサノヲとクマノ宮」でもお話したように、ホツマツタヱからの解釈では、ソサノヲはイサナミの汚気(おけ)が移った子という意味でした。

「けつみこ」の「け」は「食べ物」を表すので、家津御子神とは、食べ物を司る神だという話を聞いたことがあります。
もちろん、「け」は食べ物の意味も表しますが、スサノオは食べ物の神ではないため、この場合は当てはまらないと思います。

では、速玉大神はどうでしょうか?

速玉さんについて、私が聞いた話や、本で読んだ話を交えてお話をしていきます。
なお、現在の速玉大神の解釈を否定するものではありませんので、あくまでも「一解釈」として読んでいただければ幸いです。

日本書紀に見る速玉大神

古事記を読む限り、「速玉大神」あるいは、それに似た名前の神は登場しません。
日本書紀に唯一、「一書(第十)にいう」として「速玉之男」として登場します。

伊弉諾尊(イザナギノミコト、以下カタカナ表記)が伊弉冉尊(イザナミノミコト、以下カタカナ表記)のおられる所にいらっしゃって、語っておられるのに、「あなたが愛しくてやってきた」と。
答えて言われる。「どうぞ私を見ないでください」と。

イザナギノミコトは聞かれないで、なおもご覧になっていた。

それでイザナミノミコトは恥じて恨んで言われるのに、「あなたは本当の私の姿を見てしまわれました。私もあなたの本当の姿を見ましょう」と。

イザナギノミコトは恥ずかしいを思われたので、出て帰ろうとされた。
その時ただ黙って帰らないで誓いの言葉として「もう縁を切りましょう」と言われた。

また、「お前には負けないつもりだ」と言われた。
そして吐かれた唾から生まれた神を名付けて速玉之男という。

次に掃き払って生まれた神を、泉津事解之男(よもつことさかのお)と名付けた。

二柱の神である。

 

お名前は出せませんが、ある宮司さんからも同じような話を聞きました。
さらにその宮司さんの話では、昔は誓約(うけい)をする時に、「事を分ける」という意味で唾を吐き合ったそうです。
その時に生まれた「仲介の神」が速玉之男、そして、誓約を交わしたこの誓約の言葉によって生まれた神(事を分ける神)が事解之男(ことさかのお)であり、この二柱の神は一対をなすので、別々に祀られているより一緒に祀られているほうが自然だというお話でした。

そして、日本書紀から見れば、速玉大神とイザナギは別の神として描かれています。

少し話題がそれますが、全国の熊野神社に祀られている神を見ると、そのほとんどが、イザナミ、速玉、事解男命の三柱だそうです。
そういえば、私の地元の白浜にも「熊野三所神社」がありますが、祭神はイザナミ、速玉、事解男です。

全国に散らばる熊野神社が三山から勧請されたのであるならば、「オリジナル」の三山のそれぞれの主祭神が、なぜイザナミ、イザナギ、スサノオなのでしょうか。

自然信仰から見た速玉大神

速玉大神について、自然信仰からの解釈も聞いたことがあります。

熊野のみならず、神道の起源は自然信仰とされています。
本宮は木と川、那智は言わずもがな滝、そして新宮はゴトビキ岩と川の信仰があるということです。

その中で、「はやたま」の「たま」とは玉のように早いことを言うそうで、「はやたま」とは、速い川の流れを表すそうです。

ただ、個人的にはあまりしっくりきていません。

和歌山県神社庁の記述

和歌山県神社庁のHPでは、

速玉は映霊で、イザナギノミコトの映え輝くばかりの力強い神霊の意で、夫須美はイザナミノミコトの万物を産み成し、幸へ給う女神としての大神徳を称えた御名である

と書かれていて、速玉はイザナギの称え名(たたえな)としています。
称え名という習慣は、ホツマツタヱでも幾多と記載があります。

例えば、ソサノヲが出雲の発展を成功に導いた時に贈られた名は「ヒカワカミ」、タマキネの称え名は「トヨケカミ(豊受大神)」など、何か国のために尽力をして一定の成果を収めた人物に贈られています。

