
紀伊風土記の丘で開催された「紀州の獅子と獅子頭」の展示講座に行ってきました。
獅子舞の歴史からその土地の獅子舞や獅子頭の特徴、南北朝時代の獅子頭の展示など、獅子舞フリークの私にとっては、垂涎物の講座でした。
今回はその備忘録としてまとめておきます。
獅子舞の起源
紀元前3000年以前の古代オリエントでライオンから霊獣化し創造され、シルクロードを経てアジアに伝播したと言われています。
獅子の起源はサンスクリット語の「simha(シンバ)」と考えられているとのことです。
ライオンキングのシンバはここから来ているそうです。
その後、チャイナにおいて獅子は仏法を守る霊獣となります。
推古天皇20年(612年)に百済の味摩之(みまじ)が「伎楽(呉楽)」を日本に伝え、法会の楽とするとともに獅子伎が伝来したと日本書紀に書かれています。
獅子には霊力があり、悪を食べるという信仰から寺院の法要において、行列の道行きを浄める「行道獅子」として誕生します。
ということで、今は「獅子舞」といえば「神社」というイメージですが、元来は仏教の伝来に伴って入ってきたものです。
やがて平安時代に神仏習合が広がると、神社でも獅子がお祓いのために行道をするようになりました。
中世荘園の神事
中世になると、獅子舞、王の舞、田楽踊が奉納されるようになります。
なお、このころの獅子舞というのは舞に笛と太鼓がなく、静かに舞う形だったそうです。
和歌山県でもその影響があるお社が、広川町の広八幡神社です。
ここでは上記3つの神事をまとめて一緒に行う形で受け継がれています。
ここでは田楽踊を踊っている周りを獅子・オニ・ワニが回ります。笛はありません。
紀中の獅子舞
有田郡・日高郡の多くの獅子舞にも笛がなく、太鼓の音とササラの音とともに舞い、オニ・ワニとともに舞うことから「三面獅子」とも言われています。
有田郡南部から日高郡にかけては、同じ神社の祭礼で2つの異なる獅子舞が奉納されます。
これは、それぞれの獅子舞が異なった時期に伝わったことを示しています。
内原王子神社の秋祭りでは、笛・太鼓がなく静かに舞う獅子舞と、囃子に乗って踊る獅子舞の両方が奉納されています。
これは頭屋獅子とも言われ、昔はこの獅子舞だけで4つの地区で1年毎に当番があり、当番の地区がまわしてしたそうです。
当番がまわしていたので「頭屋」という名前がついたのだとか。
この獅子舞は「鬼獅子系」と言われており、神社が獅子頭や舞を管理・奉納していたそうです。
これには神社側でそれぞれ当番の地区に舞を教えていたそうです。
一方で、氏子の青年組織でまわしていたものを「舞獅子系」といい、この獅子はそれぞれの地区で伝統を受け継いできたものだそうです。
蘇里剛志さんのお話では、4年に1回しか回ってこないのでは寂しいので、それぞれの地区で毎年お宮さんに奉納する獅子舞が始まったのでは?ということです。普通、こういった笛・太鼓のない静かな、悪く言えば辛気臭い方はなくなってしまうと考えられがちだが、地元の方は伝統を重んじて両方を残したのではないか?とおっしゃっていました。
日高の「舞獅子」の特徴
日高の「舞獅子」の特徴は、
瀬戸内に多い紙製の獅子頭を用い、囃子の合わせて動きの激しい舞を演じる
多くの場合、獅子は二人立ちで、手を出して踊ることはしない
舞場の中央にむしろや敷物を敷いて四方を意識した舞を演じる
獅子の主体は地元の青年組織
終始固定した舞手により、切れ目のない演技が続けられる
獅子頭が紙で出来ているとは驚きでした。これなら激しい舞でも体力的にも負担が少なくて済みます。
そこで登場したのが「継ぎ獅子」「梯獅子」と呼ばれる舞です。
由良町・横浜獅子舞は肩車をして舞いますし、有名な木ノ本の獅子舞は文字通りハシゴを使ってアクロバティックな舞を演じます。軽い頭だからできる芸当なのかもしれません。
熊野の獅子舞
熊野の獅子舞は、伊勢大神楽の影響をうけつつ、熊野地方で独自に展開した獅子舞です。
伊勢大神楽とは、江戸時代中期から西日本を中心に年ごとに巡り伊勢の神宮の神符を配り、竃祓いや祈祷を行う芸能集団です。
演目には、神事として魔を祓う「獅子舞」と、種々の曲芸で観客を楽しませる「放下芸」があります。
こうした大神楽の面白さに惹かれた若者が教えを請い、氏神の祭で奉納することもあったそうです。これが熊野や日高に広がったと考えられています。
木製の獅子頭を使い、腕を出して御幣や鈴などを持って舞う二人立ちの舞と、幕の3~5人入って激しく舞う「乱獅子」系統の舞があります。
演目ごとに切れ目があり、曲ごとに舞手が変わるのも特徴の一つです。
牡丹の造花をあしらった木を掲げ、獅子が花の美しさに見惚れるような所作があります。
