
今日は歴史のお話です。
小名木善行さんのお話のまとめをシェアさせていただきます。
「日本」の始まり
670年、新羅の歴史書・新羅本記に「670年に倭国が国号を日本と改めた」という記述があり、これが一番古いそうです。
日本国内では、689年に飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)で「日本」という言葉が使われました。
また、702年の遣唐使でも日本という言葉が使われており、670年から700年頃にかけて「日本」という国号が使われ始めたということが定説になっています。
「天皇」と「日本」
では「天皇」と「日本」という言葉はどちらが古いでしょうか?
「天皇」という言葉は、608年の第3回遣隋使の時に使われているそうで、「日本」よりおよそ100年前から使われていたそうです。
以前の国号
「日本」と呼ぶ前はといえば「やまと」ですが、チャイナはこれに「倭」という字を当てました。
しかし、日本では「日本」と書いて「やまと」とも呼んでいたそうです。
ちなみに「大和」という漢字は、ただ単に漢字を当てただけです。
「日本」の意味
「日本」は大和言葉で「ひのもと」と言います。
これは、「太陽神である天照大神の本(もと)にある」という意味です。
また、これにはもう一つの大きな意味があり、「ひ」は「霊」とも書き、魂を表すそうです。
日本には古来から「ひふみよいむなやこと」という数え方がありますが、この「ひふみ」の「ひ」は「御霊(みたま)」、「ふ」は「生まれる」、「み」は「身」を表し、「ひ(霊)」から生まれる「み(身)」、つまり人間の体には魂が宿っているという考え方があったそうです。
ですので、「魂が本体であり、身は依物(魂が宿るもの)に過ぎない」という考え方がありました。
このことから、「国家の根本は霊(ひ)であり、霊体・神体が本(もと)になってできた国」という意味があるそうです。
「日本」の呼び方
ちなみに、いまだに我々日本人も「にっぽん」と呼んだり「にほん」と呼んだりしますが、これは「どちらも正しい」というのが正解です。
もう国号自体が日本人の特性である「曖昧さ」を物語っていますよね(笑)
東方見聞録のマルコポーロは、チャイナで日本のことを聞いた時、「日本」をチャイナ読みで「日(ジツ)本(ポング)」と聞き、それを母国語に直して「ジパング」としました。
それがヨーロッパ諸外国で「ヤーポン」とか「ハポン」とか「ジャパン」になりました。
国号「日本」の根底にあるもの
さて、この「日本」という言葉には大きな意味があることを学びました。
さらに、「日本」という国号に基づく素晴らしいお話があります。
前述した
「魂が本体であり、身は依物(魂が宿るもの)に過ぎない」
「国家の根本は霊(ひ)であり、霊体・神体が本(もと)になってできた国」
という意味から、魂をいかに重要視していたかを伺うことができます。
その魂にはランクがあり、この世で修行することにより最終的には神様に近いものになっていくという考え方があります。
神様に最も近い魂は、最終的な人間界の試練として、最も重い肉体を持って生まれてくると考えられていました。
最も重い肉体とは、いわゆる身体障害者や脳性マヒなど、脳や身体に障害を持った人たちのことです。
その人たちは神に近い非常に高貴な魂を持たれているから、大切にしなければならないと考えられ、半島などで障害者を揶揄するような文化とは全く違った考え方が日本にはありました。
「神」がこの世に生まれ変わってくるのか?
ここからは私の考えです。
この世は魂の修行をする場で、肉体を持つことにより魂を磨きやすい環境に置く、これがこの世での修行であると聞いたことがあります。
肉体を持つことにより、自由が利かなくなるからです。
目で見ないと見えない、触らないと感覚がない、耳で聞かないと聞こえない、鼻を通さないと匂いが分からない、口を通してでないと相手に自分の意志を伝えられない・・・こういう状態で暮らさなければならないからです。
この世に生まれ変わるということは、その魂に何らかの欠点があるからです。
そして、生まれ変わりを繰り返し、魂を磨き上げて欠点を補完し、最終的には修行をしなくてもよい状態、それが「神の魂」ということだと思います。
ホツマツタヱを読むと、クニトコタチから始まりアマテラス、スサノオなど、神話に登場する神々は実在の人物として描かれています。
よく神話などに出てくる神様たちはすでにその状態に達しており、この世に生まれ変わる必要のない方々だと思います。
なので、たまに「わたしはスサノオの生まれ変わりだ」とか「アマテラスの生まれ変わりだ」などと言っている人がいますが、こういった人たちは低級な霊に翻弄されているだけなのかもしれません。
また、本宮大社の縁起にイチャモンをつける意図はまったくありませんが、「人格者(神格者?)」ともあろうお方が「私を祀れ」とは言わない、そういう霊は低級な霊であり、みんなからチヤホヤされたいだけ、と何かのブログで読んだことがあります(おそらく有名な霊能者の方だったと記憶しています)
そのことが頭に残っていて、始めて本宮大社の縁起を聞いた時に「それ、違うやろ」と思ったことがありました。
真相のほどはさておき、私がいいたいことは、聞いた情報を鵜呑みにせず、たくさんの情報から判断しましょうねということです。
ではまた。