熊野古道では、野長瀬一族が護良親王から「横矢」の名前を賜ったという話が残っていますので、当時は当たり前に行われていたのでしょう。

ホツマツタヱでは仲人

さて、いつもこのブログを読んでくださっている方(いてるのか?)なら、最後にホツマツタヱではどうなっているのか、興味が湧くところだと思います。

ホツマツタヱでは、イサナギ・イサナミの家系が書かれています。
家系についてはまたの機会にお話するとしてここでは省略しますが、イザナギ・イサナミとも、初代アマカミ・クニトコタチの譜系から誕生しています。

イサナギはアワナギを父に持ち、イサナミはトヨケカミ(豊受大神)を父に持ちます。
なので、トヨケカミはアマテルカミ(天照大神)の祖父であり、師でもあったわけです。

ちなみに、お二人のヰミナ(斎名・本名)はタカヒト、イサコです。

お二人が結婚をするため、まずハヤタマノヲ(速玉大神)が二人の縁結びを試みましたがうまくいかず、代わってコトサカノヲ(事解之男)が引き継いだそうです。
コトサカノヲは、お二人にトコミキ(床酒・二人が交わる前に酌み交わす酒)の作法を授けます。

残念ながら、ホツマツタヱではこれしか書かれていません。
ハヤタマノヲのことも、コトサカノヲのことも、どの譜系の人なのかがまったくわかりません。

ホツマツタヱでは速玉大神、事解之男とも、イサナギ・イザナミの仲人として登場しています。
「仲を取り持つ」という点では、日本書紀の記述と似ています。
そして、ホツマツタヱでもハヤタマノヲはイサナギと別の人物として描かれています。
内容は若干違いますが、日本書紀の「一の書(第十)」というのは、ホツマツタヱからの引用かもしれません。
このように、日本書紀にはホツマツタヱと似た記述が散見されます。

ということは、三山の速玉大神もイザナギではないのでしょうか?

神像の話

これはちょっとデリケートな部分なので、話題に入れようかどうか悩みましたが、「あくまでも聞いた話」というレベルで読んでいただければと思います。

現在国宝とされている神像四躯(速玉、夫須美、家津御子、国常立)のうち、新宮の解釈では一体がイザナミであることは確実なので、もう一体は夫のイザナギであろうとしたしたことから、イザナギ=速玉という解釈が生まれたのだろう・・・という話を複数の方から聞いたことがあります。

記憶がうろ覚えですが、これらの神像は「発見された」と聞いた記憶があります。

どういった経緯で発見されたのかは覚えていませんが、おそらく発見されるまでは、畏れ多くて社殿を開けることがなかった、あるいは、ごく一部の神職さんしか見ることが出来なかったからかもしれません。
伊勢の神宮では、三種の神器の八咫鏡を天皇陛下でさえ見ることが許されないと言われていることからも、こうしたことは十分考えられる事かと思います。

見つかった神像がどなたであるか、神像に彫っていたり書かれていたりすれば別ですが、何もそういったことが書かれていなければ、推定の域を越えることはないと思います。

なので、「イザナミがあるのだから、もう一体はイザナギだろう」と考えるのは自然なことだと思います。

結局、速玉大神とは

これまでの話をまとめると、速玉大神とは、「イザナギのと同一説」と「イザナギとは別の神説」に分けられます。
まず、同一説では、

◯イザナギの称え名である

 

別の神説では、

◯自然信仰から生まれた神である

◯イザナギ・イザナギの誓約の際に生まれた神であり、「事を分ける」儀式によって生まれた仲介役の神である

◯お二人が結婚する時の仲人だった

上記の中で「速玉=玉のように速い川の流れ」という「自然信仰説」は、那智の滝やゴトビキ岩とは違い、後付けかもしれません。
ハヤタマノヲが神格化され、後に自然神として信仰され始めたのではないかと思っています。

個人的な意見ですが、私は三山の速玉大神も、イザナギではないと思っています。
ただし、自分が案内する時はイザナギと説明はしています。
お客様を混乱させてしまうということと、三山や神社庁がイザナギと特定している以上、これに逆らうことはできませんので。

ただ、説明をするたびに心の奥底で「違うのではないか」という気持ちが湧き起こります。
色んな話を聞くと、そう思えてなりません。

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